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解放区

2010.01.14(08:22)

 目覚ましの音に気づいたとき、すでにのび太くんの手には拳銃がにぎられていた。「そうか、俺は…」。彼の目のなかで足のない魚が泳ぎ、窓の向こうの遠い屋根には光が垂直にそそがれていた。まだ暗い階段を降り、生卵に生醤油をかけて食べ、のび太くんは鉄のようなドアを開けてそとに飛びだした。うららかな午後だった。白くひからびた虫が飛び、やさしい幽霊のようなビニール袋が空中をさまよっていた。
「のび太!」
 するめいかをくわえたジャイアンが坂を転がりおちてきた。彼は割れた一升瓶を手に持ち、赤い顔をして、ときどきげろを吐いていた。やつは俺を殺そうとしている。のび太くんは一瞬でそれを理解した。
「のび太!」
 ジャイアンはさけんだ。両手の指にはめられた九つの金の指輪が白い光を放っていた。のび太くんは彼の眉間に銃口を当てた。
「酒くさい息を吐くな」
「のび太!」
「酒くさい息を吐くなと言ったんだ。豚野郎」
「のび太!」
 のび太くんがジャイアンに拳銃をつきつけた様子は全世界にテレビ中継されていた。世界のすべてのひとがのび太くんの歪んだ顔と、黒蟻をむりやりくっつけたようなジャイアンの顔を眺めていた。電波には二瘤駱駝が乗り、その上にはアラブの石油商が乗っていた。彼はただ世界のたくさんのひとに石油を売り、たくさんの幸せをばらまきたいだけだった。
「俺はおまえの天国じゃないんだよ」
 のび太くんはジャイアンに言った。のび太くんの拳銃は彼の血液とぬくもりを奪い、静かに怒張していった。誰かが怒っていた。自衛隊がのび太とジャイアンをとりかこんだ。
「テロ行為はやめなさい」
 自衛隊が言った。彼らはガスマスクをつけ、美しい盾を持ち、唇には薔薇をくわえていた。彼らは世界でいちばん美しくあろうとした。そして世界を救いたかった。このとき、ちょうどアメリカに核が落ち、ワシントンが消えてなくなった。死の灰が海を渡り、遠いフランスの街が暗黒に支配され、フランス人は自分たちの目を一生懸命にえぐっていた。
「おまえは豚だ」
 のび太くんはジャイアンの口のなかに銃口をつきいれた。
「あがががが」
 ジャイアンはそう言った。
「おまえが俺にやってきたことを、おまえは美しい精霊のように受けいれるべきだ。何をやってもうまくいかないだめなにんげんである俺の気持ちがおまえにわかるか。どんなに勉強しても0点しかとれないにんげんの気持ちがおまえにわかるか。勉強しようと思って机に向かったとたん眠りこんでしまう俺の気持ちがおまえにわかるか。自己嫌悪を陰毛のようにぶらさげて生きる俺の気持ちを想像したことがいっかいだってあるか。俺は勉強したくないんじゃない。勉強できないんだ。どんなにやろうと思っても何かをやることができないにんげんの気持ちがおまえにわかるか。すべてにたいして本気になれないにんげんの気持ちがわかるか。女の子を愛の対象ではなく性の対象としてしか見ることのできないにんげんの気持ちがわかるか。どうしておまえはにやにや笑いながら俺を殴るんだ。どうしておまえは俺に暴力をふるうんだ。どうしておまえが屑ではなく俺が屑なんだ。どうしておまえがテロリストではなく俺がテロリストなんだ。そんな関係でいながらどうしておまえは俺を友達だと思えるんだ。俺はおまえを友達だと思ったことは一度もない。ただおまえが俺を友達だと呼ぶから俺はそういう関係を友達関係だと思ってしまっただけだ。俺はおまえのせいで正常な人間関係すらわからなくなってしまったよ。おまえは俺の頭を殴りすぎたんだ。おまえは俺にたいしてすべてを要求していたんだよ」
「あがががが」
 ジャイアンの唇の端からよだれが垂れ、枇杷色の服を色濃く染めていった。
「ぺっ」
 のび太くんはジャイアンの顔に唾を吹いた。
「ぺっ。ぺっ」
