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救済に似ている

2014.03.20(04:15)

メルカトルかく語りき (講談社ノベルス)メルカトルかく語りき (講談社ノベルス)
(2011/05/10)
麻耶 雄嵩

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教授と少女と錬金術師教授と少女と錬金術師
(2014/02/05)
金城 孝祐

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注 麻耶雄嵩「メルカトルかく語りき」
  以上の物語内容に結末部分をふくめ言及しています。

 3月16日(日)

 寄金圭一さんと2年か3年か4年ぶりぐらいに会ってお話をした。もしかしたら、インタビューだったのかもしれない。またてきとうなことをしゃべってしまった。
 麻耶雄嵩「メルカトルかく語りき」を読んだ。おもしろかったと思う。わたしはこれはリアルだと思う。この短編集では基本的に犯人は明示されない。それは、手がかりから読者が推理すれば犯人がわかる、というものですらなく、推理を論理的につきつめていった純粋な結果としてあらわれてくる。「答えのない絵本」という短編ではアリバイ表が提示されて、それにそってメルカトルが推理していくんだけれど、推理していくと結果として「犯人はいない」ということになって、この短編はそれを結果として終わる。これは、きっと、後期クイーン問題だとかあやつり問題だとか呼ばれている問題を背景としていて、現実的にそのミステリの範囲内で犯人を確定させることは不可能だ、という命題をなぞっているんだと思う。探偵がミステリという限定的な世界のなかですべての証拠を確認したとしても、その証拠が探偵の推理外の第3者によって用意されたにせの証拠だということをミステリ内で証明する論理的手段は存在しない、みたいなもので、「答えのない絵本」という短編においても、現在提示されたすべての証拠、条件にしたがって推理した純粋な帰結として「犯人がいない」ということになるのであって、メルカトルにすべての証拠、条件があたえられたということはこの短編の世界では保証できない。だから、「犯人がいない」という帰結は、論理的にいえば「××が犯人だ」と断定することとひとしいただしさを持っている。「犯人がいないわけがないんだからメルカトルの推理はどこかがまちがっている」という言説を否定するのはむずかしい。なぜなら、メルカトルは純探偵的に推理をしているだけで、その純探偵的な推理自体を否定することはミステリの世界すべての崩壊を意味するからだ。だから、メルカトルの推理はまちがっていない。もしも彼の推理がまちがっているとしたら、いままで数々のミステリ小説で数々の探偵たちがおこなってきた推理もまちがいだったことになってしまう。そしてメルカトルは「犯人がいない」という結果を当然のこととしてうけいれる。そうでなければ、彼は探偵ではなくなるからだ。この小説はミステリとして型破りなのではなく、ミステリの世界に愚直なまでに従っている。
「収束」という短編は、これはシュレディンガーの猫で、第2の殺人がおこってその被害者が確定されることで第1の殺人の犯人もまた確定される、という推理で完結する。メルカトルは第2の殺人まえにそれ以上の証拠を集めようとしないし、おこりえるだろう第2の殺人を未然にふせごうとはしない。「密室荘」という短編では、メルカトルの別荘で密室殺人がおこる。そのとき密室内にいたのはメルカトルと語り手の美袋だけで、メルカトルは、犯人は自分か美袋のどちらかだと言う。メルカトルはその推理、つまり自分か美袋のどちらかが犯人で、第3者が殺している可能性を考慮しない。メルカトルにとって不条理なのは自分か美袋のどちらかが犯人だ、ということにはなく、死体があることが不条理だと考え、死体をセメントでかためて隠蔽をはかる。
 これらの短編でメルカトルは推理する、事件を解決する、というてんで完璧な探偵でありえている。彼は探偵として推理し、探偵としてただしい結果を導いている。わたしはすくなくとも彼のただしさを否定することはできない。そして、ただしさとは倫理は無関係な場所に追いやってのみかろうじて存在することができるものだ。


 3月17日(月)

 会社はお休みだった。渋谷まででかけようとしたけれど、渋谷まででかけている途中でちからつきてけっきょく渋谷までたどりつけなかった。
 わたしは花粉症ではない。

 3月18日(火)
 
