スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

ノッキン・オン・リヴィング・ドア

2008.09.11(05:09)

スラム砦の伝説【デジタル完全復元盤】スラム砦の伝説【デジタル完全復元盤】
(2004/11/26)
ドド・アバシッゼヴェリコ・アンジャパリッゼ

商品詳細を見る

静かになったと思った隣室だったがそれはもちろん僕の気のせいだった。僕は本当にこういうのに弱い。今にも「死ね! 気違い!」と叫び壁をどっかんどっかん蹴りそうになる。実際2回蹴った。どうして彼らは真夜中に酒盛りをするのだろう。昼間やってほしい。川のなかとか誰もいなくてなおかつ音波が届かないところでやってほしい。
彼らもテンションが上がってきたようですばらしい勢いでどっかんどっかん音がしている。笑い声。猫撫で声に似た「なんだよー」。ばたばた走りまわる音。
本当に本当に本当にこういうのが苦手で、騒音というよりもその騒音によって細胞単位でひきおこされる僕の苛々によって絶対に眠れない。真夜中の隣室の酒盛りの音というのはどうしてこんなにもグロテスクなんだろう。どんな音よりもノイジーで、吐き気がして、気持ちがわるくなってくる。人間がいちばん嫌いな音というのはよくある黒板をひっかく音とかではなくて、きっと同じ人間が発する声なのだろう。騒音ならある程度僕はやりすごすことができるかもしれないが、同じ人間が発する声だけは一生我慢がきかない気がする。何故なら僕は人間だからだ。
「天岩戸」の話でアマテラスは酒盛りにつられてひょっこり顔を出したということになっているけれど、そんなのは絶対嘘で、ただ単に酒盛りの音があんまりうるさいので「死ね! 気違い!」と言いたくて顔を出したのに決まっている。なのにその瞬間に捕まって世界を照らすなんて大仕事を任せられてどれだけ可哀相なのだ。もらい泣きしてきた。

   ◇◇◇

眠るのをあきらめカフカの「審判」(岩波文庫)の再読を始めそのおもしろさに唖然としていたのだったが、隣室がさらにヒートアップしてきたので読むのをあきらめ、パラジャーノフの「スラム砦の伝説」を見た。これがおもしろい。同監督の「ざくろの色」はストーリーがパーフェクトにわからないマゾ的な映画だったけれど、「スラム砦の伝説」はぎりぎりわからないでもない。
スラム砦が建たないので占い師だが預言者だかの女の人に王様の使いが助言を請いにいく場面があった。普通その場合王様の使いと預言者は向かいあわせにしゃべるはずだけれど、この映画ではふたりともカメラに向かって座ってしゃべっている。こういう演出はけっこう好きなのだ。
それにしても映像が本当にすごい。陳腐な表現だけれど、本当に独特の映像なのだ。ゴダールの「軽蔑」の黄色もすごくきれいだし、タルコフスキーの「ノスタルジア」「ストーカー」の水もものすごくきれいだけれど、「スラム砦の伝説」はそういうきれいさとはぜんぜん違う空間に立っている。独特の映像なのだ。たぶん、多くの人が見たことのないような。だから僕は1度こういう映画は絶対に見てみるべきなのだと思う。何よりも、「おもしろい」とか「おもしろくない」とか、そういう絶対的なものすらもどうでもよいと思えてしまうくらい、不思議な映画なのだ。
いちばん気になったのは、原語の音声にロシア語によるボイスオーバーがかかっていることだ。誰か何かしゃべるたびにロシア語も同時に流れる。これはちょっときつい。今どきの技術ならばロシア語を削除することくらいできるはずではないだろうか。できないのだろうか。ただでさえとぼしい集中力なのにさらに気になった。音を消そうとも思ったけれど音楽もこの映画の大切な要素であるし、何よりも隣がうるさい。




コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/377-001b8ef3
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。