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映画評(外国人監督)

映画評 マーティン・スコセッシ/ノー・ディレクション・ホーム


ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホームボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム
(2007/05/25)
マーティン・スコセッシボブ・ディラン

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マーティン・スコセッシ監督のボブ・ディランのドキュメンタリー、「ノー・ディレクション・ホーム」を見た。ボブ・ディランのドキュメンタリーというからには全キャリアを通して紹介されるものと思っていたら、予想とはちがいディランのキャリアのほんの初期の頃しか紹介されなかった。主だった部分はやはりフォークで、そもそも「初期のディランの曲が好きか?」と訊かれると「どうだろう」と首を傾げざるを得ない僕にとってはいささか不満の残るドキュメンタリーではあったけれど、それでもじゅうぶんに楽しむことができた。

   ◇◇◇

このドキュメンタリーのなかでディランが挙げた文学は僕の覚えているかぎり3つだ。ヴェルレーヌ、ランボー「酔いどれ船」、それからジャック・ケルアック。ノーベル文学賞候補に挙がっているディラン(ノーベル文学賞は候補が明かされないのに何故それがわかるのかは謎だけれど、こう言われている)だから当然文学作品は読んでいるのだろうけれど、ともすれば音楽のなかで文学が軽視されがちだとときどき感じることがある。ディランが実際古典的詩からどれだけ影響を受けたのかは知らないし、受けてはいないのかもしれないけれど、ディランに影響をあたえたというときに名前をだされるのはいつもウディ・ガスリーであってケルアックではないのだ。ジョン・レノンだってウィリアム・ブレイクを読んでいる(らしいよ)が誰もそんなことは言わない。アレン・ギンズバーグがディランに影響を受けた言う。だけれど、そこにはギンズバーグがディランを褒めたことでディランに優位性が生じるという「なんだか腑に落ちないもの」を含んでいる。そうか、文学はこんなにも生意気だったのか。

   ◇◇◇

上に書いたことはどうでもいい。ディランがフォークからロックに、アコースティック・ギターからエレキ・ギターに持ちかえたとき、散々観客からブーイングが起こったのは有名な話だ。ドキュメンタリーのなかで誰かが言っていたけれど、「みんなディランが大好きだった。でも、ディランの行動は許せなかった」というきわめて矛盾した状態にあった。「ユダめ!」観客はさけぶ。「そんなのでたらめだ」ディランは観客に向かって言う。「おまえの言うことなんか信じない」。フォークからロックに移ったディランも、それを非難した聴衆も、どちらがまちがっていたとも、どちらが正しかったとも言えない。当時の観客が愚かだったとはとても言えないだろう。ただ、ステージに上がっていくディランの後姿のかっこういいこと。ブーイングの嵐のなかで爆音で「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌い、「やせっぽちのバラッド」を歌うディランのかっこういいこと。

   ◇◇◇

聴く側と歌う側には常に距離がある。「馬鹿たちがまた僕の歌詞についてなんやかや言うんだろう。僕だって自分が何を歌っているのかわかっていないのにさ」とディランは語った。その距離を埋めたいと言うことは傲慢なことでは決してないのだけれど、不可欠なことではない。問題は実質的な距離を埋めることじゃない。ディランは決して僕のためには歌ってはいない。歌に神秘性が宿るのは、それにも関わらずその歌を自分のものとして受けとめ、良きものとして自分の中にしまっておけるからだ。歌詞がわからなくてもいい。サウンドを聴かなくてもいい。不十分なままでいい。問題は、決して僕のものではないその歌がいったいどこにあるかということだ。これは歌だけの話じゃない。言葉でも、映像でも同じことだ。

自分を認めてくれる言葉、自分だけに向けられていると思える温かい言葉、表面上は自分に向かってではないのになぜか自分に向けられているように思える言葉、そういうものだけが、遠くの世界へ行ってしまおうと思う者たちを止めることができる。
                              ――高橋源一郎

http://www.mammo.tv/column/genichiro_takahashi/

   ◇◇◇

ディランの取材風景は抜群におもしろかった。
「何故あなたは人気があるのですか?」とレポーターは訊く。「めがねのつるを咥えてください」と要求される。言われるのはわけのわからないことばかりだ。ディランは取材陣の言っていることが何ひとつ理解できなかったのだと僕は思う。



