スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

TOKYO EARTHDOM 1@EARTHDOM

2013.03.21(22:55)

魔法が使えないなら死にたい魔法が使えないなら死にたい
(2013/03/20)
大森靖子

商品詳細を見る



 3月10日(日)

 がんばってお昼すぎには起きて、泥棒かささぎを吹かないでパスタをゆで、パスタを食べて、それから新大久保に向かった。管城さんとは16時30分に待ちあわせをしていて、ライブの開場が17時30分だったのにどうしてそんな中途半端な時間に待ちあわせをしたのかといえば、新文芸座で「おおかみこども」をどうしても見たかったからなのだけれど、おきたときには「おおかみこども」はとっくに終わってしまっていた。雨がやんだり降ったりするのをぼんやりながめていたらわたしがのるはずだった電車はいってしまって、管城さんに「遅れます」と言ったら「ばーか!」と返ってきた。ひどい、と思った。新大久保駅についたら管城さんはいなかった。ごちゃごちゃになったひとたちのなかでたたずんで待っていたら管城さんがひょっこりあらわれて「なんでわたしよりさきにきてるんですか!」と怒られた。ひどい、と思った。
「なにか食べたほうがいいと思います」と言われて、それから「できれば日本人のひとがいる店がいいです」と言われた。「ここは日本なのになんでそんな限定するの?」と訊いたら「ここは韓国なんです」と言われた。まわりを見わたしたらほんとうにそうだった。どこもかしこも韓国で、韓国は新宿からわずか10分のところにあるということをはじめて知った。いままで飛行機で2時間くらいかかると思っていたのが恥ずかしい。韓国のなかで非韓国的なサイゼリヤにはいって、韓国人の店員に導かれて、ミラノ風ドリアとピザとほうれん草を食べて、白ワインを飲んだ。わたしはサイゼリヤではミラノ風ドリアしか食べない。わたしはイタリア人だからだ。海上からライブハウスをながめたという話を聞いた。
 それから新大久保アースダムにいって、ライブを見たり聴いたりした。大森靖子のファーストアルバムが先行販売されていたから流行に敏感なわたしは先行して買おうと思った。売場に座っていたひとたちに「あの…これ…」と言ったら「え、これどうしたらいいんだろう」ととまどわれ、「本人がくるまで待ってください」と言われた。もどって管城さんに「本人がくるまで買えないんですって」と言ったら「本人からは買えない!」と言われた。ふうむ、と思った。
 最初のひとたちは知らないひとたちで、すべて終わっても知らないままだった。そのあとはTHEピンクトカレフだった。わたしは大森靖子としてのライブを見たことはおそらくきっと2回くらいあるはずだけれど、ピンクトカレフとして見るのははじめてで、ちょっと、ほんとうにびっくりした。その次のひとたちは知らないひとたちで、すべて終わっても知らないままだった。ずっと見ているとしんどいのでバースペースにいって煙草を吸ったりお酒を飲んだりしていた。わたしはしんせつだから管城さんに「とんじるが売ってますよ」と教えてあげた。でもそれはうそだった。とんじるではなくてせんべい汁だった。わたしはとてもしんせつだから管城さんに「焼き鳥が売ってますよ」と教えてあげた。でもそれはうそだった。それは焼き鳥ではなくてちくわだった。肉ですらなかった。しんせつってなんだろうと思った。そのうちに大森さんが売場にやってきて、ファーストアルバムとライブDVDを買った。管城さんはTHEピンクトカレフが終わったらなんだかもう帰ろうとしていたけれど、わたしはほかにうみのてが見たかったから、うみのてを待っていた。つぎがうみのてだろうとあたりをつけてステージがあるところにもどったら、顔中ペイントを塗りたくったひとがでてきた。「へえ、今日は顔にペイントを塗っているんだ」と思ったけれど、マイクにちくわがついているのを見て、だんだんそれがうみのてなのかどうかよくわからなくなってきた。なんだか俺が知ってるうみのてとちがう、と思って管城さんにそう言ったら、調べてくれて、「ちくわテイスティング協会ですよ!」と言われた。だからそれはうみのてじゃなかった。わたしはバースペースまでもどって、管城さんとごにょごにょ話して、それからうみのてを見て、ライブハウスをでた。
