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アルチュール・ランボー/地獄の季節

2008.06.19(12:30)

地獄の季節 (岩波文庫)地獄の季節 (岩波文庫)
(1970/09)
ランボオ

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愛でもない青春でもない旅立たない愛でもない青春でもない旅立たない
(2005/09/16)
前田 司郎

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堀口大學訳の「ランボー詩集」(新潮社文庫)では玉砕した。残念ながら文語的な言葉は何ひとつ理解できないし、字面にもリズムにもいまいち感心できない。しかし、小林秀雄訳のランボオ「地獄の季節」は僕が今まで読んできた数少ない詩のなかでは断然におもしろい。

   ◇◇◇

綿矢りさと舞城王太郎についてずいぶん熱心だった頃がある。現代文学の新しさはこのふたりのなかにあると本気で思いこんでいた。だから僕は当然のなりゆきとしてくだらぬ妄想をした。「綿矢りさの文章を使い舞城王太郎のような小説を書いたらさぞかしおもしろいだろう」と僕は思った。しかしそんなことはありえない。だいいち、僕はよく考えたら舞城王太郎の文章自体があまり好きではなく、同時に舞城の世界観を支えているのは舞城の文章であるのだから、舞城の世界と文章を切り離すことなどできなかったのだ。舞城の世界を綿矢りさの文章で彩ってみたところで、それは虫のわいた墓のようなどうしようもない代物であったし、そもそも、綿矢りさのような文章は男に書かせてもまったくどうしようもない。
このようなことから僕は舞城や綿矢を直接的にまねするのはやめたのだが、何よりこのふたりをまねするのがいやになったのは前田司郎の書いた「愛でもない青春でもない旅立たない」を読んだからだった。舞城と綿矢の中間のような場所を目指していた僕はこれを読んでありきたりな絶望をした。「愛でもない青春でもない旅立たない」は作者がどうであれ、僕には舞城と綿矢の中間にある作品に思えたし、前田司郎が書いていた文章は僕が書こうとしていた文章にいくらか重なっていた。僕はいろいろなことをやめた。笑えばいいのだ。僕はまったく愚かだった。
他人の文章をぱくることでしか文章を書くことなんてできやしないと思ってきたし、今でも思っている。僕は村上春樹やゴダールや高橋源一郎やネット上の日記書きの方の文章をぱくってきた。その醜さを自ら引きいれ、受けいれもした。醜さは僕の王国の鏡であり王冠だった。

   ◇◇◇

ネット上で詩を公開している人は何を思い詩を発表しているのだろう。詩の公開はいくら本人が「自分のために書いている」と言ったとしても、すくなからずの読者を想定している。誰であろうとそれに鈍感でいるべきではない。僕は「散文」というカテゴリをつくって文章を書いたが、ランボーの「地獄の季節」(小林秀雄訳)を読んだとき僕は僕の書きたかったのはこれだったのだと思った。僕の書きたかったものは150年も前により優れたかたちでとっくに実現されていた。こういう絶望はもう何十回目だかわからないのだが、それはそれでしかたないし、「地獄の季節」というどうしようもなく優れた作品があるなかで僕はいったい何を書けばいいのかという新たな命題との衝突である。とりあえず僕のくだらぬ文章を読んでいる暇があったらやはりランボーを読んだほうがよい。精進すべきだ。そして恥を知るべきだ。他人の目を知り、屈辱に耐えるべきだ。おまえは屑だと呼ぶ声がする。その声を聴きとらないかぎりしかし屑は屑のままなのだ。

  ◇◇◇

 疲れた果てはのたれ死だ。いよいよ墓場か、この身は蛆虫どもにくれてやる。ああ、思ってもやりきれない。悪魔め、貴様も道化者だ、いろいろな妖力で、この俺が蕩かしたいとは。よし、おれは要求する、戟叉の一撃、火の雫、いいとも、結構だ。
 ああ、また、生活へ攀じて行くのか、俺達の醜さに眼を据えるのか。この毒、この口づけ、重ね重ねも呪わしい。この身の弱さと、この世の辛さ。ああ神様、お情けだ、この身を匿い給え、俺にはどうにも扱えない。――俺は隠されている、しかも隠されていない。  
 火は亡者を捲いて立ち直る。
                              ――ランボオ/地獄の夜





コメント
小林秀雄訳バージョンの「地獄の季節」、読みました。高校時代に(たぶん小林秀雄以外の訳で)読んだ時にはカナヅチで殴られたようなショックを受けましたが、今回は「おおおー!!」じゃなくて「おおっ!?」ぐらいでした。小林の文章に関して「モオツァルト」の印象の方が強かったからかもしれません。
それでも!やはりランボオはごっつい!「俺は詩人を辞めるために詩を書いているんだ!」という叫びが聞こえてきそうな気が私にはしました。
【2009/05/08 21:29】 | 上田洋一 #- | [edit]
高校のときに読んだらとてもショックでしょう。ロートレアモンやランボーなんかは、やはり若いときに読むものだと思います。
たんじゅんに現代の僕らは何かをさけべなくなっちゃったんだ、とランボー読むたびに思います。
【2009/05/09 14:56】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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