- 2008-07-04(金)
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![]() | 生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫 青 946-1) (2008/05/16) シュレーディンガー 商品詳細を見る |
シュレーディンガー「生命とは何か」を読んだ。以前の日記に中学生程度の理科の知識があれば読めると書いたがやはり無理かもしれない。高校程度の理科の知識はやはり必要かもしれない。
シュレーディンガー方程式やシュレーディンガーの猫などのパラドックスで有名な物理学者だが、この本にはスピノザやゲーテばかりが引用されている。現代、というかいつの時代において哲学を考えるにはやはり物理学などの科学は切実で、そう毛嫌いするものではないのだと思った。
これを読んで量子物理学や分子生物学を学ぼうという気はさらさらなく、また学べる本でもない。何故ならこれは専門書でもないからだ。映画や小説などの芸術はそのジャンルが多岐に渡り、あらゆるジャンルを満遍なく網羅するというのはもはや不可能に近い。僕らがその道の専門家になりたいと願うならば、やはりある程度ジャンルを絞ってその深いところを探索していくしかない。それは芸術に限らず、科学でも同じことだ。物理なら物理の、化学なら化学のディープなところに到達したいと思うのなら、それを「専門」として学んでいくしかない。けれど、人類の願いとして、様々に広がりを見せたジャンルを統括して最上の知恵とする、というのは決して消えないだろう。それは歴史を背負う僕らの究極の(しかし理想的すぎる)目標なのかもしれない。
シュレーディンガーはそのために、「専門分野以外の知識に多少うとくても、誰かが様々な分野を統括する仕事をしなければいけない」という旨のことを言っている。これは現代文学におけるクロス・オーバー、つまりミステリと純文学の融合(オースター、舞城、安部)、SFと純文学の融合(ヴォネガット)などと呼応している。
◇◇◇
シュレーディンガーの示したことはかんたんに言えば生物学と量子力学の融合だと思う。量子力学というのは(自分の理解しているところでは)粒子の不確定性や離散的にしか存在できないエネルギー(びっくり!)みたいなことを基礎とする学問であるが、実はこれが生物学においての遺伝子、突然変異などの現象と呼応しているという。読んでいるあいだはけっこう興奮して読んだのだが読み終わった今何にも覚えていなのが残念でしかたない。
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統計的な物理の話は非常におもしろかった。
粒子というのはよく知られているようにとてつもなくちいさい。問題は、何故粒子のちいささに比べて人間(生物)の身体はこんなに大きいのか、ということだ。実はこれには理由があって、一個一個の粒子は統計的な規則性を持てないからだ。一個一個の粒子にたいして、「次はどちらに動く?」ということは予想できない。しかし莫大な数の粒子をまとめて観察して見ると、そこに「どっちのほうに動く」という規則性が生じる、というのだ。
たとえば「拡散」という現象。左側に粒子がたくさんいて、右側にあまりいないとする。すると時間経過とともに粒子は左側から右側に移動して、全体にだいたい満遍なく散らばるようになる。これは「粒子が右のほうがすいているから右のほうへ行こう」というふうに動いていると普通なら考えるが、そうではなく、粒子はまったく勝手に動いているだけだという。ただ左側に粒子がたくさんいるから、確率的に右側に行く粒子が増え、結果的に拡散するのだと言う。そういう規則性が生命には必要であり、生物の死がエントロピー最大の状態と位置づけられるならば、規則性を保つ作業(負のエントロピー)を摂取する作業が必要らしい。
と、たぶん本のなかに書いてあったこととはぜんぜんちがうだろうが、僕は上のように理解したし、とてもおもしろかった。たぶんまちがっている。でも僕はべつに物理学者ではないのでどうでもいい。
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余談だが、訳者の鎮目さんの「あとがき」が異様すぎて笑えた。この人の文体は(わるい意味で)狂っている。エントロピーが高くなりすぎているのだと思う。



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