- 2008-01-29(火)
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中島哲也監督の『嫌われ松子の一生』を見ました。これは、僕が見た最良の映画のなかのひとつになりました。つまり、とんでもなくおもしろかったということです。
おそらく多くの人たちと同じように、僕が中島哲也監督の作品に初めて触れたのは『下妻物語』でした。そこにはへんな格好をした深田恭子とへんな格好をした土屋アンナがうつっていました。僕はさっそく偏見を抱きました。「なんだこりゃ! ふざけてるのか!」と思いました。「おもしろいわけがない!」と思いました。でも、予想に反して『下妻物語』はおもしろかったのです。後半はどうかと思いましたが、前半は間違いなくおもしろかったのです。そして僕はやがて忘れました。世の中には、もっとおもしろい映画があるからです。
僕は、『下妻物語』を撮った監督には、そんなにおもしろい映画を撮れはしないだろうと思っていました。でもちがいました。『嫌われ松子の一生』は、本当におもしろかったのです。
僕は、庵野監督の『式日』という映画で、「どうして実写とアニメを合成すると不自然になってしまうんだろう」と書きました。でも、僕は『嫌われ松子の一生』で、実写とアニメを同時に描いて不自然にならないよき例を発見することができました。
また、同時にこれは押井守監督の『アヴァロン』や『イノセンス』、あるいは紀里谷和明監督の『CASSHERN』に対する圧倒的な返答のように思えました。押井守監督はとても優れた監督だと思いますが、僕の印象では、『アヴァロン』や『イノセンス』は明らかに失敗していました。『アヴァロン』や『イノセンス』は『CASSHERN』と同じ印象を受けました。『CASSHERN』、『アヴァロン』、『イノセンス』。これらの映画の映像センスというのは確かに一見飛びぬけているように見えるのですが、しかし、それでその映画がおもしろいかと言われると、そうでもないのです。映像の美しさが映画のおもしろさと関係ないとは言いません。しかし、それらは必ずしも比例関係にあるわけではないのです。つまり、不思議なもので、僕らは、実は、映画のどこがどんなふうにおもしろいかなど、本当には説明できないのです。作り手も受け手もそんなことがまるでわかっていないのです。映画というのは(広く言えば芸術一般というのは)その要素を解析したり説明できたりは、本当にはできないものなのです。
タルコフスキーの『ノスタルジア』やビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』などの圧倒的な映画は、映像がきれいだという以上に、見ていて圧倒的におもしろいのです。そして、『アヴァロン』や『CASSHERN』は、映像がきれいにも関わらず、見ていて圧倒的におもしろくはないのです。
そのおもしろくなさは、僕程度にはとても説明できるはずがありません。
『嫌われ松子の一生』の映像は突飛であり、ユーモラスであり、ファンタジックであり、ときに美しいです。かんじんなことは、見ていて非常におもしろいという点で、はっきり言ってしまえば、言及すべきところはそれだけです。
『CASSHERN』は、「宇多田ヒカルのミュージック・ビデオだ」という批判がありました。僕もそう思いました。「あの映画を二時間以上かけて見るのなら、宇多田ヒカルの『誰かの願いが叶う頃を一回聴いたほうがいいや。だって、あの二時間よりも、宇多田ヒカルの五分のほうが濃いじゃないか」と思いました。
しかし、『嫌われ松子の一生』を見てもらえばわかるとおり、この映画は『CASSHERN』よりも遥かにミュージック・ビデオなのです。ミュージカル映画とのことですが、僕はそうは思いませんでした。「これはミュージック・ビデオだ」と思いました。しかし、同時に僕は「それはそんなにおかしなことなのだろうか?」と思ったのです。
クイズをだします。これから文章を引用するので、どれが小説だかあててみてください。
まずAの文章です。
こないだ新聞に、エリート高校生のテレビ座談会があって、ある生徒が『役に立たない老人なぞ、政府が法律で殺すべきです』てなことを発言したと出ていたけど、そのTV、見た?
いいえ、へーえ、すげえなあ、ほんと?
