スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

私はとても意地悪で醜い。

2008.08.25(09:00)

 いつだったか、私は自分の文章が途方もなくへたくそだ、ということを知った。世の中には明らかに文章のうまい人がいて、その人たちに比べても私はある程度まで文章が書けるんじゃないのという無根拠で幼稚な思いこみがあったけれど、そんなものはやっぱりかんちがいだった。世界は甘く遠く、私はすぐに息継ぎをしてしまい、ほんのちょっとの息継ぎのあいだでいつの間にかすっかり後ろに流されてしまっていた。自分が向かおうとしていた理想からすっかり遠ざかり、うっかり後ろをふりかえるとかつて自分が住んでいた町の夜の明かりが見えて、私はすとんと絶望に落ちる。
 貞奴の『日本語のレッスン』という詩集に吉本ばなながあてた「すいせんの言葉」が大好きで、たまにかび臭いダンボールからひっぱりだして読んでいる。他者にあてた言葉に吉本ばななの優しさがにじんでうっとりする。私はこれを自分の部屋の陽だまりのなかで読んだのだった。窓のそとでは北風が吹いていて、私はかさかさの指でかさかさのページをめくっていた。私の部屋の窓からは駐輪場が見えた。北風はときどきそこに並んでいる赤色や銀色の自転車をがしゃがしゃと倒していて、私は自転車の倒れる音がするたびに立ちあがって窓から眺め「私の自転車はまだ倒れてないな」と確認していた。あたかかく武装した女の人やあまりあたたかそうではない男子高校生がそこから自転車をひっぱりだし、まだ低い太陽のほうに向かってこいでいった。
 私はそのとき自分がとても意地悪で醜い人間だと思った。私は他人のために文章を使ったことが一度もない。本なんて。私は一度でいいから本を高窓から遠い場所へ投げてみたかった。自分の内面にこもり、そこに群生している花にも似た黴に恍惚とし、それを愛でてばかりいた。私はその花に自分でももったいなくて飲めない清水をあたえ、その花にばかり語りかけ、ずぶずぶとページのなかに埋もれていったのだった。
 よくないやりかただというのは知っていた。苦しい。私は、どうして私がここにいて、ほかの人があっちのほうにいるのか、よくわらないままだ。だから私はもっとべつの場所に移動しようとして、たとえばほかの人の背後にある場所に移動しようとして、なんだか、とても大切なものをやりすごしてきたように思う。
 私はとても意地悪で醜い。





コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/1072-711f2825
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。