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幽霊に憑かれるには 部屋でなくてもよい

2008.10.30(22:58)

ディキンスン詩集 (海外詩文庫)ディキンスン詩集 (海外詩文庫)
(1993/06)
エミリー ディキンスンEmily Dickinson

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 週に二度、深夜のコンビニでアルバイトをしているせいだろう、まったく夜型になってしまった。昼間に眠たくてしょうがないのだ。眠たいので当然授業に出なくなる、もし出ても授業に出ただけでぷいと帰ってしまい、家のベッドでぐうすか寝てしまう。俺は屑だろうか。
 去年、大学院に行かずに四年で卒業していった友達は僕以上に深夜のアルバイトをやっていた。彼は卒業する間際、
「深夜のアルバイトをやると、授業に出なくなる。やめておいたほうがいい」
 と呪いのように言って去っていった。
 僕は彼の言葉を右から左へ受けながした。そうしたら、案の定このざまである。人の言うことくらい聞け、俺。
 授業に出なくなる、昼間から眠り深夜にむくりと起きる。深夜という時間はどうも不健全な気がして起きているだけで気が滅入るし、何をやるにも気力が出ない。そして朝を迎えるとなんとなくけだるい感じになり、眠い眠いと脳みそがつぶやいている。そして何もやらない。買い物にも行かなくなるので食べるものがどんどんジャンクになっていく、このすばらしい負の連鎖、天使の贈り物か、このにゃんこちゃんめ!
 これはまったく僕の不徳の致すところであるが、とにかく、きっとすべての原因は夜型、というよりも深夜型の生活にあるような気がしてならない。これはおそらく真理だ。だいたい昔から夏休みなどになると夜型になるタイプだったけれど、それでも朝の四時や五時には眠っていた。ところが今ではどうだ、お昼をまわらないと眠れやしない、もう頭がおかしいとしか思えない。
 もうパパがんばっちゃおうと思う。ちゃんと夜(朝方)に眠り朝(お昼)には起きようと思う。そもそも、僕はちゃんと昔から「いいとも」が始まる時間には起きている子供だったじゃないか! 僕は興奮している、もう誰も俺をとめることはできないだろう、俺以外の人間はケラチン物質だ、俺はきちんと朝に起きる、明日の授業も出るしゼミも出るし昼間にも眠らない、もし俺がこれをまっとうできなかったら、「あの子はできない子だったんだな。むみゅう、ぐっすん」と哀み、俺の背中を撃ってやってくれ。きみに銃を渡しておこう、白菜と交換だ。裏の畑でとれた、母親の白菜と。

   ◇◇◇

 ひきこもってポケモンばかりやっていたので、昔からスポーツが大嫌いだった。運動神経は子供の頃からぶちぶち音を立てて切れ、もう一本も残っていない。というわけで普段まったく身体を動かしていないのだけれど、ここまで動かさないと「人間は果たしてどれだけ運動せずに生きていけるのだろうか」という永遠のテーマに挑んでいる気がしてくる。しかしそんなことを言っている場合ではそろそろなくなってきたので(バイト先の三十になった人が「二十五を越えると身体の衰えを痛感するようになるだっちゃ!」とおっしゃっていた、この呪いもたぶん成就するだろう)、少し真面目に外でも走ってこようと最近本当に決意している。もし俺がこれをまっとうできなかったら、やはり撃ってくれ。残虐に殺してくれ。ところでジャージっていったいどこに売ってるんだ?

   ◇◇◇

 大学に四年と半年いて、理系の研究がとことん嫌になっている。なのでこの半年一センチも研究が進んでいない。これが五月病というやつだろう。これをあと三十年間もそこらやるとなると本当発狂しそうだ、もうどうなっていいので本当正直理系以外の職種につきたい、就職活動がんばろう、本当がんばろう。なんで大学院に来てしまったのだろう、来なければまだなんとかなったのに。俺はエスパーなのでその答えがわかっている、「あと二年遊べるじゃん!」と糞舐めたことを考えていたからだ。贖罪として大学前の道を舌で舐めてきれいにしてこようかしら、あたたかな太陽の光を反射するまでに!
 大学ではほとんど誰とも会話をせずに、授業中に本を読んで家に帰って本を読んでこりこり小説を書いていた。よく正気でいられたと感心するしかない、しかし俺はいったい大学で何を学んだというんだろう、いったい何を。少なくともそんな生活はするべきではない、ということだけはわかった。よくわかった。これも真理だ。

