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なんだかとても罪深いこと

2012.03.21(19:48)

アギーレ・神の怒り [DVD]アギーレ・神の怒り [DVD]
(2001/09/26)
クラウス・キンスキー、ヘレナ・ロホ 他

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 3月19日(月)

 会社にいった。CKさんがわたしが休んでいるあいだにMFくんもずっとインフルエンザで休んでいると教えてくれた。ふうんと思った。
 160円のサラダバーが4月から重量によって値段が決まるようになると知って、絶望した。今日盛ったサラダをためしにはかってみたら「250円くらいだね」と言われた。そんなばかなと思った。SSくんに「どうする?」と訊かれて、「もう会社やめるよ」と言った。「そんなに?」と言って笑っていた。
 帰りにドトールにいって福田恆存の「人間・この劇的なもの」を読んだ。


 私は断言してもいい。共産主義国にかれらの考えるような自由などというものがあるわけがない。なぜなら、革命はそういう自由への不信から出発し、それを否定しようとしたものだからである。そういえば、ひとびとはこう答えるだろう。いや、それは新しい意味での真の自由を獲得しうえる手だてとしての革命である、と。だが、なぜ、そうまで自由ということばに執心するのか、私にはわからない。自由という概念が、かれらと私とのあいだで食いちがっているからであろう。
 かれらにとって、自由とは対物質の問題でしかない。物質的欲望な完全な満足、それがかれらの自由である。べつのことばでいえば、社会の成員がめいめいの利己心を発揮して、他人からの待ったなしに、その欲望が充足される世界、それを最終目的として定めている



 3月20日(火)

 朝起きて、それから髪を切りにいって、ドトールで本を読んだり詩や小説を書いたりした。そのあと早稲田松竹までがたたんがたたんいって、ヴェルナー・ヘルツォーク「フィツカラルド」と「アギーレ、神の怒り」を見た。どちらもすばらしかったからわたしはうれしかった。とくに「アギーレ、神の怒り」のいつ原住民に殺されるんだろうかという緊迫感がすばらしかったと思う。ジョニー・トー「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」を見たとき、わたしは「はじめて拳銃は怖いんだということを知った」と書いたような気持ちがするけれど、それとおなじようなことがここではおこなわれていたように思う。ひとがいつ死ぬのかわからない緊迫感、というのは、なんだかエンターテインメントの基本的要素にすらなりえるようにも思うけれど、それを表現するのはあんがいむつかしいんじゃないかと思う。なぜなら、映画のなかでひとが死んだとしても、けっきょくのところ実際にはひとは死にはしないからだ。けれど、たとえば「フィツカラルド」で船の下敷きになって死んだ原住民の姿はどうしたことだろう。まるでほんとうに死んでいるみたいじゃないかと思った。「原住民に、あるいな仲間にいつ殺されるかわからない」という非現実的な状況を見ながらわたしが彼らがいつ殺されてしまうんだろうかと怯えたとしたら、それは映画のなかに現実がたちあらわれていたということだ。そしてわたしはいつだって映画のなかの虚構は信じない。わたしはいつだって映画のなかの現実しか信じない。


 3月21日(水)

 会社にいった。
 Mっつんがうちの会社ではなく本社にもどることになって、AIさんに「Mっつんのためになにかやるの?」と訊きにいったら「○○さん(わたしの本名)がやるんだよ」と言われた。そうだったのかと思った。Mっつんに日程を訊いて、SSさんに「よろしく」と言ってすべてをまかせてきた。




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