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水族館劇場「嘆きの天使」、Cui?「きれいごと、なきごと、ねごと、」@新宿眼科画廊

2014.08.11(23:52)

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(2014/07/11)
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 5月6日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月7日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月8日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月9日(金)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月10日(土)

 小説を書いた。


 5月11日(日)

 小説を書いた。


 5月12日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月13日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月14日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月15日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月16日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 5月17日(土)

 お友達と水族館劇場「嘆きの天使」を見にいった。なにを言っているのかまるでわからないんですよ、たぶん、あのひとたちも自分でなにをしゃべっているのかわかっていないと思います、舞台をつくるのに必死でせりふなんかぜんぜん覚えていないんです、でも、上演日程の後半になってくるとけっこううまくなってるらしいんです、と聞いて、いったいどんなもんだろうか、と思ったけれど、ほんとうにだいたいそういう感じではあった。あとは幕間のあいだにビールとおつまみを売ってくれるのがすばらしいと思った。


 5月18日(日)

 小説を書いた。


 5月19日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月20日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月21日(水)

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 5月22日(木)

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 5月23日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 5月24日(土)

 小説を書いた。


 5月25日(日)

 小説を書いた。



 5月26日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月27日(火)

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 5月28日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月29日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 5月30日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 5月31日(土)

 新宿眼科画廊までいってCui?「きれいごと、ねごと、なきごと、」を見て、そのあと綾門くんと対談をした。しゃべりながら、で、なんの話だったっけ、と綾門くんに訊いた。綾門くんはひいていた。すみませんでした。


 6月1日(日)

 小説を書いた。


 6月2日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月3日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月4日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月5日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月6日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 6月7日(土)

 小説を書いた。


 6月8日(日)

 小説を書いた。


 6月9日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月10日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月11日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月12日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月13日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 6月14日(土)

 小説を書いた。


 6月15日(日)

 小説を書いた。



 6月16日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月17日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月18日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月19日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月20日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 6月21日(土)

 小説を書いた。


 6月22日(日)

 小説を書いた。


 6月23日(月)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月24日(火)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月25日(水)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月26日(木)

 会社にいった。小説を書いた。


 6月27日(金)

 会社にいった。小説を書いた。

 
 6月28日(土)

 小説を書いた。


 6月29日(日)

 小説を書いた。


 6月30日(月)

 会社にいった。小説を書きおえた。


 7月1日(火)

 会社にいった。TS「OtoZ」をやった。


 7月2日(水)

 会社にいった。TS「OtoZ」をやった。


 7月3日(木)

 会社にいった。TS「OtoZ」をやった。


 7月4日(金)

 会社にいった。TS「OtoZ」をやった。

 
 7月5日(土)

 TS「OtoZ」をやった。


 7月6日(日)

 TS「OtoZ」をやった。TS「昴の騎士」をやった。


 7月7日(月)

 会社にいった。TS「昴の騎士」をやった。


 7月8日(火)

 会社にいった。TS「昴の騎士」をやった。


 7月9日(水)

 会社にいった。TS「昴の騎士」をやった。


 7月10日(木)

 会社にいった。TS「昴の騎士」をやった。


 7月11日(金)

 会社にいった。TS「昴の騎士」をやった。

 
 7月12日(土)

 TS「昴の騎士」をやった。


 7月13日(日)

 TS「昴の騎士」をやった。TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月14日(月)

 会社にいった。TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月15日(火)

 会社にいった。TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月16日(水)

 会社にいった。TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月17日(木)

 会社にいった。TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月18日(金)

 会社にいった。TS「闇鍋企画(前編)」をやった。

 
 7月19日(土)

 TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月20日(日)

 TS「闇鍋企画(前編)」をやった。


 7月21日(月)

 TS「闇鍋企画(前編)」をやめた。TS「魔法少女」をやった。


 7月22日(火)

 会社にいった。TS「魔法少女」をやった。


 7月23日(水)

 会社にいった。TS「魔法少女」をやった。


 7月24日(木)

 会社にいった。TS「魔法少女」をやった。


 7月25日(金)

 会社にいった。TS「魔法少女」をやった。


 7月26日(土)

