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ヨッシ・ヴィーラ―「皆殺しの天使」@東京芸術劇場

2012.11.21(21:57)

レインわが半生―精神医学への道 (岩波現代文庫―学術)レインわが半生―精神医学への道 (岩波現代文庫―学術)
(2002/02/15)
R.D.レイン

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 11月4日(日)

 そとにでかけようと思ったけれど、うっかり家のなかでうだうだしてしまったので、そとにでかけられなかった。
 しかたなく、フリーゲームをあさってvivid calm「ひよこ侍」をやってクリアした。わたしは鬱ゲーがやりたくて、「ひよこ侍」は鬱ゲーだ、鬱ゲーだと言われているけれど、そんなふうでもなかったと思う。やっぱり問題はキャラクターの心情をどう描くか、その演出部分なんだと思う。それからフリーゲームをあさってDarkworldSoft「涅槃」をやってクリアした。わたしはこっちのほうが鬱ゲーだと思う。「涅槃」のテキストはかなりゲーム的だと思う。「なんてことだ!」とか「地獄そのものだ!」という、ありえないせりふが頻出していて、しかも、そのせりふが独白なのかこころのなかの言葉なのかが区別されていない。重要なところは、独白なのかこころのなかの言葉なのか区別されていないということで、それは、ちらつくドット絵の世界のなかに溶けこんでいる。そして、言葉のそういうしゃべられかたに耐えられている以上、これはゲームなんだと思う。そのあとフリーゲームをあさってnoprops「青鬼」をやってクリアした。青鬼はタンスに隠れるとやりすごせます、と書いてあってから、青鬼に見つかったらすぐにタンスに隠れていたんだけれど、青鬼にタンスを開かれて死んでばっかりで、「???」と思った。青鬼がいないところで隠れなくちゃいけないんだなと、5回くらい死んだあとでようやくわかった。そのあとフリーゲームをあさってRinBu「操」をやってクリアした。「操」は立ち絵グラフィックと操作画面のドット絵グラフィックがあんまりあっていないところをのぞけば、とてもおもしろいと思う。わたしみたいにつるつるの脳味噌をしているにんげんには「青鬼」の暗号みたいなものはそもそもとけないので、もうめんどうくさくなって攻略サイトを見ながらプレイするというもっともしてはいけないプレイをしちゃうんだけれど、「操」はゲーム内で図書館さんがていねいにヒントをくれるので、それを見ていろいろなところにいけば自分の頭だけでクリアはできる。基本的に死にゲーで、廊下に落ちている紙をひろえば死ぬし、電話の横をとおりかかったときちょうどかかってきた電話の音で驚いて死ぬし、選択肢をまちがえてもだいたい死ぬのだけれど、ワンボタンでクイックセーブができるため、死ぬということについてほとんどストレスはない。そうやってひとつひとつがていねいにつくられていて、けっきょく、そういうものがゲームセンスとかゲームの価値とかに直結していく。ひとが無意味に殺されていくのもすばらしかった。
「操」をクリアしたところでだいたい深夜の1時をまわっていたので、R・D・レイン「レイン わが半生」を読んで眠った。これはレインの自伝といってもいい本で、だいたいわたしは自伝なんてだいきらいなんだけれど、とてもおもしろいと思う。


 11月5日(月)

 会社にいった。家に帰ってR・D・レインを読んで眠った。


 11月6日(火)

 会社にいった。家に帰ってR・D・レインを読んで眠った。

 
 11月7日(水)

 会社にいった。ドトールにいって日記を書いたり小説を書いたりした。

 
 11月8日(木)

 会社にいった。11月8日の日記を書いているわたしは11月21日のわたしで、だからなんにも覚えていない。11月8日から11月21日までなにをやっていたのかというと、会社にいって、土日にときどきゲームをして、それからただひたすらフリーゲームで遊んでいた。
 この日はたぶんショウ「月夜に響くノクターン Rebirth」をやっていたんだと思う。


 11月9日(金)

 会社にいった。もう想像で書くことしかいまのわたしにはできないでいて、過去のわたしを想像して書くことと未来のわたしの想像して書くということに、いったいなんのちがいがあるんだろうと思う。すぎさってしまった時間たちがたしかにありえたものだと信じる根拠はなにもないし、これから流れてやってくる時間たちがありえるものだと信じる根拠もまた、ない。
 たぶん「月夜に響くノクターン Rebirth」をやった。


 11月10日(土)