 会社はお休みだった。河出書房新社までいった。
 ヴィルヘルム・ゲナツィーノ「そんな日の雨傘に」を読んだ。これは、「ライ麦畑でつかまえて」だと思った。


 自分は、自分の心の許可なくこの世にいる気分。正確に言うと、私はずっと、誰かが、きみはここにいたいかい、と訊いてくれるのを待ち続けている。


 同じ言葉ばかり何度もくり返すのだ、私は存在許可のない人生にはもうこれ以上耐えられません、と。例によって、そんなことを理解してくれる人は誰もいない。むろんリーザは別だが、そのリーザはもはやおらず、二度とふたたび現れることもないだろう。リーザが訪ねてくるとしたら、私が精神病院に入ってからだ。しかしそのときにしても、彼女は私を理解できない。だってリーザは泣かずにはいられず、そして泣くだけで全力を使い切ってしまうから。


 きみは、退屈な人間になる勇気を持たなくちゃいけない、と私は言う。 
 どうして?
 長い間には愛も退屈になることは否定できん。
 わたしにはそれは無理だわ。
 どうして?
 そもそも、この半生、自分は存在してないんじゃないかって思って苦しんでるんだもの。



「私」の抱く「自分の心の許可なくこの世にいる気分」に共感しようとはわたしは思わない。問題は、つねにせつじつさとしてあらわれてくるものであって、それはつまり、わたしが「自分の心の許可なくこの世にいる気分」に、たとえそれがどれだけちっぽけでたあいない感覚だったとしても、どれだけその気分にせつじつさを抱くことができるか、ということだと思う。この小説は暗い小説ではない。けれど、そこにはどこか救済に似たものがあるように思う。救いを求めるひとたちが暗いわけではない。暗くないにもかかわらずそこにおこったことを救済だと感じてしまうわたしが暗いだけだ。


 3月19日(水)

 会社はお休みだった。ドトールにいって小説や日記を書いた。そのあとモスバーガーにいって小説を書いた。
 金城孝祐「教授と少女と錬金術師」を読んだ。ライトノベルというよりは、マジック・リアリズムのようにわたしには思えた。
 ライトノベルをふくめた一般的なエンターテインメイントは基本的に物語化されたリアリズムにもとづいている、とわたしは思っていて、それは、にんげんはこうされたらこうする、こうされたらこういう気持ちを抱く、という膨大で複雑なパターンの体系だと思う。物語がよい、またはキャラクターがよい、というのは質的にはほとんど同一のもので、それは、膨大で複雑なパターンの体系に理論的整合性があたえられそれぞれのパターンが強固な結びつきを有している、という結果にあたえられる評価のことだ。登場人物や世界観には特異な設定があたえられるかもしれないけれど、それらの設定はパターンの上位階層としてあって、その下位階層としてそれぞれのキャラクターや彼らの行為や気持ち、そしてその交換がパターンとして組みこまれている、ということになると思う。けれど、それは上位階層のパターンを前提にして下位階層のパターンを構築していく、というありかたであって、根本的な結びつきかたは変わらない。重要なてんは、理論的整合性がその体系のなかでどの部分で作用するかというところで、理論的整合性を必要とするのはパターンそのものでなく、パターンの結びつきかただ。なんでもいいけれど、「ワンピース」でいえば悪魔の実がなぜ人体にそのような作用をおこすのか、ということについての理論的整合性は不要だということで、「バクマン。」でいえば、真城や新妻がなぜあんなにすごいのかという理論的整合性は基本的に不要だけれど、彼らの漫画がなぜあんなに人気になるのかという理論的整合性は必要だ、ということだ。基本的に、物語化されたリアリズムのなかではキャラクターの行為、気持ち、および行為と気持ちの交換はすべて理論的に説明可能となる。これはほんとうにそうで、だからエンターテインメントはすごい、ということになるんだと思う。
 金城孝祐「教授と少女と錬金術師」という小説においては、というよりも、ふつう純文学と呼ばれているものは物語化されたリアリズムにもとづいて書かれているわけではない。たとえば、教授が昇天したあと、ふつうに警察のとりしらべがあったり、荻の家では火事ですらないのに放水がつづけられて家のなかが水びたしになっていたりする。問題は、これらにたいする理由づけがないということではなく、これらにたいする登場人物たちのかかわりかたが現実的な対処になっているということだと思う。かんたんにいうと、「教授の昇天」や「水びたしの家」という上位階層パターンにたいしての下位階層パターンとしての主人公や警察、消防組織の行為、気持ち、あるいはその交換は、上位階層にたいする理論的整合性をとったパターンを返却しなければいけないのに、このとき、上位階層パターンにたいしてまったくべつの位相パターンに理論的整合性なく結びついている。ライトノベルをふくんだ一般的なエンターテインメントのそれぞれのパターンは基本的にそういう結びつきかたはしないはずなので、だからこれはライトノベルではない、とわたしは思う。




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