 TS「魔法少女」をやった。村上春樹「ノルウェイの森」を読んだ。

 
 7月27日(日)
 
 TS「闇鍋企画(前編)」のつづきをやろうかとも、かなしみホッチキス「タオルケットをもう一度1」をやろうかとも思ったけれど、どちらもやる気がおきなくて、そとにでかけた。暑かったからドトールにいってすずもうと思ったのに、ドトールは冷房が壊れていてあつくて、すずむことはできなかった。とてもひさしぶりにポメラを開いたらとてもすごいことになっていた。でも、それはとてもひどく、とても気持ちがわるいことで、それを書いてしまったらわたしというにんげんの尊厳を失ってしまうようなことなので、この日記には書かない。
 ドトールでまったく書いていなかった3ヶ月あまりの日記をまとめて書いた。書いた、というよりも、わたしはわたしの1週間の日記をはりつけて、そこの日付を書きかえて、やっていたゲームの名前を書きかえただけだった。でも、それは「書いた」と言えるんだろうか。わたしの日記をわたしが書く意味はおそらくはない。もしもわたしがわたしの3ヶ月をだれかに話して、そのひとがそのことをわたしの日記として書こうとしたならば、そのひとはおそらくそれを書くことができるだろう。わたしが書いた、というよりも、日付とゲーム名を書きかえたこの日記よりも、よほどまともに書くことができただろう。書くことは芸術的であったり創造的であったりするかもしれなくて、それは、そう言われてしまえばそうだとしか言えないものではあるけれど、同時に、書くことのいくつかの部分はあらかじめ自分の頭のなかにあるものを紙にはりつけるだけの作業としてもあるのかもしれない、と思う。それは芸術的でも創造的でもない。問題は、にんげんが自分の頭のなかも他者の頭のなかものぞきこむこともできない、というにんげんの能力的な限界によってのみ芸術的なものや創造的なものの価値があたえられるのか、ということだと思う。だれかが自分の頭のなかや他者の頭のなかをのぞきこむこと、およびその行為から発生する残余を表現だと名づけ、だれかがそうやってなされた残余から頭のなかを類推することを読解と名づけた。その名づけかたは、けれどただしい。そして、そのただしさはそのただしさによってときどきは嫌悪されてしまう。文章を書くということの価値は自分が思ってもいなかったことを書けることだ、ということをわたしはずいぶんまえに書いたように思うけれど、それは表現を表現化することの運動だろうと思う。カフカやベケット、ブランショの文章にあるのはその文章が書かれた瞬間にその書かれた文章を文章化する自律的な機構であって、たとえ、カフカがだれかに「城」について話して「城」を書かせたとしても、カフカが書いたようになるわけではない。けれど、そのとき、カフカが書いた「城」とだれかが書かなかった「城」のあいだにはどんな関係があるのか、あるいは、どんな関係がないのか。もしも、芸術的なものや創造的なものの価値がそのふたつの「城」のあいだに横たわる差異の性質や差違のおおきさによって測定される、あるいはうみだされるものだとしたら、その価値は、そのふたつの「城」のどちらにあると見なされるだろうか。このとき、だれかが書かなかった「城」はわたしからもおおくのひとびとからも無視されてしまう。にんげんは、だれかが書かなかった「城」を読むことはけっしてなく、だれかの頭のなかにとどまったままの「城」を読みとろうとはけっしてしない。


 僕は直子に手紙を書いた。直子への手紙の中で僕は素敵なことや気持の良いことや美しいもののことしか書かなかった。草の香り、心地の良い春の風、月の光、観た映画、好きな唄、感銘を受けた本、そんなものについて書いた。そんな手紙を読みかしてみると、僕自身が慰められた。そして自分はなんという素晴しい世界の中に生きているのだろうと思った。僕はそんな手紙を何通も書いた。直子からもレイコさんからも手紙は来なかった。


