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まるで核のように、荒野に雪が。

2008.10.18(02:43)

サクリファイスサクリファイス
(2002/03/25)
エルランド・ヨセフソンスーザン・フリートウッド

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エスター・カーン めざめの時エスター・カーン めざめの時
(2002/10/25)
サマー・フェニックスイアン・ホルム

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 今日は僕の大学の学園祭だ。明日も明後日もやっているので友人知人を誘って行ってみよう(僕は行かない。つまり、そう、だから僕の大学生活はだめなんだ)。何の関わりもしなかった人間が言うのもどうなのだと自分でも思ってしまうけれど、工学部の学園祭だからって、無理やり科学実験系のことをやらなくても良いのではないだろうか。

   ◇◇◇

 学園祭で授業がないことをいいことに、いそいそと東京に向かう。今日は国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」を見た。この展覧会はだいぶ僕の気にいった。
 風景は静寂に包まれ重く、灰色ばかり使われている。灰色を使いすぎではないだろうか、と誰もがつっこみをいれたがるかもしれないけれど、その寂しさが「豊かな退廃」とでも呼ぶべき彩りを放ち、しゅんとなる。「灰色の豊かさ」が本当によくわかって、感動してしまう。
 画面は全体的に暗く、だから一瞬の灰色が本当に銀色めいて見え、特に遠くから見たときに抜群に美しく見える。冗談ではなく輝いている。扉の奥の光、テーブルの照りかえし、うっとりするくらいにきれいだ。
 美術館に行く最大のメリットというのは「絵を近くで見ことができる」ということだ。近くで見ないと絵の具がどう塗られているか、細かいところまでわからない。
「そこまで注意深く見なくても」と思う人もいるかもしれないけれど、近くで見る大きな絵というのは本で見る絵とはぜんぜん違う。だから緻密さとそれを遠くから見たときに浮かびあがるリアルさの両端に驚愕する。
 僕は美術館に行ったときは僕はだいたい絵を近くからとちょっと離れたところからしか見ないのだけれど、ハンマースホイの絵はできるだけ離れて見てみよう。近くで見たときの(汚い)灰色がいかに美しく彩られているか、ハンマースホイは手が10メートルくらい伸びたに違いない。
 ところで、ハンマースホイは「モデルを描くには、そのモデルのことをよく知らなければだめだ」と言ったらしい。しかしながら奥さんの顔色を緑色で表現するお茶目さんだ。骸骨みたいだった。もっと美しく書いてあげればいいのに。
 彼の書く風景といったら誰もいない部屋ばかりで、誰かいても後ろ姿後ろ姿後ろ姿、本当に後ろ姿ばかり書いている。馬鹿だ。こういう人は大好きだ。

   ◇◇◇

 本当は西洋美術館のあと恵比寿ガーデンシネマで黒沢清「トウキョウソナタ」を見たあと新文芸坐でタルコフスキー「サクリファイス」を見る予定だったけれど、ハンマースホイに時間をとられすぎて、気づけば「トウキョウソナタ」に間にあわなくなっていた(上野から恵比寿まで山手線で30分もかかるんだ! 埼京線で行けばもっと早く着くらしいけど、そんなの知らなかったよ!)。そこで予定を変更して、新文芸坐でタルコフスキー「ノスタルジア」「サクリファイス」と続けて見ることにした。
 自殺行為だということはわかっていた。しかし、そのとき僕の頭は雲に覆われたように真っ白になり、ほかの良い代案は何ひとつ思いうかばなかった。どうせ1本見ようが2本見ようが値段は変わらないのだ、「ノスタルジア」で寝て「サクリファイス」に備えよう、と思っていた。どうせ「ノスタルジア」なんてDVDで4、5回は見ているのだ、「ノスタルジア」なら気持ちよく眠れることだろう。
 ところが、スクリーンで見る「ノスタルジア」はDVDとはぜんぜん違って、やけにおもしろい。いけない。おもしろすぎる。すっかり見入っている隙にアンドレイがドミニコの家に着いてしまい(あそこの水は見逃せない)、その後通訳の女性と諍いを起こし(彼女の混乱ぶりは見逃せない)、少女との邂逅を果たし(このときの水も燃える本もやはり見逃せない)、ドミニコの演説シーンになってしまった(あらゆる映画のなかでいちばん好きなシーンかもしれない。見逃せるはずがない)、ベートーベンがかかった瞬間鳥肌が立った。その後の温泉を渡るシーンもエンディングのあのシーンも当然見逃せるはずがなく、今さらになって気づいたけれど、「ノスタルジア」はやはり全部おもしろいのだ。好き。
「ノスタルジア」で体力を使い果たし、次の「サクリファイス」では若干飽き気味だった。「ノスタルジア」は2時間20分あるし、「サクリファイス」だって2時間30分あるのだ。長い。
「サクリファイス」は、もちろんとてもおもしろい映画だと思うのだけれど、タルコフスキーは少しぶっとびすぎではないだろうかと思った。世界が滅んだ後、マリアとベッドのなかに入って回転しながらゆっくりと空に上がっていくシーンは大変感動したけれど、そのあとはなんだったんだろう。何故あんなへんてこな服を着て椅子を積みあげたりしなければいけないのか。タルコフスキーのくせにゴダールみたいなことをして! 
 おそらく笑うべきだったんだろう、でも観客は誰も笑わなかったし僕も笑えなかった。
「気狂い」や「世界救済」など「ノスタルジア」と共通するテーマがたくさん見られ、核戦争で世界が滅ぶという大胆なモチーフを挿入した点はまったく悪くないし、映像は相変わらずきれいだが、タルコフスキーらしくないと言えばタルコフスキーらしくない気も、少しだけした。

   ◇◇◇

 世界の名作文学成分的な脳内メーカー、某マイミク様がお作りになったとのこと。早速やってみる。

ジョイス「ユリシーズ」 54%
ディケンズ「デイヴィッド・コパーフィールド」 30%
ドストエフスキー「悪霊」 9%
ドストエフスキー 「罪と罰」 5%
プーシキン 「エヴゲーニイ・オネーギン」 2%

 ジョイス「ユリシーズ」なんて来るとなんだか頭が良さそうに見えるのではないか、とちょっと思った。ジョイスとディケンズの組みあわせは、個人的に「純文学」というジャンルの両極あたりにいるんだろうなというイメージで、少し奇妙だ(ジョイス→超文学、ディケンズ→ほぼエンタメ)。
 最大の問題は僕がどの作品も読んだことがないということだ。僕というのはいったいどういう頭をしているんだろう、しかし「ユリシーズ」(小説と同じくらいの分量の注がないとまともに読めないらしい)が半分って、冷静に考えたらけっこうやばいのではないか.。

   ◇◇◇

 書き忘れていたが、アルノー・デプレシャン「エスター・カーン めざめの時」を見た。ナレーションはトリアー「ドッグヴィル」で、映像はのりの悪いジャン=ピエール・ジュネという感じだった。女優が自己嫌悪から「ぼっこぼこにしてやんよ」と言って自分の顔を殴ったりガラスの欠片をがりがり食べる映画だった。




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