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地点「トカトントンと」@神奈川芸術劇場

2012.02.14(20:33)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)ヴィヨンの妻 (新潮文庫)
(1950/12)
太宰 治

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 2月8日(水)

 会社にいった。マントヒヒと遊んだ。もちろんうそだ。


 2月9日(木)

 会社にいった。終わったあとは会社の飲み会だった。うちのチームの新年会だった。Nさんが気持ちわるくなっちゃってトイレにこもった。わたしとATさんとSYさんで最後までのこって、わたしはそういう経験は忘年会のときもしているから「このパターン知っていますよ。2時間もしたらでてきますよ」と言ってずっと得意げだった。でも1時間くらいで知らないひとがやってきて送っていった。


 2月10日(金)

 会社にいった。直属の先輩のSYさんのリーダーのNさんもお休みだった。6時くらいに帰った。


 2月11日(土)

 朝奇跡的に8時30分に起きて、ユーロスペースまでノーザンライツフェスティバルにでかけた。1階まで行列ができていて、なんで北欧のだれも見ないような映画にこんなにひとが集まるんだろうかと思ってちょっとふしぎだった。アンドレアス・エーマン「シンプル・シモン」というスウェーデン映画を見た。ふつうにおもしろかったのでびっくりした。つまり、それはにんげんがゆたかにたのしく描かれているということだった。そして、それはたとえスウェーデンであってもアメリカ映画だということだった。英語で語られないアメリカ映画もあるだろう。英語で語られるスウェーデン映画もあるだろう。わたしたちは日本語で書かれた「ライ麦畑でつかまえて」を読んで「これはアメリカ文学だ」と言ってきたし、言いつづけるだろう。
 行列ができていたために「シンプル・シモン」の上映終了が20分くらい遅くなって、おなかがすいていたために松屋でごはんを食べてしまって時間を消費し、渋谷駅についたとき目のまえで電車に去られてしまい、3時から神奈川芸術劇場で地点「トカトントンと」を見なければいけなかったのに関内駅についたとき3時だった。にゃーと思った。カール大帝しかのることを許されなかった伝説ののりものタクシーでかけつけて、にこやかな案内のひとにつれられてはいった。
 かんたんにいうと舞台上でへんな服を着たひとびとが「トカトントン」と「斜陽」の文章をへんなしゃべりかたでしゃべっているだけの演劇だった。とんかちで舞台をがんがんたたいているときのほとんどライブ的な世界に突入していくときの高揚感がすばらしかった。欠点があるとすれば見ていてもあんまりおもしろくないところだろう。「演劇はけっきょくところなにをどうしゃべるかの問題だ」というふうに何度も書いたことがあるけれど、いま思えばそれはにんげんとにんげんの語りあいに重きが置かれていたように思う。地点の演劇はわたしはひとびとがばらばらになっているように思う。ひとりとひとりがいて、どうしたらひとりとひとりはふたりになれるんだろう。
 終わったあとまっすぐに帰った。それで小説を書こうと思ったけれどうっかり「セガガガ」のプレイ動画をずっと見ていた。文学や絵画も近代から現代へうつりかわる過程で統一的なものから離散的なものへと変わっていった。「セガガガ」もそれに近いものだったんだろう。メタフィクション、パロディ、現代としてなりたつための要素が過分に含まれ、そして、現代文学や現代絵画がほとんどだれからも見むきもされなくなったのとおなじようにセガもだれからも見むきもされなくなった。




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