スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

改行を読んで号泣する

2008.09.27(15:11)

イワン・デニーソヴィチの一日 (1971年) (岩波文庫)イワン・デニーソヴィチの一日 (1971年) (岩波文庫)
(1971)
ソルジェニーツィン

商品詳細を見る

ブレヒト詩集ブレヒト詩集
(1998/01)
B. ブレヒト

商品詳細を見る

帰ってきた旅人帰ってきた旅人
(1998/11)
田村 隆一

商品詳細を見る

ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」を読んだ。これについてはきっとたくさん書かれているので今さら僕が書くことは特にないが、ラーゲリ(収容所)の出来事を書いた作品だ。食事が命なので配給されたスープでどれに具がいちばん入っているか、それを見抜く力が必要であるし、席取りも重要でまるで高校の学食ごときのふるまいだ。しかしラーゲリは高校よりももっと過激で「おい、なんでおまえのスープにはそんなに人参がたくさん入っていやがるんだ。うらやましいぞ、こんちくしょう!」などと言われて背中をぶすりと刺される危険がある。ラーゲリはそんな危険がいっぱいなので管理する兵隊さんたちも瑣末な争いは見てみぬふりなのだ。
主人公はそんなラーゲリに嫌気がさして逃亡を企てる。その計画がときにユーモラスにサスペンスフルに語られる。買収の記録だ。まずは食い物や煙草なんかを同じ班員に渡しそいつらを買収し、次は班長だ。班長をうまくまるめこんだら次は医務室の医者、そして兵隊を買収しなければいけない。大事なブーツ、ブロンド女のプロマイド、パン400gと何でも渡さなければいけない、そのせいで主人公はいつも腹を空かせて「何せ一日200回もぐうぐうと腹を鳴らすのだ」。逃亡も楽じゃない。しかし、これはネタバレになるが、壁に掘った穴をポスターで隠すのは名案だろう。あんがいばれにくい。最後結局主人公は捕まって銃殺されるのだが、「まるで犬のようだ!」と絶叫するシーンでは涙を禁じえなかった。

   ◇◇◇

ブレヒト「ブレヒト詩集」はなんだか助詞がやたら抜かしてあっていささか気になった。僕は体言止めも好きではないのだけれど、助詞を抜かすのも好きではない。「考える人」という雑誌で俵万智が短歌教室みたいなものをやっていて、「五七五のリズムに合わせようと助詞を抜かす人がけっこういるけれど、助詞は弱い言葉だし抜いて間抜けな感じになるよりも字余りでも入れちゃったほうがいいときもあるのに。ぷんぷん」とか言っていて、なるほどと思った。
中島敦の漢文調の格調高い文体でもあるまいに、だいたい、僕の考えでは体言止めも助詞を抜かしてリズムをつけるのも、本来は高等技術であるはずなのだ。体言止めも効果的に使わないと安っぽくなるし、助詞を抜かしてリズムを良くするのも間抜けに見えてしまう。

   ◇◇◇

田村隆一「帰ってきた旅人」に文句はない。おもしろい。僕はこりかたまった言葉しか使わないけれど、やはりいろんな言葉を使えるのはすばらしいことなのだ。特に詩やら散文なんてどう考えたって自分の好きな言葉しか使わないので、使える言葉の種類を増やすということはあんがい大事なことなのだろう。

   ◇◇◇

これからヤマダ電機に行ってSONYのポータブルオーディオプレーヤーを買ってこよう。
明日は、朝早く起きることがもし可能であるならば、シネスイッチ銀座でターセム「落下の王国」とラモリス「赤い風船」「白い馬」を見てこよう。特にネット上で調べたかぎり「落下の王国」なんて俺のために作られた映画としか思えない。

   ◇◇◇

第3回日本ケータイ小説大賞「あたし彼女」(KiKi)がおもしろいのではないかと思っている。

http://nkst.jp/vote2/novel.php?auther=20080001

トモとの関係が

戻れなく

妊娠したけど

流産して

妊娠すら

知らない

トモに

病院から出たトコロで

ばったり会って

中絶したと

誤解され


全編この書きかただが、読んでいるとぎっこんぎっこん文章が折れまくっていてやたら気になってしまう。詩じゃないか。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20080925ddm041040125000c.html

>「あたし彼女」は今時の若者言葉を多用した今までにない文体で、切ない恋心をつづった。審査委員長を務めた作詞家、秋元康さんは「言葉のリアリティーがすごい。こんな小説は読んだことがない」と絶賛。

すごいのはそういうところではなく改行だろうと思うし、だいたいのところ「若者言葉」とはいったいなんだろう。ものすごい気になるのは、たとえば「チョベリバ」などの言葉で、今思いだしてみても誰も使っていなかったとしか思えないのだけれど、それはただ僕が田舎に住んでいたからだけなのだろうか。
でもそれはそうとして、「若者言葉」なんて「実際に若者が使っている言葉」と「若者言葉的なもの」と2種類あるのには間違いなく、若者言葉をとりいれるならばそこのところは考えなくてはいけない。ケータイ小説ならではだと思うのだけれど、この若者言葉と改行、行間のとりかたはものすごくちぐはぐで、そこが非常に気にかかる。宮崎誉子はケータイ小説と同じ書きかたをしていると思うのだが、KiKiを見習ってもっとたくさん改行してみたらいかがだろうか。

たぶんみんながケータイ小説に対して「せつない」と言っているのはただたんに「改行が多いから」という理由だけのような気がする。僕もそうだが、みんな改行が極端に多い文章を見ると「せつない」とか「言葉が胸に迫ってくる」とかわけのわからないことを言いだす。詩がせつないのは改行が多いからだ。




コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/387-5ab623c7
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。