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「大エルミタージュ美術展」@国立新美術館、「Beat Happening!~BOYとGIRLとHAPPENINGと~」@BASEMENT BAR

2012.06.29(21:20)

PINKPINK
(2012/04/15)
大森靖子

商品詳細を見る

 6月27日(水)

 どうしても大森靖子のライブにいきたかったものだから元気に会社を休んだ。それで、とりあえず六本木までいって国立新美術館で「大エルミタージュ美術館展」を見た。まったくすばらしい絵画ばかりがあってうっひょーと思ってよだれをべろべろたれながした。とくにルネサンス期の絵画にすばらしいものがたくさんあってうっひょーと思ってよだれをべろべろたれながした。こんなに美しいものが見られるなんて世界はなんてすばらしいんだろうと思った。
 ベルナルディーノ・ルイーニ「聖カタリナ」なんて慈愛のかたまりみたいな顔を見られてうれしかったり、アレッサンドロ・アローリ「キリスト教会の寓意」の女のひとなんか軽く150人はにんげんを食い殺しているような顔をしているし、バルトロメオ・スケドーニ「風景の中のクピド」の天使はもう描かれていることを意識しているようなポーズにとてもきれいな顔をしていてちょうかっこういいし、ダニエル・セーヘルス・トマス・ウィレボルツ・ボスハースト「花飾りに囲まれた幼子キリストと洗礼者ヨハネ」なんて構図からしてもうきれいだし彼らをかこう花の美しいことといったらないし、ヤコプ・ファン・オースト(1世)「ゴリアテの首を持つダヴィデ」のダヴィデなんて美少年すぎてちょうかっこういいしそのかっこうよさとゴリアテのなまなましい首の対比にこころからぞくぞくするし、ルーベンス「ローマの慈愛(キモンとペロ)」はペロの乳首に吸いつくキモンの顔がやばいことになっていたし、クロード=ジョゼフ・ヴェルネ「パレルモ港の入り口、月夜」なんてこれ以上美しい月夜があるんだろうかという感じだったし、オラーネ・ヴェルネ「死の天使」なんか女のひとが昇天するときに空から射す光がほんとうにきれいだし、ピエール=ナルシス・ゲラン「モルフェウスとイリス」なんか遠くから見たら絵画が聖なる光を放っているとしか思えないし、ジュール・ルフェーベル「洞窟のマグダラのマリア」なんか遠くから見たらマグダラのマリアの身体がほんとうに光っているし、いったいなんだったんだろう!
 それから下北沢までいって、藤野さんに連絡したけれど返事がこないでどうしたんだろうと思っていたらきて、「ドトールで寝てました!」と書いてあって、びっくりした。そのあといっしょにBASEMENT BARまでいった。途中で「わたし気づいたらバルカン半島いくことになってました!」と言われた。「なにしにいくの?」と訊いたら「わかりません!」と答えた。「どれくらいいくの?」と訊いたら「半年から1年から2年!」と答えた。「紛争地帯じゃないの?」と訊いたら「国家が主導で奴隷売買してるんですよ!」と答えた。死んだなと思った。ライブ会場につくと「お金がない!」と藤野さんが言ったのでお金を貸してあげた。ライブを見た。最初、THE BOYS&GIRLSのドラムのひとがひとりでてきてすごいことをやっていた。「僕、誕生日ケーキ盗まれたことがあるんですよ!」とか、「僕が歌うときににゃーんてやってくださいね。だいじょうぶです、僕がいちばん恥ずかしいんですから!」とか、「あれ、みなさんもう僕のこと飽きました? もう僕のこときらいになりました?」とか言っていて、このひとすごいなと思った。次が大森さんで、大森さんはまるで大森さんのようでいてたいへんかわいかった。そのアイドル然とした踊りはいかがなものだろうと思ったけれどかわいかったからなんでもよかった。彼女はたとえばこのまえ自分撮り満載のアイドルブログをはじめてそれからたぶん1ヶ月もたたずに「あきました。すいません」とだけのこしてブログ記事を全消ししていたけれどかわいかったらなんでもよかった。大森靖子の表現のやりかたは、たぶん三角みづ紀さんにいちばん近いと思う。大森靖子は肉体的な痛みや肉体の破壊と精神の破壊がおなじありかたであらわれてくるような歌をうたうけれど、それは、たとえば、どうあってもしたへしたへと落ちていくように見える戸川純とか、椎名林檎とか、あるいは金原ひとみとかとはちがうように見える。それはほとんど現代的な病かもしれないけれども、どこかしら希望みたいなものが見えると思う。三角みづ紀さんの詩にあらわれてくるのは極限的な肉体への痛みと、それよりもはるかにちいさなひとしずくのちいさな白い希望で、それでも、白い希望は薄く薄く極限的な肉体への痛みをつつみこみ、そのつつまれた状態をさして、彼女はしあわせだと呼ぶことができているように思う。白い希望は薄皮のようなものかもしれない、なにかのはずみでべろりとはがれ、痛々しい中身があらわれてしまうかもしれない、だからこそ、それをしあわせだと呼ぶことができた彼女をわたしは息をとめられてしまうほどに美しいと思う。「世界っていうのは毎日壊れているんですね、でも次の日には再生して、わたしはその再生した部分について歌うしかないんですね、ということを、わたしはさいきん考えています」と彼女はその日語った。ちいさな再生を歌う彼女はだから、たぶん、美しいと思う。そのあとででてきたひとたちは新聞紙のうたを歌っていた。そのあとのひとたちはアイドルだった。でも全員男だった。そのあとはTHE BOYS&GIRLSでそのあとはパンクバンドだった。
「はらへりーにょ」と藤野さんは言って納豆巻きを買って食べていた。帰った。
 キム・サン、ニム・ウェールズ「アリランの歌」を読みおわった。革命家の伝記だった。革命ってちょうかっこういいなと思った。




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