スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

Mrs.fictions「花柄八景」@Box in Box THEATER

2012.08.23(21:29)

台風クラブ [DVD]台風クラブ [DVD]
(2001/06/22)
工藤夕貴、大西結花 他

商品詳細を見る

 8月19日(日)

(相米慎二「台風クラブ」の結末についてふれています)
 朝に奇跡が舞いおりて8時30分に起きて、高田馬場までドストエフスキー「永遠の夫」を読みながらがてんがてん電車に揺られて、早稲田松竹で相米慎二「台風クラブ」、「お引っ越し」を見た。
「台風クラブ」はわたしはちょっととんでもない傑作だと思うけれど、それは、この作品を見ていてもなんだかなにもかもがよくわからないからだと思う。それはわからないということがわからないということそのままに描かれていて、というより、たぶん、ほとんどの映画というものはわからないということすらもなんとなくわかるように描かれているんだと思う。でもけっきょくのところそれは映画のなかの話だけじゃなくて、現実においてもわたしたちはあたりまえにわからないということをわからないままに抱えていて、かりに、そのわからないということが映画のなかのなんらかのわかりやすさで消化されてしまうとしたら、それは映画にとってもわたしたちにとっても不幸なのかもしれない。わからないということがわからないままに描かれている、というのは、たぶん、ものごとが起きるようにしか起きない、ということだと思う。この映画のなかで、台風で閉じこめられた学校のなかで、ひとりの男の子が女の子を追いかけまわす。彼は「俺、どうしたらいいんだよ?」と女の子に問いかけて、女の子が職員室に鍵をかけて閉じこもったあと、「お帰りなさい。ただいま」とくりかえしつぶやきながら、その扉を蹴りつづける。ここでこわいのは、見ているわたしたちにとって彼がけっきょくのところその女の子をどうしたいのかわからないということだ。そして主人公の三上にいたっては、夜明けの教室のなか、「俺、わかったんだ。生と死は表裏一体なんだよ。厳粛な生は厳粛な死をもってしか生きられないんだよ」と一夜をいっしょにすごしたひとたちに向かって言い、そしてその直後、「これが死だ!」とさけび教室の窓から飛びおりて死んでしまう。彼の自殺は「厳粛な死を見せつけ友達たちになにか熱に浮かされたような生ではなく厳粛な生としての生きかたの可能性を見せつける」というふうに理由づけみたいなものはできるかもしれないけれど、問題になるのは、理由づけや意味みたいなものをなんらかの行為をくっつけたとしても、それでなにかがほんとうにわかるわけではないということだと思う。だから、生きる意味とか、わたしはそんなものはべつになくてもいいと思う。これは映画の問題だけではたぶんない。言葉というものが他者になんらかのことがらについて明確に伝えるためだけのものだとはわたしは思わない。意味や理由という概念を知ってそれを無意識のうちにたぐりながら生きてきたかもしれないわたしたちにとって、だれかにわたしたちの抱えているものを非意味や非理由として伝えたいと思ったときにすら、言葉は美しい。もしも三上の死をわたしたちが見たことによってわたしたちに厳粛な生を生きる可能性がほんのわずかでも生まれたとしたら、それは、三上がわたしたちに伝えた理由や意味によってではないとわたしには思える。そしてわたしが映画を見たり小説を読んだりするのも厳粛な生を生きるためかもしれない、とも。
「お引っ越し」は後半ファンタジーになっていくのがびっくりした。炎がきれいだった。おもしろかったけれど、あとはとくに感想はない。
 高田馬場をゆっくりと歩き、池袋までいって、池袋をゆっくりと歩いて、Box in Box THEATERまでいってMrs.fictions「花柄八景」を見た。わたしはMrs.fictionsは好きで、おもしろいと思うし、この作品ももちろんおもしろかったけれど、なんとなく、これでは「15 Minutes Made」でやっている小芝居の延長でしかないように思う。というより、むしろ1時間の作品にしたことでより小芝居感がつよまっているように思う。1時間の作品でも、たとえばチェルフィッチュ「女優の魂」はわたしには小芝居のようには感じられない。見ているあいだはおもしろいと感じられるけれど、見おわったあとの深い満足感はないように思う。Mrs.fictionsがなにを目指しているのかわからないし、なにを目指していてもいいけれど、わたしには15分の作品を見たときの感覚と1時間の作品を見たときの感覚がおなじだということはほとんど信じられない。あるいは彼らの15分の作品がすばらしすぎるのかもしれない。けれど、わたしにはどうしても15分の作品を60分間やりました、というふうにしか思えなかった。もしもかりにそういうことがおこなわれているとしたら、それは15分間の感覚の絶え間ないリピートにすぎない。見ているひとたちは舞台にでているひとたちがちがう台詞をしゃべってちがう動きをしているからそうとは感じられなかっただけで、彼らは、ほんとうはあの1時間のあいだに15分の作品を4回くりかえしていただけなのかもしれない。北川未来がかわいかったのでなんでもいいといえばなんでもいいけれど。
 そのあとベローチェにいって日記を書いたり小説を書いたりした。


 8月20日(月)

 会社にいった。クワズイモちゃんとあとなんだか名前をわすれちゃった植物の葉っぱが黄色くなって枯れかけていてたいへんなので、土とか肥料とかを買って帰った。
 なぜかほとんど眠れなかった。


 8月21日(火)

 朝起きたら8時37分だった。そんなばかなと思って8分で支度をしててってけてってけ会社にいった。1分まえについた。あぶなかった。
 デイリーヤマザキで天丼を買ったらそれがすごかった。ころもがびよんと横にひろがって面のはんぶんほどをしめているえびてんが3つもはいっていて、ころもばっかりもしゃもしゃ食べて、しかもぜんぜんちっともおいしくなくてびっくりした。
 クワズイモちゃんとあとなんか名前のわからない植物の植えかえをして、安川奈緒「MELOPHOBIA」を読んでから眠った。


 8月22日(水)

 会社にいった。それで5時に帰った。ドトールにいって小説を書いたり日記を書いたりした。
 家に帰って、会社の飲み会の予約をして、「虚構に咲くユリ」をクリアした。おもしろかった。神聖かまってちゃん「みんな死ね」を聴いた。「つまんね」が手をぬいているんじゃないかと思えるほど、こっちは好き。


 8月23日(木)

 会社にいった。仕事をした。仕事以外はとくになんにもやらなかった。




コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/1046-709957e2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。