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堆積区間

2008.09.01(11:07)

たとえばその文章がプロによって書かれたものではなくても、幼い人によって書かれたものであっても、ひとつひとつの固形として身体の一部になってしまうことがある。
本という形式は僕らが接することのできる一形式にすぎない。そういうあたりまえのことはあたりまえすぎて気づかれず、日々僕らは葬送を続けている。細やかな言葉の連なりが朝と昼のあいだの真っ白な時間に降りてきて、ひきだしのなかの石ころのようにことりことりと音をたてる。
言葉との出会いはいつも大切で、自分勝手なほどに神秘的なのかもしれない。小さなブログの小さな一篇の詩を見て震わされることを思うと、横たわる日々のなかで何度同じことがあっただろう、何度同じことがあるのだろう。かつて起こったたくさんのものごとはやがて失われ、これから起こるたくさんのものごとはすでに失われている。それは誰にも知られない悲しい秘密なのだ。でも僕は時間が過ぎさっていくというあたりまえの観念に慣れすぎてしまって、現在に対して満足を表明し、不満を表明し、赤ん坊が泣くようなやりかたで毎日の存在を保っている。祝福が欲しいんだろう。浅ましいことかもしれないが、未来を拒否しながら、氷雨にも似た息吹をただ待つことしかできない。未来を拒否することは、快楽と裏表の恐怖なんだろう。本当は可能性の芽をひとつひとつ靴の裏で潰していることを知りながら、見栄とか自負とか、少なくとも自分にとって大切だと思うものを纏いつづけるために、素足になることができない。
閉鎖されたブログは墓標に似ている。せめて花を添えるしかないが、テクストのなかに似つかわしい花瓶は見つからず、かと言って墓石に石を飾る勇気もない。
100年後に現在のブログはどうなっているんだろう。キャパシティの制約で存在を抹消されてしまうとしたら、湿った苔のようにサーバーに染みついた感情はどこへ行ってしまうんだろう。世界に記録された名もなき言葉たちは永遠に重みを失うことなく、いつか、世界を押しつぶしてしまえばいいと、ときどき思う。




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