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黄と赤と緑と青と黒と白の先で

2008.08.28(03:23)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)
(1967/08)
チェーホフ神西 清

商品詳細を見る

「クロノ・クロス」がようやく終わった。ゲームというものはつかの間の夢である。それをとてもよく体感させてくれるゲームだった。時間は自在に跳躍し、朝と夜は混じりあい、鴉が朝を告げた。白々とした空気のなか、空腹に耐えかねコンビニエンス・ストアまで自転車を漕ぎ、女子高生の集団にエンカウントし死にたくなる。腹を切ろうか。腹を切ってはならぬ。何故なら俺にはそんな度胸も厭世観もなく、すべてが常世の夢であるならば、また、私の死/詩もほかの誰かの死と接続されてしまうかもしれないからだ。私が腹を切るとき、世界もまた腹を切る。炎が見つめているとき、炎もまた僕を見つめている。この文章に特に意味はありません。

    ◇◇◇

「クロノ・クロス」をプレイするのは3回めか4回めだが、とてもおもしろい。そもそも「零」さえまともにプレイできていれば「クロノ・クロス」をプレイすることもなかった。「零」は2章に入ってからの幽霊(敵)のあまりの強さに衝撃を受けてやめた。勝てるわけない。盲目の女の幽霊が大量に現れて「どこ~? どこ~?」と言いながら突貫してくる。断言してもいい。俺のへたれプレイでは勝てるわけがない。この手のゲームは生ぬるいスクウェア産の RPGとは違って回復アイテムが限られているので、これを使いはたすと敵に勝てない。もう敵に勝てない。
「クロノ・クロス」の思想はゲームとしてきわめてまっとうだ。星の塔の最上階で時を喰らうものと相対したときの昂揚感はやはりゲーム独特のものだと思う。正直な話、それはファンタジーとしての究極の姿だと思うし、「ロード・オブ・ザ・リング」とも違う。何故なら、僕らはここに至るまで20時間ほどもプレイヤーを動かしているからだ。その集大成としてのあのエンディング、極めてわかりやすい「メッセージ」としてのエンディングが有効に働くのは、僕らが20時間以上コントローラーを握っていたからだ。ゲームで重要なのはコントローラーを握っている時間なのだ。だからエンディングを見てたくさんの人は涙を流す。

    ◇◇◇

キッド好きすぎて困る。

    ◇◇◇

ようやく社会復帰できる。来週からはちゃんと学校に行くかもしれない。
チェーホフの「桜の園」を読んでいるが、登場人物が多すぎて何がなんだかわからない。でも何がなんだかわからないということが許容されるのが、舞台だ。僕は今まで4回くらい演劇を見たが、話が理解できた舞台などひとつもなかった。もちろんこれは自慢ではない。




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