 なんとか朝に起きて、ヨッシ・ヴィーラ―「皆殺しの天使」を見た。朝の4時までふつうに「月夜に響くノクターン Rebirth」をやっていたせいでほとんど寝ていた。眠って、それでもわたしにはふっと起きる瞬間がいくつもいくつもあって、その瞬間のたびに、舞台のうえのひとが服を着ていたり、裸になっていたり、またちがう服を着ていたり、また裸になっていたり、ものを食べたりしていた。よくわからなかった。ひとつ気になったのが食べものの食べかたのことで、舞台のうえのひとたちはピザを食べていたけれど、彼らはピザにたしかにぱくついているのにそのじつピザをぜんぜん食べていなかった。ピザのひときれなんか10秒とか20秒とかあれば食べられてしまうはずなのに、彼らは、理由はわからないけれど、ピザを食べながらしゃべっている数分間のあいだ、ほとんどピザの分量を減らさなかった。実際には食べていない。それは現実的なリアリティを欠いている。ただ、わたしの考えだと、リアリティと呼ばれるものはある種の空間、時間、表現にたいして呼応して表出されるようにしかありえなくて、だから、現実的にものを食べるように舞台のうえでものを食べないということがらひとつだけをとりだして「リアリティがない」と言うことはあんまりにも暴力的すぎるんじゃないのかなと思うけれど、それでも端的にいってその食べかたからわたしが受けた印象は「リアリティがない」ということだった。演劇には演劇空間、演劇表現のなかでこそあらわれるリアリティがあって、それが発揮されていない演劇はほとんど空虚でおそらく見るべきものはほとんどなにもなくなってしまう。彼らはいったいどんなふうにそのピザを食べればよかったんだろう? 現実にピザを食べるように食べるというやりかたはたしかにひとつの手段としてありえていて、でも、よくよく考えたらわたしは現実にものを食べるように舞台のうえでものを食べている演劇をひとつも見たことがないのかもしれない。なにかそういう約束事でもあるのかな。よくわからない。わたしはだいたいいつもよくわからない。
 眠ってすっきりしたところで、高円寺にもりもり向かって、駅で管城さんと待ちあわせて円盤に向かった。管城さんはもりもり服を着ていて、「いまからそんな重装備でどうするんですか? 冬になったらどうするんですか?」と訊いてみたら、「いま冬ですから」と言われた。知らなかった、と思った。彼女はめがねっこになろうとしていたけれど、「めがねじゃま!」と言ってなれなかった。ジョニー大蔵大臣のイベントだったから、ジョニー大蔵大臣を見にくるひとなんてほとんどいないだろうと思っていたけれど、ジョニー大蔵大臣を見にくるひとは意外にもたくさんいて、わたしたちは立ち見だった。「立ち見だなんて、生まれ変わっちゃうかも」と管城さんはよくわからないことを言っていた。ジョニー大蔵大臣のイベントなのにジョニー大蔵大臣が飲み物をつくっていてよくわからないなと思っていた。いろいろなひとがライブをしたり踊ったりお祓いをしたあとで、さそり監督「ひなげし」がはじまって、わたしはそれを見た。ジョニー大蔵大臣はもう40間近なのに高校生の役だった。映像もきたないし、でているひとたちは全員せりふを棒読みしているし、廃いよー子はいきなり河童になったりしていて、だいたいぜんぶよくわからなかった。おもしろくないとは思わないけれど、おもしろいとも言えないように思う。ただの高尚思考かもしれない、でも、これがもしもかりにおもしろいものだとしたら、タルコフスキーやアンゲロプロスのやっていたことはどうなってしまうんだろうと思った。あるいはそれはたんにジャンルの問題かもしれないと思う。きっと、「ひなげし」みたいな映画のジャンルをあらわす言葉はこの国にはないし、すくなくともわたしは知らない。もっといえば、たとえばジョニー大蔵大臣のやっている音楽をあらわすジャンルもたぶんない。ウィキペディアにはパンクと書いてあるけれど、わたしにはいったいなにがパンクなのかよくわからない。そして、たいていの場合、ジャンルというものに分類できないものはほそぼそと生きていくしかない。現代詩というものがすくなくともわたしにとって現代詩手帖というひとつのジャンルのなかにしかありえていないように見えるのと、おなじように。
 映画が終わって、ジョニー大蔵大臣がライブをやって、それから管城さんとてくてく歩いて、お魚とお鍋を食べた。鯖を食べた。鯖はとてもおいしいのでなんて偉大な生きものだと思った。ほとんどのにんげんはにんげんではなくて鯖になったほうがいいんじゃないのかなと思った。あとはお鍋を食べて、お鍋はとてもおいしいのでなんて偉大な生きものだろうと思った。ほとんどのにんげんはにんげんではなくてお鍋になったほうがいいんじゃないのかなと思った。管城さんは「明日も仕事です」と言っていたのでかわいそうなひとなんだなと思った。あと「終電が11時すぎです」と言っていたのでかわいそうなひとなんだなと思った。かわいそう。帰った。




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