   ◇◇◇

歌詞のついた曲を書く人気のあるミュージシャンたちがもうちょっと「おれは山之口貘の影響を受けた」とか「わたしの書く歌詞はランボーを参考にしているのよ」とか言ってくれれば古典詩・現代詩に脚光があたるのかなあと思うのだけれど、何故か誰もそんなことは言わない。すくなくとも僕はディラン以外のミュージシャンが詩について言及しているのを知らない。だからみんないったいどうやって歌詞を書いているのかとても気になる。

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コメント

Re:映画評 マーティン・スコセッシ/ノー・ディレクション・ホーム

ボブ・ディランを聴いたことがないし、たぶん今まで聴いたこともないような気がしますけど、ミュージシャンたちが、例えば倖田來未とかそこら辺の歌手が、「自分はアーティストだ」とか「自分は音楽家だ」と言っているのを聞くと、鼻で笑いたくなります(笑)
「アーティストと言う割にはずいぶん綺麗事ばっかりな歌詞書きますね」って思っちゃいます。たぶん俺がひねくれているからで、別に誰のせいでもないはずですけど、日本人の書く(正確には売れている楽曲)の歌詞は、どう読んでもポエムで、詩ではないですよね。まあ例外もたくさんありますが。
椎名林檎とかが「私は音楽家だ」って言ってるのは許せて、倖田來未が「私はアーティストだ」と言うのを許せないのが、たまに不思議になります。
そもそも日本人は美化が好きですよね。「青春」とかもろに美化されてて、大人は「また青春時代を過ごしたい」とか言ったりするけど、青春真っ只中の俺からしたら「青春なんてくそだ」としか思えません(笑)
青春は絶対的に美しくないと思います。まあ個人の感覚にもよりますけど。
それとも、過ぎたことを綺麗に語りたがるのが人間なんでしょうかね。


俺は今日、ゴダールの『勝手にしやがれ』とキューブリックの『時計じかけのオレンジ』を見たんですけど、素晴らしかったです。『勝手にしやがれ』は話自体はどうでもいい感じでしたけど、ベルモンドがかっこよすぎて、台詞もおかしかったです。
『時計じかけのオレンジ』はコマ送り(?)とか撮り方がめちゃくちゃ面白かったです。中盤あたりに主人公の立場が逆転するあたりは、何となくラース・フォン・トリアーを思い出しました。

ふたつとも借りたんですけど、なんと学校の奴に借りたんですよ! 俺の描く絵っていつも何かの言葉が入ってるんですけど、たまたま絵に『気狂いピエロ』って書いてたら、隣のクラスの奴に話しかけられて。びっくりしたのは、そいつがデイビッド・リンチや諏訪敦彦を知っていたことです。もちろん岩井俊二も青山真治も。ビョークもRADIOHEADも知ってました。ちなみにそいつはガス・ヴァン・サントが好きらしいです。
とりあえず、ラッキーでした。そういうのを知ってる奴がいて。
  • 2008年06月28日(土) 21:22:54
  • 翔平 #-
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翔平さんへ

いや、でも歌詞というのは難しいところがありますよね。みんな、恥ずかしいことを大声で絶叫しているわけですけれど、それが「歌」というだけで許容されてしまう。
英語の歌詞と日本語の歌詞もまたぜんぜんちがって。英語の歌詞って基本的に何を書いてもそんなにわるいとは思えないところがあります、すくなくとも僕には。恥ずかしいことを叫ぶには日本語よりも英語のほうが優れている気がします。すくなくとも、日本人の耳にとって。

「青春」が美化されているのはわかります。でもそれは大人でいることがいやなことばかりという事実の裏返しなのかもしれないですし。そもそも過去のことをわざわざ暗く語りたいかどうかなんて言うと、そんなのやっぱりいやですもんね。

「勝手にしやがれ」はおもしろいですよね。本当にベルモンドかっこうよすぎで、ジーン・セバーグとの会話もいちいちおもしろい。
「時計じかけ〜」は原作もさながら、映画もわるくないですよね。ベートーベンの交響曲の9番をそういうふうに使うか、とあれはけっこう衝撃ですよね。

お、よかったですね。基本的に文学・映画・音楽どれかに興味持ったら、実際に見たかどうかはべつとして、そこらへんの名前は勝手に入ってくるものだと思います。アンテナを張るのは良いことです。よかったじゃないですか、話が合いそうで。
  • 2008年06月29日(日) 11:53:31
  • 桜井晴也 #oSfzfPCQ
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Re:映画評 マーティン・スコセッシ/ノー・ディレクション・ホーム