   ◇◇◇

 だいたい、特に自分より年下の人が小説やらの新人賞を受賞しているのを見るとやたらむかつき、「これはつまらん。ぷんぷん」と思ってぜんぜん読まない。読んだって実際腹が立つだけだし、欠点ばかり探そうと躍起になり、実際つまらないのかおもしろいのかもよくわからず、苦しくなるだけなのだ。冷静になれない。それはまったくもって良くない。
 ただ、それらの小説と比べて現代詩のほうに目を向けると、年下であっても感心してしまう作品がたくさんあることに気づいた。そしてその成熟さといったら小説におけるそれを遥かに凌駕しているように思え、「なんだってこの人たちはプロじゃないんだろう?」と不思議に感じてしまう。いったい現代詩の世界とはどうなっているんだ、というより、たぶん、現代詩をプロ・アマチュアと分けること自体が間違っているんだろう。
 十八歳でも完璧な詩は書ける、でも俺には書けない、つまりはそういうことなのだ。現代詩手帖を読んでいると元気が出てくる。俺もがんばろうという気になる、何故って、あそこに書いているやつら、野蛮だから。俺もそうであれば。詩や小説をがんばろう(という決意が学校のことを次々とおろそかにしていくのであった)。

   ◇◇◇

 くだらないことを書きすぎたので、ためになる話をしよう。

 その1
 量子力学のお話。
 柄谷行人を読んで感銘を受けたことがふたつあって、ひとつは現代のいろいろな状況が文学や数学の世界で対応しあっている、ということだった。たとえば、現代文学は近代文学の超克として、たとえば「文学って別に文字で書かれていなくてもいいんじゃね?」と言う意見が出てきて、実際そういう作品も存在する。
 それと対応するように古典物理学の超克として現代の物理学(量子力学)がある。「ブラウン運動」というのを高校か中学でやったけれど、微粒子が好き勝手ランダムに移動するという運動だ。「ランダムに移動」ということは、「各微粒子がある微小時間後にどの位置にいるか予測できない」ということだ。古典物理学では微粒子に速度を持たせる。その速度はベクトルなので、ある時間にその微粒子が存在する場所を決めれば、それから微小時間経過後の位置も予測できてしまう(速度が右を向いていれば、右にいると予測できる)。が、これは「ランダムに移動」という事実と矛盾する。さてどうしよう。古典物理学ではこのとおり、ブラウン運動を物理学として無矛盾に数式化することができなかった。そこで量子力学ではどうするかというと「微粒子は速度を持っていないんだよ」と考えることにした(!)。今ではこれは常識らしい、微粒子は速度を持たない。ニュートンが質量と速度の関係を導きだして以来常識であったことを量子力学はうち壊した。
「速度を持ってないなら、どうやって動いているんだろう?」
 と思うかもしれない。ほんと、どうやって動いているんだろう。不思議だ。

 その2
 戦争のお話。
 空爆のジレンマ。たとえばアメリカでテロがあると、アメリカは戦争気分になるらしい。民衆も「戦争やれやれ」という気分になるらしい。で、戦争をしちゃうらしい。普通に戦争をすると、たとえばジャーナリズムが活躍してアメリカ兵の死体の写真をいっぱい撮って雑誌に載せ、テレビでもその様子がたくさん流れるらしい。そうすると民衆は「アメリカ兵をこんなに殺すなんてけしからん! かわいそうだ」と政府に文句を言うらしい。こうなると困るので戦争では空爆を中心に行うらしいけれど、空爆をすると誤爆が多くて民間人がたくさん死ぬらしい。そうすると相手国は「民間人を殺した!」と言ってアメリカに激怒、後々まで禍根を残すらしい。
 オチはありません。

   ◇◇◇

 幽霊に憑かれるには 部屋でなくてもよい
 家でなくてもよい
 頭のなかには現実の場所よりも
 はるかに多くの回廊がある

 そとの幽霊に真夜中に出会うほうが
 はるかに安全だ
 あの冷たい客に
 うちがわで向かい合うよりも

 石に追われて
 僧院を駆け抜けるほうが はるかに安全だ
 淋しい場所で 武器もなく
 自己と出会うよりは

 隠れている背後の自己のほうが
 もっと驚かす
 わたしたちの部屋にひそむ暗殺者などは
 すこしも怖くない

 からだはピストルを携えて
 ドアを閉める
 だがもっとすぐれた幽霊か
 なにかを見逃すのだ
         ――エミリー・ディキンスン




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