 そとは突風が吹きすさび、寒かった。だいたいすべてのものが飛んでいった。かわいそうだった。庄屋にはいってごはんを食べた。寒いから「みそしる的なものが飲みたくないですか」と言って、きりたんぽをもぐもぐ食べた。それから帰った。
 帰りの電車のなかでガストン・バシュラール「空間の詩学」を読んだ。だいたいぜんぶの詩にたいして「この詩はなんと美しいことだろうか!」と言っていた。バシュラールはぼけているのかもしれない。
 家に帰って大森靖子「魔法が使えないなら死にたい」のなかにはいっている文章を読んで、これはいったいどういうことだろう、と思っていた。安川奈緒や最果タヒや久谷雉の詩集のあとがきを読んだときにも思ったけれど、こういう、あきらかにどのジャンルにすら属していない短い文章の持った「主張」の痛々しいほどのつうせつさをどう受けとめていいのか、わたしにはよくわからない。湾岸戦争がはじまったとき、柄谷行人は文学者の集会を開いた。彼は文学というものが現実的問題にたいして無力であることを示そうとした、とあとに語った。高橋源一郎はその集会のなかで「ひとりひとりが『わたしはこの戦争に反対します』という言葉に署名しよう」と言った。もちろん、そこには反対意見もあった。「それだけではわたしの言いたいことはまったくあらわせないから、ひとりひとりが短い言葉をつけよう」と言ったひともいた。でも高橋源一郎はそれを拒否した。「それをつけないことこそが署名なのだ」と彼は言った。重要なことは、おそらく「その署名がまったく無価値でくだらない」ということなんだと思う。大森靖子がやったこともそれと近しいと思う。彼らは湾岸戦争にたいしてなんらかのかたちで署名をした、そしておそらく大森靖子も自身のアルバムにたいして署名をしたんだと思う。柄谷行人は湾岸戦争のような問題にたいして文学は無力であると20年くらいまえに言っている。そして、それは無力であるからこそなんらかの価値を持ちえるという問題すらも排除された徹底的な無力だ、と。大森靖子がここに書きつけた言葉、あるいは安川奈緒や最果タヒや久谷雉らが自らの詩集にあとがきとして書いた言葉は文学としてほとんどとりあげられたことはないように見える。それは、そこに書かれた言葉がすでに言葉としてとりあつかうことが不可能な領域で書かれたからかもしれない。彼らの書いた言葉が湾岸戦争時の文学者の署名とおなじようにまったくの無力であるとして、そして、それにふれるわたしたちがそれらのなかになお価値を見いだそうとするのなら、それらをひとつの行為として見なければいけないように思う。だからそれはもはや言葉ではない。わたしが感じるつうせつさは、おそらく、そのもはや言葉ですらない言葉をわたしが言葉として感情的に描きだすことの悲劇にねざしているようにすら思う。それはもうそれについてなにか描かれることを拒否した場所でぎりぎりになりたっているんだろうと思う。わたしは大森靖子の歌に共感したことは1度だってない。だから、わたしには大森靖子が理解できないし、理解したと思えたことだって1度もない。わたしにはなにもできないし、なにかをしようとも思わないけれど、わたしはそこにとどまりつづけるしかないように思う。
 大森靖子はその日、ステージのうえで「わたしは好かれることをあきらめていない」と言った。「わたしはあなたに好かれたい。あなたに、あなたに、あなたに、あなたに、あなたに、あなたに好かれたい」と言った。わたしには大森靖子はしあわせを求めているように見える。けれど、それはふつうのひとが一般に求めるような空想的なしあわせではまったくないように思う。彼女のもとめているしあわせは最低の状況ではないという程度のしあわせだと思う。


