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きみへの愛は月光のもとで

2008.08.10(22:52)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)
(2000)
志賀 直哉

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僕はべつに小説を読んだり書いたりすることが好きなのではなくただ日頃やることがないから小説を書いたり読んだりしているだけだろう、という気がむらむらするが、それは気のせいではないだろう。

   ◇◇◇

志賀直哉の「小僧の神様・城の崎にて」を読んだ。「小説を書く」という行為は本当は何かを書くということじゃなくて「すでに頭のなかにある文章を削る」という行為と等しい。そういうことを徹底してやれば志賀直哉みたいなことになるのだと思うが、それがおもしろいかと問われればやはり読み手の好みによってかなり変わってきてしまう。
嘘か本当か知らないが夏目漱石は「I love youをどう訳しますか?」と訊かれたときに「月がきれいだねえ」と答えたらしい。今そんなことをやったら銃殺されること必至だが、とにもかくにもそういう時代があり、そういう時代を愛したい。志賀直哉が小説からとりのぞいたのは「I love youを月がきれいだねえと翻訳する」というものだと僕は思う。
「小説を書く上でもっとも大切なことは文章を削ることだ」と言うのはとてもよく言われる。志賀直哉の文章を読めばそれはよくわかってしまう、大切なものあるいは大切であるかのように見えるものを削っても最後に何かが残る、小説信奉者はそう信じている。僕もそう信じている。「小説の神様」だと言われるのだから志賀の文章にはその「何か」があるのかもしれないけれど、僕は阿呆なのでよくわからなかった。
僕は昔から男性の文章よりも女性の文章のほうが好きだ。志賀直哉の文章が僕には男性的なように思えた。もっと言えば男性的作家の代表格である(らしい)ヘミングウェイに似ている、ヘミングウェイと言えば僕がもっとも苦手とする作家だ。「老人と海」の良さがちっともわからず最後まで読めない。
解説に「直哉は美的ではあり得ても耽美派ではなかったのである」と書いてありまったくその通りだと思った。志賀直哉よりやはりわけのわからない文章がぐだぐだと書いてある川端康成のほうが好きだなと思う。

   ◇◇◇

http://www.go-to-dmc.jp/index.html

「デトロイト・メタル・シティ」の根岸の姿(仮装してないほう)での松山ケンイチが驚異的にまで気持ち悪い。まさか松山ケンイチも松山ケンイチを選んだ人もここまで気持ち悪くなるとは思わなかっただろう。絶対に見ないけれどすでに観客の心の危ないところをぐっとつかんでいる、絶対に見ないけれど。
「ジャガー」とか「20世紀少年」とか「デトロイト・メタル・シティ」などの映画化は本当にすごいと思う。予告からしてすでに正気じゃない、まるで冗談なのに本当に冗談じゃないみたいに見える。こういうことを続けていけばやがて誰も冗談だと思わなくなるんだろう。たとえば「社会」なんて「冗談」にすぎないのにもう誰もそんなことを言わないように。




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