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イクシュリオスの世界

2008.10.05(22:30)

テオ・アンゲロプロス全集 I~IV DVD-BOX IIテオ・アンゲロプロス全集 I~IV DVD-BOX II
(2004/06/19)
ハーヴェイ・カイテルマルチェロ・マストロヤンニ

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今日もせっせと日比谷シャンテシネに通った。
いちばんの目当てはビクトル・エリセ監督の「エル・スール」で、やっぱりきれいな映画だった。特に主役の女の子が初聖体拝受するシーン、花嫁のような格好で家を飛びだし丘の上で鉄砲をずどんずどんと撃つ父親を眺めるシーン、その後の教会での父親が影からすっと出てくるシーンがお気に入り。
聖体拝受というのはキリストの肉としてパンを食べキリストの血としてワインを飲むとかそんな感じの儀式だ。神聖さとカニバリズムの残虐性が同居していて、非宗教的な見地から、あるいはただの感覚的な立場で言うとものすごく神秘的で魅力的な儀式に思えて好き。

その後はテオ・アンゲロプロス「ユリシーズの瞳」を見た。
「眠くなる映画」として有名なのはタルコフスキーの映画だけれど、私はタルコフスキーよりもこの「ユリシーズの瞳」のほうがよほど眠くなってしまって、半分くらいぐうぐう眠っていた。それはきっとほかのみんなも同じで、いびきをかいて寝ているおじさんもいたし、途中で帰ってしまう人もいた。
しかし、今あらすじを確認したところ半分くらい寝ていたのに全部了解できているあたり、いろいろな意味でめちゃくちゃな映画だと思う。私の知りあいは「(アンゲロプロスのほかの作品に比べれば)
わかりやすい」と言っていたけれど、それは「フィルムを探す」という一本の線が始まりからお終いまで通っているという点において、あるいはラストのせいだと思う。こまかいところはぜんぜん意味がわからないし、意味もない。確か、カズオ・イシグロの「私が孤児だったころ」という小説がこんな感じだったような気がするが、私のことだからきっとぜんぜん違うんだろう。
1996年の映画らしいけれどもっと古い映画に見えた。ゴダールよりも難解ではなく、タルコフスキーよりも冗長ではなく、アンゲロプロスはまた別の意味に存在しているのかもしれない。
音楽が美しかった。じゃんじゃか鳴っているのだけれど不思議とうるさい印象がまったくなく、それはこの映画のいっとうすごいところだろう。
市場において、機動隊みたいな集団と松明を持った集団が対峙するところはタルコフスキーみたいでよく、レーニンの像を船に乗せて運ぶところはゴダールみたいだった。
「ユリシーズの瞳」が予想に反して3時間もあったために疲れきり、そのあとの「永遠と一日」は見なかった。本当は森美術館に行ってアネット・メサジェでも見にいってこようかとも思っていたんだけど、それも見送った。アネット・メサジェは見にいきたいし、寝ていた人間が言っても説得力はないかもしれないけどアンゲロプロスは悪くなかったので、ほかの作品も見てみたい。
でも3時間は長すぎだー。
私の認識では1時間30分以上ある映画は全部長い。

   ◇◇◇

シャンテシネは椅子が狭くてすぐに足が痛くなってどうしようもない。「ユリシーズの瞳」の後半は落ちつかなくてずっともぞもぞしていた。
神保町シアターも銀座シネスイッチも椅子が広くて見やすかった。そういう映画館は積極的に尊敬したい。「そんな足が痛くなる不便な場所で映画を見せるわけにはいかない!」という映画を愛する映画館側の姿勢が見えて、「よし、また行ってやろうじゃないか」という気になるのだ。

   ◇◇◇

ゴダールの意味がわからないのは、映画の断片と言葉の断片を適当にお鍋のなかにぽぽいと入れて、それを無理やり映画と呼んでいるからじゃないだろうか。
「軽蔑」や「勝手にしやがれ」はそうじゃないから、見やすいし、おもしろい。あとゴダールはカフカに似ていると思うのは私だけ?




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