 あの街をあるく
 才能がなかったから
 私 新宿が好き
 汚れてもいいの
           ――「新宿」



 新宿を歩けない彼女がだからこそ新宿が好きだと言うとき、おそらくそこにはしあわせしかない。「汚れてもいいの」というとき、そのしあわせが底辺におしつぶされていくようにあっても、だ。


 帰れないってわかってた
 でもみんなの遊びじゃ退屈で
 おっさんの留守部屋の隅で
 縛られ眠る昼下がり

 仄かなひかりで時々目覚め
 照らされた身体がだらしなく
 いちばんかわいいときの私は
 どうやっていたんだっけな

 夏バテ 夏の果て
 だらしない幸せは
 本物の子供が無邪気に壊すよ

 私は老婆でおっさんは子供
 そうだったのかもしれないね
 私は何も思い出せずに
 目の前の恋をする
           ――「夏果て」




「夏果て」の歌詞はその極限さをもっとたんじゅんに見せているように思う。この歌詞のグロテスクさは、基本的に、子供の夏のあわい郷愁をうたうように一見思わせながら彼女自身を老婆と同一視しているという姿勢からでているように思う。「夏果て」の彼女はすでに喜劇ですらないと思う。過去をふりかえったとしてもそこには破壊されきったなれのはてしかないからだ。監禁するもの、監禁されるもの、という二項対立は「本物の子供」によって破壊されてしまう。それはメタレベルにあるものかもしれない、でも、わたしたちは、すくなくともわたしはそれをときどきは「現実」と呼ぶ。「彼女のもとめているしあわせは最低の状況ではないという程度のしあわせだと思う。」とわたしはさっき書いたけれど、それは、そこにあるしあわせをしたから見るかうえから見るかのちがいでしかないかもしれない。けれど、重要なことは、おそらく彼女の場所がしあわせのすこしうえとかすこししたみたいな場所でこりかたまってしまっているように見えることだと思う。チェルフィッチュ「フリータイム」、濱口竜介「親密さ(Long Ver.)」にわたしはどこか抑圧みたいなものを感じてしまう。それはきっとサルトルが「ナチスの支配下にあったときわたしたちは自由であった」と言ったことがらたちとはびみょうにちがうと思う。「フリータイム」や「親密さ(Long Ver.)」において、すくなくともそのなかのひとたちはなんらかの極限状況におかれているわけじゃない。「親密さ(Long Ver.)」ではたしかに韓国と北朝鮮のあいだで戦争がおこっているけれど、それに唯一せつじつになれたのは田山幹雄だけだと思う。そして、そのせつじつさにたいして平野鈴は劣等感にちかい感じを抱いているように見える。彼女が演劇直前になってもちっとも「まっとうな」稽古をしようとしないのは彼女がそのような状況のなかですら演劇をするしかなく、そして、演劇というものがそれらにたいしてなんらせつじつではないと気がついてしまったからだと思う。そして、そのとき問題にされているのは演劇ではなく、彼女の日常だと思う。だから、これらの作品で彼らを抑圧しているものがあるとしたらそれはただの日常だと思う。「親密さ(Long Ver.)」はその戦争をへいきで日常のなかに回収しようとしている。それはごくごく物語的にそうなっているように見える。平野鈴もそのなかにあからさまにとりこまれていると思う。彼女がやったのは日常の「再」回復だと思う。日常なんてほんとうはなんにも壊れていないのに、壊れてもいない日常を回復させようとする、グロテスクさだと思う。そして、この映画のなかできわめていちばんグロテスクなのは、むしろ、戦争をせつじつに受けとった田山幹雄が狂気的に見えることだと思う。それは転倒だと思う。もしも田山幹雄が狂気的で、そのほかのひとたちが「あいつ、頭おかしいんじゃねえの」という「日常」へ回帰することで目のまえのできごとを理性的に理解しようとしていたのであれば、彼らはあるできごとにたいして日常を適用して理性をたもっているにすぎない。それはすでに彼らが狂気としての場所にたっているということかもしれない。だから、もうなにが日常だとかなにが非日常だとかを問うことに意味も価値もないだろう。彼らが日常だと思っていることがほんとうに日常だと示してくれるものは彼らの友達や恋人以外にはいないはずで、そして、そのうちのひとりが戦争をせつじつに受けとってしまったとしたら、わたしたちはそれを笑ったり演劇したりするしかないんだから。日常がただたんに日常としてあり、そしてそれが日常であるがゆえにわたしたちを抑圧するのなら、狂気と日常(理性)を問うことに価値も意味もない。だから大森靖子は発狂することもできない。彼女だけでなく、おそらくわたしたちは発狂できない場所からうたいだすしかないんだろうと思う。チェルフィッチュや濱口竜介はそのなかでなおとうとさを描こうとしているように見える。抑圧のさなかに一瞬だけ発露する光は涙がでるほどに美しいと思う。彼らは、そして「現実はこんなにも残酷なのに、どうして僕らはこんなにもしあわせなのだろう」という帯を書いて登場した三角みづ紀も、それをしあわせだと呼びえるのかもしれない。そして彼女たちはそれをしあわせと呼ぶだけだと思う。それがしあわせなんじゃない、彼女がそう呼んだものがしあわせなんだと思う。けれどそれをしあわせだと呼ぶことができないひとはどうしたらいいんだろう。
 大森靖子がやっていることはおそらく無限の遅延だと思う。なんらかのしあわせをしあわせと呼ぶことを極限で回避しつづけるような、血まみれの闘争だと思う。わたしはそういうことをやっているひとをほかに知らない。

 3月11日(月)

 会社にいった。
 家に帰ってせっせと小説を書いた。


 3月12日(火)

 会社にいった。
 冷蔵庫ってどうやって捨てるんだろうと思った。あんな重いもの、ひとりでは持てない。
 家に帰ってせっせと小説を書いた。


 3月13日(水)

 会社にいった。
 家に帰ってせっせと小説を書いた。


 3月14日(木)

 会社にいった。
 家に帰ってせっせと小説を書いた。


 3月15日(金)

 会社にいった。
 家に帰ってせっせと小説を書いた。


 3月16日(土)

 おやすみだった。はやく起きよう、はやく起きようと思っていたけれどそんなことはむりだった。


 3月17日(日)

 おやすみだった。はやく起きよう、はやく起きようと思っていたけれどそんなことはむりだった。


 3月18日(月)

 わたしの会社では5連休を1年のうちの好きな時期にとることができるようになっていて、そして、いまさらになっておやすみをとった。ひゃっはーと思った。というわけでおやすみだった。
 病院にいって、ドトールにいって柄谷行人「ヒューモアとしての唯物論」を読んで、家に帰ってせっせと小説を書いた。


 3月19日(火)

 うっかり夕方の5時まで寝てしまった。「夕方5時はおそろしい」と「気狂いピエロ」のベルモンドは線路のうえでぶつぶつ言っていたけれど、彼はこういうときのわたしの気分を代弁していたのかもしれない。
 ドトールにいってバシュラールを読んで、日記をせっせと書いた。




コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/1070-7dfc3931
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。