 村上春樹「ノルウェイの森」で主人公の「僕」は直子に向けて、自分が美しいと感じたものだけを手紙に書いた。その手紙を書くことによって「僕」は僕自身が生きていた世界を美しいものとして規定した。そのことじたいは根本的にあられさを内包しているのかもしれないけれど、そのことを否定することはむずかしい。けっきょくのところ、ここで書かれた手紙はかつてだれかが書き、そしていまもだれかが書きつづけている小説なのかもしれないからだ。わたしはわたしの日記が直子へ向けられた手紙になればいいと思っていた。そして、いまでもそう思っている。直子がいない、という現実がたとえ現実的なものとしてわたしのなかにあったとしても、それはすでに見放されきった救いとなるのかもしれなかった。「僕」をうらやましいと思ったことはいちどもない。「僕」にとって直子はいたんだろうか。それでも、わたしが「僕」をうらやましいとは思わないことの原因はそこではない。
 イメージフォーラムまでワン・ビン「精神病棟」とヒティロヴァ「ひなぎく」を見にいこうと思ったけれど、うまくいくことができないでいて、近くのMOVIXまで中島哲也「渇き」を見にいった。おもしろかった。なんだか、園子温が撮った映画みたいに見えた。2時間のあいだだれかとだれかが怒鳴りあって、殴りつけあって、殺しあって、蔑みあって、そういう場面をずっと見ていると、おなかのなかに重たいものをつめこんだみたいなだらんとした気持ちになってしまう。園子温の映画は、たとえば、見おわったあとに夜道をひとりで歩くことがすこしだけこわくなってしまうような映画だけれど、「渇き」ではあまりそういうことはないように思う。それは、中島哲也がこの暴力ばかりの映画のなかに純粋さをさしいれているからなのかもしれないし、そこに展開されている暴力がそもそもわたしとはまったく関係のないものとして感じられてしまっているからなのかもしれない。
 TS「OtoZ」、「昴の騎士」、「魔法少女」はほんとうにすばらしい傑作だと思うけれど、「闇鍋企画」はファンサービス的な意味あいの作品だということをふくめ、これをつくりきるということじたいがむずかしいように思う。基本的に各作品の登場人物のたんじゅんな共演からなりたっているんだけれど、そのかけあいによって各人物のよわい面が露呈してしまうのがむずかしい。厳しい。アスミと朔也のふたりでいえば、アスミはバイオモンスターたちの微妙な動きを見ぬいていて、朔也はずっとバイオモンスターと戦いつづけてきたのに「ぜんぜんわからなかった」と思い、アスミのすごさよりも朔也の情けなさのほうがめだってしまうような印象があった。アスミじたいが「昴の騎士」ですぐれた人物としてたちまわっていた印象はなく、それは「魔法少女」における朔也もおなじなのかもしれないけれど、「魔法少女」においては、作中では「昴の騎士」や「OtoZ」ほど戦闘的なつよさが登場人物の構成として重要な位置をしめているわけではなかった。たとえば、「OtoZ」ではチャコが弱いことはそのチャコにおける問題であって、「昴の騎士」ではアトリアがシリウスに比べれば弱いこと、ロゼッタが騎士団のなかでは遙かに弱いことがアトリアやロゼッタにとって問題になっていた。「魔法少女」においてはすくなくともそういう問題は発生していなくて、それは、千代子をのぞいて各人物のつよさにあからさまな差違を設定していないからで、「魔法少女」において問題になっていたのはわたしたちは人型よりつよいか、わたしたちは魔人型よりつよいか、という、「敵対わたしたち」という構図においてのみつよさが問題になっていた。だからこそ、その「対仲間」という構図において朔也のよわさが露呈してしまうことは「魔法少女」の登場人物においてはマイナスにしかならないように思えてしまう。ほかには、なにをどうしても経験値のとりあいにしかならないこのツールでゲストや途中離脱キャラクターがおおいこと、登場人物がおおすぎて何十時間プレイをしてもずっと仲間探しをやりつづけていること、物語の視点が別人物にうつるたびにレベルが低いその登場人物でレベルの低い状態での戦闘を後半になってもくりかえさなくてはいけないこと、キャラクターのグラフィックが全体的にかわいくえろくなりすぎていること、など、いろいろきびしいと思うところは個人的にあるけれど、そのなかでもシーみたいなキャラクターをきちんとつくって物語のまんなかにいれこんでくるところはほんとうにさすがだな、と思った。