ほんとらしいよ、このアホガキめ、てめえが死ね、と思ったけど。その生徒、うちに垂れ流しのわがまま老人がいて、それで家じゅう苦労してるんで、正直に感想を述べたのかもしれねえな。
しばし沈黙、扇風機、低くうなり、部屋の隅にかたまった新聞がはたはた鳴り、青年は水をごくりと飲み下す。
次にBの文章です。
だからおまえが、スケート場でカルピス飲みながら「カルピス飲むと白くておろおろした変なものが口からでない?」って俺にいった時、とてもびっくりした。あの時おまえ髪の毛を、ちょうど今みたいに、編み込みにしてただろ? とてもきれいだった。口から白いおろおろを出しても、すこしもだるくならずに、あまつさえ髪の毛をきっちり編み込みにして暮らしていける奴がいるなんて、と思って、本当に驚いたんだよ。
最後にCの文章です。
脾臓は、リンパ組織(白色髄)と網状血管組織(赤色髄)より成る。血液から老齢化した赤血球を取り除くという大切な機能がある。抗体を産生するはたらきがあり、脾臓を摘出された人体の抗体産生は減少する。タフトシンと呼ばれるテトラペプチッドは明らかに脾臓で産生する蛋白質に由来するものである。
こういうクイズのだしかただとすぐにわかってしまうと思いますが、答えはCです。Cのみが小説です。ちなみに、Aは詩でBは歌集のあとがきです。
これは、高橋源一郎さんの『一億三千万人のための小説教室』と『官能小説家』からそれぞれ孫引きした文章です。高橋さんは、僕らは小説について何もわからないと言いました。誰もそこにある文章が小説であるかどうかなんて区別ができないと言いました。
僕は、チャールズ・ブコウスキーの『死をポケットにいれて』を読んでいるときにそのことを痛感しました。これは日記なのですが、僕はずっと小説だと思いつづけて最後まで読みきってしまいました。自分でもどうかしていたと思うしかないのですが、とにかく、僕はそのときとても衝撃を受けたのです。
それと同じで、僕らはおそらくある映像を見ても、それが映画であるかどうかなんてわかるはずがないのです。『嫌われ松子の一生』の断片的なシーンを見てもそれが映画であるかミュージック・ビデオであるかどうかなど、おそらく区別がつかないのです。新海誠監督の『秒速5センチメートル』の第三話の後半だけ見たら、おそらく誰もが山崎まさよしさんの『One more time, One more chance』のミュージック・ビデオだとしか思わないに決まっているのです。
つまり、僕らは映画がなんだかよくわかっていないくせに、映画を見ているのです。僕らは、いつもそれが映画だと知りながらそれを見るのです。それが映画であるという前提に立って映画を見るという行為によって、僕らのなかから何か大事なものが損なわれていると考えたことはないでしょうか。僕にはときどき、それが、映画の根源に関わるとても大切なものではないだろうかと思えるときがあるのです……。
『嫌われ松子の一生』には様々なリスペクトの跡が見られます。この映画はジャン=ピエール・ジュネ監督の傑作映画『アメリ』にとてもよく似ています。映像の感じだけで言えば同じ監督の『デリカッセン』のようにも思えるのです。そして、作品内で使われるメタフィクションの手法は今敏監督の『千年女優』に酷似しています。僕は、「おお、ついにこれを実写でやる監督が現われたか!」とびっくりしました。さらに、ラストシーンで僕は(ベクトルは逆ですが)『ドニー・ダーコ』のエンディングを思いだしました。
僕は「うまいなあ」と思いました。『アメリ』に影響を受けているのはたぶん確実だと思いますが、中島監督がほかの作品に影響を受けているかどうかはまったくわかりません。ただ僕が思いだしたというだけのことなのです。
『嫌われ松子の一生』は極めて日本的な映画だと思いました。日本に特化した映画とすら言えるかもしれません。『アメリ』が全世界的ならば、『嫌われ松子〜』は日本的です。しかし、僕はそれを成し遂げた中島監督に感嘆します。
僕はうるさい映画が好きではありません。「安っぽい映画ほど音楽で盛りあげようとする」というのは、おそらく真実の一端だと思うのです。『嫌われ松子〜』では音楽が全般的に使われていました。うるさい映画、というのならば、僕はこれよりもうるさい映画をひょっとしたら知らないのかもしれません。しかし、そのうるささを心地よさに変える技術というのは、たぶん、並大抵のことではないと思うのです。そして、それを思いかえして、僕は『嫌われ松子の一生』という映画に、あらためて感嘆するのです。




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