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高橋源一郎講演会 今の世の中で小説を書くということについて@中央大学

2008.11.03(20:54)

罪と罰 (下巻) (新潮文庫)罪と罰 (下巻) (新潮文庫)
(1987/06)
ドストエフスキー工藤 精一郎

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 ソーニャ、ソーニャ、そこにいる? あたし、今度から懺悔したいとき、いつだってあんたにやるわ。ああ、地球の裏側から二足歩行でやってきた、肺病みの男の咳がこだまする墓穴のなかからやってきた、まるで銃殺を決意した天使のような泣き顔で!
「だっふん。現実的に小説を書くとしたら仕事をしながら小説を書くのがいちばんだっふん、しかし、小説というのはそんな覚悟で書けるものではないだっふん」
 あたし、高橋源一郎の話を聞いて自分のくだらなさを呪ったわ、講演後のサイン会であたしは「講演楽しかったです」って言っちゃった、でもそれは違った、あたしは「講演悲しかったです」と言うべきだった、でもあたしにはそれができなかった、ただ勇気がないばかりに。こんな、あたしはもう嫌、
「だっふん。たまに『小説家になりたいのだけれど、私は小説家になれるでしょうか?』と訊きにくる人がいるけれど、だっふん、その人はその時点で小説家になれない。小説家はみんな『おれは小説家になれると思っていた』と言うのだ。だっふん」
 あたしにはなんの覚悟もない、芸術に焦がれながら高尚なふりをして安穏としている、ああせめて饒舌になろうか、あたしは狐のように舞おうか、あたしは捨てたいがあたしは保身に走るのだ、まるで保身だ、血眼の保身、宇宙では血を注がれたお皿がまわっている、悲しいのは、あたしはあたしを天才だと、あたしはあたしの文章を芸術的に天才だと、思うけれど、ぜんぜんそうじゃないのだ、ああ現実はかくも遠いものか! 船が焦がれていく、ヨシュアの樹の根元に片耳を失った猫が! くたり、人に優しくなりたい優しくなりたい、どうしてあたしはこんなに冷酷なのか、錆びついたマシンよりも卑屈で鍛えあげられた筏よりも脆い、どうしてあたしにはこんなにも何もかもの感情がありえないのだろうか、ああ、あたしはいったい! 以前に「何を深刻ぶっているのだ」と他人から言われた、彼は正しい、ああ彼は正しい、あたしは何を深刻ぶっているのだ、もはや何もない、あたしはつまりは小説なぞぜんぜん好きじゃないのよ、あたしにはほかに何もないから小説を読んでいるだけ、あたしは小説を読んでいるあたしが好きなだけ、あたしは他人を見下すために小説を読んでいるだけ、あたしはごまかすだろう、砂糖水を蜂蜜と偽るだろう、ああ祭りが始まる、くるくる綿あめ!
 中央大学の文化祭に行った、法政大学の文化祭に行った、彼ら彼女らはどうして私に話しかけようとするんだろう、あたしが、このあたくしが何か気のきいたことを返すはずがないじゃないか、ああ、断るとまるで自分が悪いみたいじゃないか、なんという、なんという兎狩りだ!
 高橋源一郎が今年のベスト5に挙げていたのが、町田康「宿屋めぐり」、中原昌也「中原昌也作業日誌」、東浩紀・大塚英志「リアルのゆくえ──おたくオタクはどう生きるか」、舞城王太郎「ディスコ探偵水曜日」、kiki「あたし彼女」、あたしは「あたし彼女」を読んだとき「初めてケータイ小説でおもしろいものが出てきた」と思ったわ、これは自慢よ、これは自慢よ、あたしは飲みこんだのよ、「あたし彼女」を飲みこんだのよ、でもそれは、それは、ああ、あたしは講演会の会場で座ったとき、何か神懸り的なものに「おまえは小説家になるべきだ!」と言われるのを待ったわ、でもそれは起きなかった、ああ、どうして、ああ、スポットライトと画鋲シューズよ、どうして、ああ、あたしが許せないのは、どうしてもあたしが古典に回帰すること、どうしてこんな文章なんか、「文藝」の「けちゃっぷ」も、「すばる」のなんとかくんの「なんとか」という作品も50行くらい立ち読みしたわ、ああでもあたしは、あたしは、まるであたしはおっさんの顔をしたねんねちゃん!




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