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窓脇の落とし子

2008.10.09(21:09)

調書 (新潮・現代世界の文学)調書 (新潮・現代世界の文学)
(1966/10)
J.M.G.ル・クレジオ

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私は以前、いっさいの感情が表出れない小説を書いたことがあった。その小説のなかでは誰も楽しいとか悲しいとか喜んでいるとか書かれることなく、ただ外面的な事象だけが連綿と貫かれていた。
私は、ただ、外面的な事象を通してその小説に出てくる人間たちの内面を描写したいと思ったわけじゃなかった。内面を書く必要はないんだって思っていた。風景や仕草に人間の内面を直接的に投影することもできたろう、空が泣くとき私も同時に泣いているのだ。でもそれはしたくなかったし、私にはもう全部嘘に思えた。悲しかった。私に書かれた感情はそれはもう黄金みたいな嘘になった。
内面描写を削って書かれたその小説は400枚から150枚に減った。私は美容院に行って髪を切ってもらった。「身長が少し伸びたんじゃない?」とおなじみの人がすっぱい口調で言っている。いかに私たちが内面描写ということに重きを置いているか、そうやって少しずつ知っていく。サリンジャーの「フラニーとゾーイー」も人物の様子が書かれているだけで、実は心のうちはひとつも書かれてない。でもフラニーは人間だ。私はサリンジャーにもなれはしない、ましてフラニーになんて。

   ◇◇◇

近所の本屋さんに「文藝」を買いにいって、でもぱらぱらめくっているうちにげんなりして買う気をなくしてしまい、「現代詩手帖」を買った。
たとえばここに書かれている現代詩を読むと、自分の詩がいかに「現代詩」とかけはなれているかがよくわかってしまって、つらい。
そもそも私は現代詩も近代詩もぜんぜん読んでいないので、実は、詩のことなんかぜんぜんわかっていないのだ。じゃあ、私の書いているものはいったいなんだろう。祈りなき、場所なき声のための祝福が、どうか私の外部に少しでもあればいいと、ときどき思う。

   ◇◇◇

ノーベル文学賞がル・クレジオに決まった。「調書」で有名なフランスの作家だ。ノーベル文学賞は最近オルハン・パムクとかドリス・レッシングとか、誰も知らないような作家ばかりが受賞しているので、今回は名前になじみのある人が決まってどうも新鮮な気持ちになった。もちろん、ル・クレジオなんて読んだことないけれど。

   ◇◇◇

ノーベル物理学賞の益川さんというのが、うちの大学で講師をしている某先生の先輩らしく、「嬉しくて眠れなかった」と言って、授業そっちのけで益川さんらの話をしていた。話によると、どうやら益川さんというのは物理はすごいが英語はまったくできないらしい。大学院試験も物理はほぼ満点で英語はほぼ0点、でも同じく物理学賞を受賞した南部先生の「まあ、いいじゃないか」という寛大な言葉で大学院に入り、研究にいそしみ、こうやってノーベル物理学賞を受賞した。何があるかわからないものだ、と思う。
論文というのは普通英語で書かれているものなので、英語のできない益川さんはどうやって論文を読んでいるのだろう。どうやら彼は論文は読まず、式だけ見て何を言っているか理解する、あるいは勝手に想像して解釈するらしい。
その話をしてくれた先生は「だから、英語ができないことは致命的にならない」と言っていたけれど、そんな明らかに天才型の人間の真似はとてもできない。




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