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暗い飴色のくらげがとなりに

2013.06.19(22:48)

かわいそうだね?かわいそうだね?
(2011/10/28)
綿矢 りさ

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 6月10日(月)

 会社にいった。
 

 6月11日(火)

 会社にいった。


 6月12日(水)

 会社にいった。


 6月13日(木)

 夜の10時30分くらいまで仕事して帰った。
 同期のみんなと会社休んで来週ディズニーシーにいくことになっているけれど、今日、男が○○さん(僕の名前)ひとりになるかも、とAIさんに言われた。しかも5人だよ、奇数って微妙じゃない、と言われた。それはつまりのりものにのるときに僕だけいちばんうしろに知らないひととのりつづけることなのか、と思った。たのしい、のか!?


 6月14日(金)

 会社にいってあたりまえのようにいそがしかったけれど、それでもたまっていた仕事がすこしずつかたづいてきて、仕事ってやれば消えていくんだなあ、と思ってびっくりした。ずっと僕の目のとどかないところでマドハンドみたいにふえているのかと思っていた。


 6月15日(土)

 今週末は演劇を見る予定をいれてはいなくて、グーグルの予定表にはイメージフォーラムでワン・ビンの映画を見るということが書いてあったけれど、渋谷まででかけるのがあんまりにもめんどうくさくていかなかった。
 家のなかでだらだらと綿矢りさ「かわいそうだね?」を読んだ。端的にいって、表題作は太宰治「斜陽」で、「亜美ちゃんは美人」は「You can keep it.」の流れをひきついでいる作品だと思った。好みとしては「亜美ちゃんの美人」のほうが好きだけれど、どちらもとてもおもしろかったと思った。驚いたのは「斜陽」のような作品を模倣できるということ、というよりも、「斜陽」であらわされたような感覚みたいなものを綿矢りさもまた発露できるということだと思う。「斜陽」みたいな作品はだれにでも書けるわけじゃない、といっても、それは太宰治が天才だった、というわけじゃない。太宰治にたいしてどうして女性の気持ちがあんなにもわかるんだろうという賛辞があるけれど、僕はたとえば「斜陽」を女性の気持ちを正確にあらわした作品というふうには思っていない、というのも、それはただたんに僕が女性一般がほんとうに思っていることなんて知りもしないし、知ろうとも思っていないからだと思う。「斜陽」がすばらしいのは、すくなくとも僕にとってすばらしいのは、語り手であるかず子のこころもちがあんまりにも美しいからだと思う。たんじゅんなことだ。そのいっぽうで「かわいそうだね?」の樹理恵のこころもちは美しいだろうか、美しくはないだろう、「斜陽」を模倣していると言っても、綿矢りさは「斜陽」のように滅亡の美しさを描いているわけじゃない。そういう意味で「かわいそうだね?」と「斜陽」の類似性をあげられるわけにはいかないし、むしろ僕がほんとうに驚くのはそういうふうに類似的要素が希薄なのにもかかわらず「かわいそうだね?」が「斜陽」的だということだ。そういうふうに書くことができるひとはいま日本にはたぶんほかにひとりもいない。ほんとうは「斜陽」と「かわいそうだね?」の文章をならべて書いたほうがいいのだけれど、それはあんまりにもめんどうくさいし、いまこれを書いている僕の手もとにはそれぞれの本がないので、それはやらない。
「亜美ちゃんは美人」は得体が知れなさすぎるので僕にはなにも書けない。不気味すぎる。暗い終わりかたではないのに、最後の場面を読んでいったいこれはなんなんだろうと思った。けれど、たとえばカフカの小説がそうであるように、小説には読んで「これはいったいなんなんだろう」と感じる要素がぜったいにあるはずで、僕はそれを大事に思いたい。
 黒沢清「リアル」を見た。よくわからなかった。帰った。




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    私の彼は元彼女と同棲中……週刊誌連載時から話題を呼んだ表題作と、女子同士の複雑な友情を描く「亜美ちゃんは美人」の2篇収録。 同情は美しい、それとも卑しい?美人の親友のこ...
【2013/06/28 15:08】
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