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ぬいぐるみハンター「ゴミくずちゃん可愛い」@王子小劇場

2012.08.28(23:22)

8月32日へ8月32日へ
(2011/08/31)
神聖かまってちゃん

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 8月26日(日)

 朝起きて、「ゆめにっき」をやりはじめたけれど、ちょっとよくわからなくて2時間くらいでやめて、あきらめてドトールにいって小説を書いていた。そのあと電車にのって王子までいって、ぬいぐるみハンター「ゴミくずちゃん可愛い」を見た。わたしはなにがおもしろいのかさっぱりわからなかったけれど、同時に、なにがおもしろくないのかもさっぱりわからなかった。ただわたしはこれは演劇じゃないと思った。ただひとがどたばた動いてなにかせりふをしゃべっているだけだと思った。そして、演劇というものもまたただひとがどたばた動いてなにかせりふをしゃべっているだけのものなんだと思う。たとえばロロなんかひとがどたばた動いてなにかせりふをしゃべっているだけだと思う。チェルフィッチュなんかどたばた動きもしない。ほとんどおなじことをしているのにそれが演劇であったり演劇でなかったりするということは、彼らがおかしいか、あるいはわたしがおかしいかだと思う。ゴダールは「自分の1日をまずカメラで撮ってみるといい。そしてそれが映画になっているかどうかを見てみればいい。もしそれが映画ではなかったらもう映画をあきらめるべきなのに、そうしないひとがあまりにもおおすぎる」というようなことを言っていた。ただ、わたしはそれが才能みたいなものに関係するとは思わない。すくなくともわたしたちは明日撮ることだってまたできると思う。けれど、明日撮られた明日を昨日撮られた昨日を見たひとがまた見てくれるかどうか、わたしは知らない。首を吊らない首吊り芸人の芸を毎日見ることはやさしさなんだろうか。そして、首吊り芸人がほんとうに首を吊ったとき、見るのをやめたひとははたして見にきてくれるんだろうか。たぶん、首吊り芸人がほんとうに首を吊ったのをだれかが見にきてくれたのなら、それは、それが芸ではないからだろう。
 家に帰ってティム・オブライエン「世界のすべての七月」を読んで眠った。


 8月27日(月)

 会社にいった。それから仕事をした。夜、会社からでたとき花火の音とにおいがして、花火だ思って見ていたけれど、わたしの見ていた方向とはまったく逆の方向で花火はあがっていた。脳味噌がわるい!
 ドトールにいって小説を書いて、それから帰った。神聖かまってちゃんの「ねこラジ」がかっこうよくていっぱい聴いた。K課長に借りた「バクマン。」の16巻と17巻を読んで寝た。


 8月28日(火)

 会社にいった。それから仕事をした。そのあとで帰った。
 帰りにモスバーガーによって小説を書いた。そのあとでほんとうに帰った。




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