 7月28日(月)

 会社にいった。


 7月29日(火)

 会社にいった。


 7月30日(水)

 会社にいった。


 7月31日(木)

 会社にいった。


 8月1日(金)

 会社にいった。


 8月2日(土)

 連載が再開してから「HUNTER×HUNTER」をずっと読んでいるけれど、この作品のすばらしいところは、あきらかに作者がてきとうにつくったキャラクターが作品内でなにかを行為するたび、なにかをしゃべるたびにそのキャラクターがつくりなおされている感覚がとてもつよくありつづけているところだと思う。幻影旅団がそうだったし、十二支んにしても、あるいはモラウにしても、冨樫義博というひとは、そのキャラクターがはじめてでてきたときではなく、そのキャラクターが行為するとき、あるいはしゃべるときにそのキャラクターをつくりはじめているように見える。その自由性の高さ、あるいは異様なほどの即興性の高さは、いったいどういうものなんだろう、とときどき思うけれど、たいていすぐにわすれる。
 早稲田松竹まででかけてアンゲロプロス「エレニの帰郷」、オリヴェイラ「家族の灯り」を見た。「エレニの帰郷」はまったくもってなんにもわからなかったけれど、よく考えれば、わたしがアンゲロプロスを見てわかったと思えたことなんていちどもなかったんだった。むかし、高橋源一郎が「ひとはジョイスをわかることもできないが、『ちびまる子ちゃん』をわかることだってできないのだ」というようなことを言っていて、それは、けっきょくのところそのとおりで、たとえば、「エヴァ」の難解さは物語や設定の難解さにあるわけではないとわたしは思っていて、たとえ物語や設定をすみからすみまで理解したとしてもわたしは「エヴァ」についてはなにもわからないだろうと思う。この話は、つきつめれば、けっきょくのところにんげんはあらゆるものがわからない、ということにしかいきつかないけれど、たいせつなことはわかるとかわからないとかじゃなくて、わからないならわからないそのわからないありかただ、ということくらいは思う。オリヴェイラ「家族の灯り」は、「エレニの帰郷」にくらべればすくなくとも最初の1秒からこの映画のすばらしさがわかってしまう程度には容易な映画だと思う。それは、たとえば美術館で、はなれた場所からすばらしい絵画がちらりと目にはいったときの、なんだ、あの絵は、というようなすばらしさに似ていて、この映画はそのすばらしさを90分のあいだ体験させる。映画というのは光と影でできているのかもしれないけれど、じつのところ、ほとんどの映画にはそのどちらもうつしだされてはいなくて、せいぜい光くらいで、光と影、というものはめったに見ることができなくて、だから、こういう映画を見るとうれしくなってしまう。


 8月3日(日)

 ワン・ビン「精神病棟」を見にいくはずだったのに、「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」の「11」から「SIN」を見ていたらいちにちが終わっていた。いちにちが終わっていた。わたしがいちばんすばらしいと思うのはハヤトがアンリに「僕についてこい!」と言ってからの展開、「いまから加賀をおさえるって!」というところだと思うけれど、こんなことを語ってもまるでどうしようもならないのはよくわかっているから語らない。問題はやはりブリード加賀をかっこういいと思えるかどうかというところで、その髪型に黒いみつあみがついているのはただしいのかどうというところだと思う。


 8月4日(月)

 会社にいった。


 8月5日(火)

 会社にいった。


 8月6日(水)

 会社にいった。


 8月7日(木)

 会社にいった。


 8月8日(金)

 会社にいった。

 8月9日(土)

 早稲田松竹にいこうと思っていたのにいけなくて、かなしみホッチキス「タオルケットをもう一度1」をやっていた。なんどやってもいきなりラストダンジョンにいってしまうような気がするんだけれど、バグなのか仕様なのかよくわからない。


 8月10日(日)

 アイルトン・セナとミハエル・シューマッハについて調べていたらいちにちが終わっていた。いままで生きてきたなかでいちばん無為な日々をすごしてしまったかもしれないと思ってもう死のうと思った。




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