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物語の場所

2015.07.12(23:35)

 4月16日(木)

 会社にいった。


 4月17日(金)

 会社にいった。


 4月18日(土)

 お友達と遊んだ。マリオがいた。


 4月19日(日)

 さばの数をかぞえた。


 4月20日(月)

 会社にいった。


 4月21日(火)

 会社にいった。


 4月22日(水)

 会社にいった。


 4月23日(木)

 会社にいった。


 4月24日(金)

 会社にいった。


 4月25日(土)

 知らない階段を見つめていた。


 4月26日(日)

 砂漠が壊れていた。


 4月27日(月)

 会社にいった。


 4月28日(火)

 会社にいった。


 4月29日(水)

 記憶がない。


 4月30日(木)

 会社にいった。


 5月1日(金)

 会社にいった。


 5月2日(土)

 「らんだむダンジョン」をやった。


 5月3日(日)
 
 「らんだむダンジョン」をやった。


 5月4日(月)
 
 「らんだむダンジョン」をやった。


 5月5日(火)

「らんだむダンジョン」をやった。
 更新後のクレジットカード一体化型のキャッシュカードがずっとまえにとどいていたんだけれど、めんどうくさくてずっとふるいものをつかっていたら、とうとうつかえなくなった。


 5月6日(水)

「らんだむダンジョン」をやった。
 あたらしいキャッシュカードにきりかえようと思ってあたらしいキャッシュカードをさがしたけれど、なかった。まだ封筒すらあけていないはずだからないはずがないのに、家のなかのあらゆる場所をさがしてもなかった。じゅうたんをめくってもない。やばい、と思いつつ部屋のなかをぐるぐるぐるぐるとまわりつづけて、これはもうないってことだ、と思って銀行に電話をして再発行してもらうことにした。口座をとめたほうがよい、と言われて、はい、はいとうなずいていたら口座がとまった。よかったよかったと思ったけれど、その20秒後くらいに、再発行まで俺手持ちのお金で生きのびなきゃじゃん、と思った。2000円しかないじゃん、と思った。


 5月7日(木)

 会社にいった。友達に、カードなくした、と言ったら、さいこうの貯金じゃん、と言われた。
 手持ちのお金がほとんどなくなったので、ずっとまえにつくったきりまったくつかっていないべつの口座をのぞいたら、奇跡的に3万円もはいっていた。大金!


 5月8日(金)

 会社にいった。友達に、僕きのうさいこうの貯金じゃんってさんざんばかにしてたんだけど、なんか僕もカードなくしてた、と言われた。さいこうの貯金じゃん、と思った。


 5月9日(土)

「らんだむダンジョン」をやった。裏ボスまで倒した。


 5月10日(日)

「らんだむダンジョン」をやった。ゴールデンウィーク中、さっくりやって実家に帰ったりしていろいろやろうかと思っていたけれど、やってもやっても終わらないで、ついにゴールデンウィークが終わっても「らんだむダンジョン」は終わらなかった。だいたい寝ておきて「らんだむダンジョン」をやっての生活サイクルをくりかしていて、もう100時間くらいやったはずなのにどうして終わらなかった。最後までやろうと思って、裏ボス後のおまけイベントみたいなものをやっていたけれど、なぜかきゅうに燃えつきてすべてのやる気を失った。
「らんだむダンジョン」の欠点はやはりおもしろすぎるということだろうか。あやうく一生部屋からでられない身体になってしまうところだった。ローグライクな設計のRPGだから世界観は圧倒的にせまくて、やっていることはほとんど村とそこに隣接しているダンジョンの往復だけでしかない。それにもかかわらずこのゲームはとてもおおきな、たぶんそれは「ゆたかさ」と呼べるものに満ちているように思う。ふつう、「物語」と「登場人物」と呼ばれるものをわたしたちはある程度別個なものとして考えていて、だから、物語は登場人物の外部にあるもの、あるいは登場人物は物語の内部にあるもの、というかたちで認識される。けれど、たとえばこのゲームのアイテムや装備品に書かれたコメント、それじたいはときとしてたしかにひとつの物語としてあって、しかもそれは主人公たちの物語にはほとんど関係すらしないけれど、その物語が彼らの外部にある、というふうにはわたしには感じられなかった。それは、おそらくはアイテムや装備品につけられたコメントをわたしたちが個々のものとしてうけとっているんじゃなくて集合的イメージとしてうけとっているから、というふうにわたしには思える。もしかしたらそんなふうな集合的イメージを物語とはだれも呼ばないのかもしれないけれど、物語を語る、ということは本来的にはそういうことだとわたしは思うし、そうじゃない物語なんてどんなにおおきな物語だったとしても、それぞればらばらにつくられた「設定」でしかない。


 5月11日(月)

 会社にいった。またべつの友達に、銀行のカードなくした、と言ったら、まずいじゃん、今月末競馬いくんだから、と言われた。ずっとまえに競馬いくと約束していたけれど、すっかりわすれていた。いや、でもむしろそこで勝てばすべてが解決するよね、と言った。


 5月12日(火)

 会社にいった。


 5月13日(水)

 会社にいった。


 5月14日(木)

 会社にいった。


 5月15日(金)

 会社にいった。


 5月16日(土)

「らんだむダンジョン」のボスをいちおうぜんぶ倒そう、と思ってやりはじめたけれど、燃えつきたみたいでちっともやる気がおきなくて、ふて寝した。


 5月17日(日)

 なにもしなかった。ほんとうになにもしなかった。


 5月18日(月)

 会社にいった。


 5月19日(火)

 会社にいった。病院いったり公共料金はらったり煙草を買ったりしていたらあっというまにお金がなくなった。これはまずい、ほんとうにまずい、と思って親にこれこれの口座にお金をふりこんでください、とメールをしたら電話がかかってきて、オレオレ詐欺かと思った、と言われた。




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