 のび太くんはジャイアンの顔に唾を何度も何度も吹いた。
「そんなことをしたって革命は起きないぞ!」
 自衛隊がさけんだ。自衛隊は催涙弾と閃光弾を用意していた。120ヵ所にばらけた狙撃手がスコープからのび太くんの眼鏡の奥の冷たい瞳を覗いていた。隊長、だめです。狙撃手はみんな例外なくそう思っていた。ここで起きていることは人類がかつて一度も遭遇したこともない事態です。
「のーびー太ーくーん!」
 テレビを見ていたドラえもんがどら焼きをくわえながらやってきた。彼の口のなかではあんこがまろやかにとろけ、唾液と混ざり、天国を重ねたような甘さになっていた。
「来てくれたんだね」
 のび太くんの眼鏡の奥がきらりと光った。彼はこの瞬間を生まれたときからずっと待っていたように思った。キリストの生誕に立ちあったなら、俺はこんな気持ちになれただろうかとのび太くんは思った。のび太くんのこころのなかに厳かな神殿が建築され、そのなかで処女の花嫁が幸せな婚姻を交わしていた。ふたりが幸せになればいい。のび太くんはこころからそう思った。
「あがががが」
 ジャイアンはそう言った。ドラえもんは全力で走ってきたので、息が切れてしばらくしゃべれなかった。まだ食べきれていなかったどら焼きのかけらが下を向いたドラえもんの口からだらだらとこぼれ、道路の上にひろがっていった。
「助けてよ。ドラえもん」
「いやだよ。のび太くん」
 ドラえもんはやっとのことでそう言った。
「だって、いまのきみはとても汚いんだもの。僕はただのしがない鉄くずにすぎないけれど、きみよりはよほどまともなひとのこころを持っているよ」
「でも俺はまちがっていない」
「きみはまちがっていないけれど、正しいことがこの世界で美しいなんてかぎらないよ。僕はきみを見届けるためにきたんだ」
「見るなよ。俺を見るなよ」
「いや、見るよ。だって、それが僕の美しいありかただもの。きみがそれを美しいありかただと思ってその手法を選択したなら、きみにとってその手法は美しいんだろう。好きなだけ拳銃を磨けばいい。のび太くん。僕はきみが好きなんだよ」
 そのとき、ジャイアンは泡を吐いて倒れた。それからびちびちと身体を痙攣させていたかと思うと、死んでしまった。のび太くんは拳銃を撃ったわけではなかった。誰にもわからない理由で、ジャイアンは死んでしまった。ドラえもんは手で唇についたあんこをぬぐい、本当に悲しそうな目でジャイアンの死に顔を眺めていた。
 自衛隊が一歩前に進みでて、こう言った。
「人道的なひとは何故革命を起こそうとしないのか。ゴダールはそう訊かれて、次のように答えた。革命が人道的ではないからさ」
「俺は撃ってない」
「知っているよ」
「どうして俺に銃を向けるんだ」
「きみが銃をにぎりしめたままだからだ」
「信じてくれ。これは銃じゃないんだ。これは俺の手なんだ。よく見てくれ」
「見ているよ」
 ドラえもんが答えた。彼はこの世界でいちばんやさしい顔をしていた。のび太くんの頭のなかで鐘が鳴りひびいた。それは世界の誰もが待ちのぞみ、のび太くんだけが望まなかった、たったひとつの祝い唄だった。銃声が響き、のび太くんの脳味噌は道路の上に飛びちった。一匹の猫が近づいてきて、それをぴちゃぴちゃ舐めていた。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう」
 のび太くんの脳味噌がそう言った。しかし、そのときすでにみんな帰ってしまったあとだったので、のび太くんの言うことを聞いたひとはひとりもいなかった。ドラえもんは家に帰って、アメリカが崩壊したニュースを見ていた。僕たち人類は世界史の佳境に立たされている。ドラえもんはそう思って、強く唇を噛んだ。唇の端にはまだあんこの甘さがべっとりと残っていて、不愉快だった。





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