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システム カスタフィオール「スタンド・アローン・ゾーン」@さいたま芸術劇場

2012.06.26(00:05)

粘膜人間 (角川ホラー文庫)粘膜人間 (角川ホラー文庫)
(2008/10/25)
飴村 行

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 6月17日(日)

 記憶がない。たぶん、部屋にはいってきた忍者に眠り薬をかがされて眠っていたのだろう。こわい。


 6月18日(月)

 会社にいった。KYさんに「おいしいものは?」と訊かれたから「わすれた」と言った。


 6月19日(火)

 会社にいった。仕事をした。それから帰った。


 6月20日(水)

 会社にいった。18時くらいに帰って、ファミリーマートで買ったからあげ弁当を食べて19時くらいに眠った。


 6月21日(木)

 会社にいった。21時まで仕事をしてしまった。それから帰った。


 6月22日(金)

 会社にいった。17時くらいには仕事を終えてさっそうと帰るつもりだったけれど、なにもかもがうまくいかないで、けっきょく21時まで仕事をしてしまった。


 6月23日(土)

 12時くらいに起きて、それからてこてこさいたま芸術劇場まで歩いていって、システム カスタフィオール「スタンド・アローン・ゾーン」を見た。美しいデジタル映像を背景にして、ひとびとが舞台でダンス的なものをしていた。この作品ににんげんは必要だったんだろうかと思った。この作品で提示されているのはひとつの世界観、いいかえれば設定でしかないように思う。設定を提示するための美しいヴィジュアルが用意され、ひとびとはその設定を補完するためになにかを踊るしかなかったように思う。ひとびとが踊らなければ、それは作品のコンセプト・アートと説明の字幕をえんえんと流すだけになっていたように思う。だから、この作品が作品としてなりたつために、ひとびとは踊らなければいけなかったんだろうと思う。わたしは、そうやって転倒された踊りについてうまく興味を抱くことができない。この作品にはひとつの物語の形式をとっているけれど、ここで語られていることは物語ではないと思う。ここにテキストは存在していない。酒井幸菜の「わたしたちは生きて、塵」について、わたしは「たやすく言葉に変換されてしまいそうに見える」と書いたけれど、「スタンド・アローン・ゾーン」には言葉に変換されてしまうような要素はほとんどない。この作品には身体表現として表出されるような言葉を根本的にふくんでいないからだと思う。それらはすべて「設定」として消化され、たぶん、「エヴァ」について語りすぎてしまったわたしたちはもう、それについてなにも言うことはできない。
 携帯電話の電池がとどいた。また携帯電話を買えなかったと思った。しかたないと思った。しかたない。
 飴村行「粘膜人間」を読んでおもしろいと思った。身長2メートル、体重100キロほどに成長してしまった11歳の弟がいて、弟はその巨体でもって家族を虐待している。その虐待に耐えかねてうえの兄ふたりが河童に弟殺しを依頼して、という物語だった。ちいさな方向へまとまっていってしまったのがざんねんだけれど、わたしは物語とはこういうふうであればいいと思う。




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