まあ、日本語で言ったら恥ずかしいことも、英語だったら許せるところはあります。
ただ、まあ俺はあまりに直接な言い回しとか、中学生みたいなポエムが歌詞として許容されることに憤りを感じるというか。「お前がいなきゃ俺はだめなんだー♪」とか「恥ずかしいけど君が好きだよー♪」とか、よく歌えるなあって思っちゃいます(笑)
だからGreeeenなんて超常的に気色悪いというか、たぶん俺が年とったせいでしょうけど、ああいう歌詞書けんのもああいう曲書けんのも一つの才能かなあと思いますけど、それでもうざいですね(笑)
「青春」を美化したがる気持ちって俺には全くわかりません。まあ確かに大人が嫌だから青春が美化されることになるんでしょうけどね。でも俺は、「本当のこと言えや!!」って思っちゃいます(笑)
そもそも人間であるからこういうことになるんでしょうけどね。だから人間ってろくなもんじゃないです(笑)

『勝手にしやがれ』は見てよかったですね。本当におもしろかったです。
『時計じかけのオレンジ』の原作って、ハヤカワ文庫版のは最終章がないんですよね。原作者は映画版に不満があったらしいですけど、ラストは主人公がまた『悪』に戻っちゃうらしいし。
というか、『シャイニング』がキューブリックの映画だと最近気づきました。初めて見たとき、「変な映画だなあ」と思ったんですけど、まさかキューブリックだったとは。これまた原作者は映画に不満があったみたいですけど(笑)

本当にびびりました。まさか同じ学校の隣のクラスの奴から「『気狂いピエロ』知ってんの?」と聞かれるとは思いませんでしたし。
ちなみにそいつは女です。
というか、「青春」の話とかそいつと話してて、「日本人って美化ばっかりできもいよね」って話してたんです(笑)
「エイベックス系の歌手とか『アイドル』って言えばいいのに『アーティスト』って言っちゃってんのがうぜー」とか(笑)
でもあんまり小説家の名前とかは知りませんでしたね。「鹿島田真希とか舞城王太郎知ってる?」って聞いたら、「知らない」って言われましたし。
  • 2008年06月29日(日) 13:07:52
  • 翔平 #-
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翔平さんへ

中学生のポエム的な歌詞がだめなのはよくわかります。僕だって倖田來未とかGreeeenの歌詞がいいとは思ってないし、まったくもって気持ちわるいのですけれど、聴いている人が何万人もいるわけです。
たとえば、僕はコブクロの「million films」という曲をCMで聴いたとき、「100万枚撮りのフィルムでも撮りきれない程の思い出を きみと二人 未来に焼きつけていけたら良いな」という歌詞なのですけれど、「これはきもい」と思ってめちゃくちゃ引きました。でも僕の友達がカラオケで歌っています。
Greeeenでも倖田來未でもすくなくとも僕よりは才能はあるわけですし、僕よりは努力しているでしょう。

べつに文学読んでたってゴダールを見ていたって偉いわけもなんでもないですし、みんなの知らないディープなものを知り、それで自分は高尚なところにいると思ってしまうのは、どうあっても勘違いなのかなあと思うわけです。たとえば僕はそうやって調子に乗っていたわけで、「倖田來未はくそだ」とか(ミュージシャンとしての)「沢尻エリカはくそだ」とか散々言ってたわけです。何かわかった気になって。まあ今でもたぶん調子に乗っているわけではありますけれど、すくなくともそうではありたくないとは思ってあんまり言及していません。

問題はシェイクスピアもGreeenも同じだということです。「ロミオとジュリエット」では恥ずかしい台詞がでてきます。でも僕はそれを許すし、絶賛します。Greeeenが400年近く前の悲劇と同じことを言っているというのは本当は大問題ですけれど、それはおいておいて、何故僕がシェイクスピアを許してGreeenを許せないかかというと、(いろいろな理由がありますが、基本的には)シェイクスピアが文学でGreeeenが大衆音楽だからです。中身を平等に判断してはいないのです。
文学にはまっている人は、僕がそうであるように非文学的なものを見下しがちですね。
そういうのがすべていやになって、だから僕はもう無闇やたらとばかにするのはよしているのですけれど、そこは、もう何がわるいのかはわかりません。

「青春」というか、「過去」を美化するというのは絶対的にありますよね。それはとりもなおさず現代への不満なのかもしれないです。でも、過去をふりかえったとき、やっぱりいちばん大事なのはそのときに思っていたこと感じていたことなのでは、というのはあります。

