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ポツドール「夢の城 Castle of Dreams」@東京芸術劇場

2012.12.03(23:19)

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(2011/04/12)
三浦大輔

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 11月24日(土)

 ずたずたと起きて、どてどてと電車にのって池袋まででかけて、ポツドール「夢の城 Castle of Dreams」を見た。すべてを見たわけではないけれど、きっと、今回のフェスティバル・トーキョーではこの作品が最高だったと思う。ものがちがいすぎるように思う。照明がまずすばらしいと思う。とても自然なやわらかい、あまりにもリアルであまりにも美しい光が窓から射しこんでいた。朝の光も、昼間の光も、夕暮れの光も、そして蛍光灯の薄い牛乳のような光も、それぞれの光のやわらかさや手ざわりがありありとちがうように見えた。それらの光はつくりこまれたものなのかもしれない、ちいさな窓を通してのみ放射される奇跡のようなものなのかもしれない、でも、そういう光を舞台のうえで見ることがほとんどできないことをわたしは多少なりとも知っているように思う。ここにでてくる登場人物たちはだれもおたがいにしゃべらない。7人や8人でいっしょに住んでいるのにもかかわらず、すくなくとも劇中で彼らはひとことも会話を交わさない。そして、それは演出上のことではあるにしろ、ほとんどごく自然に会話を交わさない関係ができあがっているように見える。わたしはこの演劇にでてくるようなひとたちとはいっさいかかわりは持たないし、持とうともしない。彼らはわたしにとってほとんど嫌悪の対象でしかない。彼らを見ているとわたしはどうしてこんなくずみたいなにんげんたちが地球上で生きているんだろうと思う。それほどまでにわたしは彼らの生態が理解できないし、理解したいという欲求すらもない。わたしは彼らが檻のなかにはいっているように感じられた。ちょうど、宇宙人にさらわれた地球人が宇宙船のなかで生態観察の一環としてたくさんの宇宙人に監視されながら性交を交わしあうような、彼らはわたしにはそんなふうに見えていた。問題は彼らが地球人であってわたしが彼らの生態を観察しようとする宇宙人であることだと思う。彼らの生態はわたしにはほど遠く、彼らがどんな行動原理やどんな意志をもって生活を営んでいるのか、わたしは「知識」としてそれらを「観察」するしかない。そのとき、彼らとわたしのあわれさはほとんど逆転して、彼らに価値が生まれ、わたしを無価値な場所へと落としこんでいく。彼らにはほとんど「知識」や「知恵」なんかはないよう見える。だからわたしはそれに対抗するために「知識」や「知恵」を武器にするしかない。そして、その「武器にするしかない」というありかたそのものじたいがわたし自身への虐殺となるようにすら思う。きっと、おそらくだけれど、ひとはだれでもコミュニケーションしたいという欲求を持っていると思う。だれかに話しかけたいとか、だれかとふれあいとか、だれかの言っていることを理解したいとか、自分の言っていることを理解してほしいとか、そういう欲求を。けれど彼らには見かけ上ほとんどその欲求は欠如しているように思う。彼らはひどく動物的であって、あるいは彼らにとって彼ら同士はほとんど動物的な「もの」でしかないようにすら見える。それははっきり言えば彼らがにんげん的ではないからだと思う。彼らはにんげん的だと呼ぶにはあんまりにも愚鈍で、あんまりにも疲れきってしまっているように見える。彼らはなにひとつ生産しないし、まわりにあるものや性的なものをただただ性的に消費していくことしかしていない。逆説的にいえば、にんげん的であるということは生産的なことだと言えると思う。ただ彼らはあまりにも性的な消費のなかにどっぷりはまりこんで、それが汚い糸のようにむらむらとからまりあっていて、消費の循環から抜けでられないように思う。彼らにはその消費の循環についてほとんどなにかを志向しようとする意志すら持てないように思う。この演劇の最後で、この共同体を支えている感じの女のひとが布団のなかで泣きだしてしまう。彼女はなにがかなしいのか、わたしにはわかることはできない。彼女がただ消費を循環するだけの日々を悼んで泣いているとわたしが断定するということはほとんどこの世界に存在する美しいものを破壊しつくしてしまうような気持ちがする。わたしは思うけれど、重要なことは「わからない」ということだ。そして「わかる」ということはたがいにコミュニケーションをはかるということなんてまるで前提とはしていない。消費すること以外をなくしたわたしたちの生のなかで、救いですらない救いに似たものというのはもうそこしかないし、わたしはそれを描きだしたいと思う。




コメント
恵藤憲二朗と申します
この日記はためになりますね。
また来ます。
【2012/12/10 12:24】 | 恵藤憲二朗 #TY.N/4k. | [edit]
恵藤憲二朗さん

ためになるんです。
なんていったって
ほんとうに宇宙人になる方法が書かれた
唯一無二のブログです。
じつは。
【2013/01/07 23:36】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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