「時計じかけ〜」は何故かないんですよね。なんか知らないけれどまた悪にもどっちゃう。これはネットで素人が訳したのが公開されていた気がします。

鹿島田真希なんて僕らが思っているよりはるかに無名ですよね。というか、現代文学の若手を熱心に追いかけている人なんてめったにいないわけで、まだ古典作家をよく知っている人のほうが多いと思います。しかたないですよ、それは。

  • 2008年06月29日(日) 14:04:08
  • 桜井晴也 #oSfzfPCQ
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Re:映画評 マーティン・スコセッシ/ノー・ディレクション・ホーム

俺が一番理解できなかったのは、Amazonで『恋空』を絶賛してた人が、倖田來未のアルバムを酷評してたことですね。なんか確か、「よくこんな中学生のポエムみたいな歌詞で」って書かれてたと思うんですけど、『恋空』も相当ひどいぞ、って感じですよね(笑)
倖田來未の歌がまともに思えるくらいひどい。一体なんでそういう評価をしたのかとても興味があります。
コブクロも全然好きじゃないですけど、確かにそれはきもい。小さいほうのボーカルは地元が一緒なんであんまり悪く言いたくないんですけど、でも嫌です(笑)
『ロミオとジュリエット』読んだことないんでわかりませんけど、あれは一つの形式として成り立ってるから許容されるんであって、Greeeenの歌は形式とかそういうの関係ないから、許せないのかもしれませんよ。
文学読んでるのが偉いとは全然思いませんけどね。そもそもそういう芸術的なものに触れる人はすごいっていう風潮が間違ってるかと。
まあ確かに人間は過去を美化しますけどね、仕方ないですが、やっぱりそれはその時の自分自身を忘れてるから美化できるんじゃないですか。

『時計じかけ〜』の最終章読みたいですね。まだ公開されてるんですかね?

まあ鹿島田真希を知らないのは仕方ないにしても、舞城王太郎を知らないのはちょっと意外でしたね、結構有名だと思ってましたし。
現代文学の作家ってほとんど無視されてる気がしますけど、やっぱりそれは悲しいです。
  • 2008年06月29日(日) 17:22:41
  • 翔平 #-
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翔平さんへ

たしかに「恋空」に比べたら倖田來未の歌のほうが普通ですよね。なんでしょう、倖田來未は商業主義的に洗練されているのかもしれないですけれど、「恋空」はそんなことはぜんぜんないから、逆に共感するんでしょうか。

僕は文学読んでいることが偉いのだと心の隅で思いまくっている人間なので。でも、まあ、そういうのはよくないですね。ぜんぜんよくないですよ。けっきょくは何を誇るかの問題かもしれませんが。

「時計じかけ〜」の最終章はここです。
http://www.geocities.jp/horrorshowguilty/cw21/cw21j.html

舞城王太郎もべつに有名じゃないでしょう。あれは純文学好きにもミステリ好きにもライトノベル好きにも知られているから一応そうなんであって、一般的に有名なほどではないと思います。
いや、でも正直古典を読むと現代文学(現代の若い作家の小説)を読む気はなくすので、なんかわかる気がしますよ……。
  • 2008年06月30日(月) 12:35:13
  • 桜井晴也 #oSfzfPCQ
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ある売れない芸人が、支配人に言った。
「絶対に観客に受ける芸を思いつきました」
支配人は言った。
「ほう。それはどんなものだい?」
「舞台の上で首を吊るんです」
支配人はしばらく考えたあと、こう言った。
「だけどきみ、その次の日はどんな芸をするんだい?」

   ◇◇◇

5/9づけでニックネーム「キズキ」から「桜井晴也」に変更しました。

   ◇◇◇

自己紹介がどうしても書けません。
何も知りません。
先細りする価値観に開放をあたえるべきかと思います。
非言語区域に戦闘機を飛ばし、即時撤退させます。
本を読んで映画を見て音楽を聴いて、
ときどき演劇を見たり美術館に行ったりします。

文章が書きたいです。
対話の言葉はいつも不器用で、臆病です。
無限のなかから選びとられた言葉が、
私とあなたのあいだで唯一の関係を持ち、
私とあなたを剥離します。
誰かに何かを説明する言葉も、
誰かに何かを伝える言葉も、
誰かが誰かであるための言葉も、
すべてが無意味という意味を身にまとい、
白き柱となり、
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   ◇◇◇

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