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映画のポケット Vol.14

2008.12.03(00:36)

さかしま (河出文庫)さかしま (河出文庫)
(2002/06)
J.K. ユイスマンス

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眠れる美女 (新潮文庫)眠れる美女 (新潮文庫)
(1967/11)
川端 康成

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 29日(土)は「映画のポケット」に出席するため東京に向かった。俺にしては珍しいことに蔵原惟繕でも見ようと思い、国立近代フィルムセンターに向かい「夜明けのうた」を見た。だいじょうぶだろうかと思うくらい空いていた。最初の静止画の連続ショットがあまりにも馬鹿馬鹿しくてひとりにやにや笑いそうになるが、誰も笑っていなかったので笑うところではないようだった。中平康「月曜日のユカ」の加賀まりこのあまりの可愛さにめろめーろにされた俺、「夜明けのうた」主演の浅岡ルリ子も別の意味ですばらしかった。特に星型の絆創膏を貼られたところなどまったくずるいシーンであった。
「月曜日のユカ」でもそうだが、「夜明けのうた」(1965年)当時というのは今よりも「女優」というものが幅をきかせ、ある種の権威として成立していたはずだ。当時のスター女優が存在したようには今の女優は存在することはできない、と歳を重ねた人なら誰でも思うであろう感想を俺も持った。
「夜明けのうた」があまりにもおもしろかったため、続けて「愛の渇き」を見ようと思ったが、「レバノンの映画ひとつも見たことないからレバノン映画見よ」と思いたち、蔵原を裏切った。ジョアナ・ハジトゥーマ&カリル・ジョレイジュ「私は見たい」。が、ほぼ8割方寝ていたので内容はわからなかった。冒頭で俺は「この手の映画ではロックをかけなきゃだめだよ」とぶうたれていたが、ラストで思いきりロック(だと思う)がかかり、「わかってるじゃないか」と思いなおした。レバノンはきれいである。
 そのあと恵比寿の写真美術館に行き「オン・ユア・ボディ」を見た。四人の人間がピアノを弾き、その差異を楽しむというコンセプトらしい映像作品があったが、さすが俺、まったく違いがわからなかった。いちばん印象に残ったのは高橋ジュンコの映像作品であった。黒い服を着た女がかっくんと膝を折る映像が延々流れていたが、そこから生じる官能性みたいなものに俺は本当にびっくりしてしまった。えろい。志賀理江子の耽美的なベッドの作品もまた良かった。地下一階に無料コーナーがあった。このコーナーの作品も悪くなかった。コンテストの優秀作やら佳作やらがたくさん飾られていた。各写真家の写真の下に手帳が置いてあり、来場者が自由に感想を書きこめるようになっていた。あの場所で他人の感想を読みながら、その感想を受けた写真を同時に見るということは俺にとって不思議な体験であった。むしろ、俺にはそこに飾られている写真よりもその写真に向けられた感想のほうが何か大事なものを内包している気がした。そこには、それだけで一本の映画が撮れるほど貴重であたたかい何かが存在しているのに、俺はそれを表す言葉を持っていなかった。歯痒かった。できれば手帳をめくり感想をずっと読んでいたかった。でも他人の感想を読むということはマナー違反なのかもしれない。俺にはよくわからなかった。そして、何故誰もこの手帳を出版しないのだろうかと俺は不思議に思うのだった。もし今出版すべき作品があるとすれば、きっとそこに置かれた手帳に違いないと俺は思った。
「映画のポケット」に参加した。今回は映画に出てくる悪党特集的なもので、変態がたくさんいた。フィルムノワールとして自分が選ぶのだったら何を選ぶだろう、とぼんやり考えてみるとたぶん青山真治「Helpless」や相米慎二「台風クラブ」で、せいぜい深作欣二「バトルロワイヤル」が選ばれるはずだ。そう考えてみると、今回紹介された暴力と俺が好きな暴力というのはぜんぜん別なもので、結局俺は自分が好きなものしか好きではないのではないだろうかとしみじみ思った。たまたまであるが、今読んでいる本がベンヤミン「暴力批判論」。

   ◇◇◇

 30日(日)は一日中模試の監督のアルバイトをした。

   ◇◇◇

 12月1日(月)は夜、新文芸坐までマキノ雅弘「肉体の門」(1948)を見にいった。途中寝ていたが、これはすごい映画だった。女の子が鉄棒を握りしめて「あたしをぶって! あたしをぶって! あたし泣かない! 泣かないよ!」と絶叫し、その姉貴分の女が「よし!」と言って鞭でびしびし女の子の背中を打ちまくる。演出もあいまってそのシーンはとても筆舌に尽くしがたく、すさまじいとしか言いようがなかった。このシーンが後のスポコン漫画に影響をあたえたというのは有名な話である。
 行きの電車のなかでは座れたのでユイスマンス「さかしま」を読んでいた。帰りの電車のなかでは座れなかった。立ったまま読むと(カバーがかかっていないので)何を読んでいるかばればれであり、ユイスマンスを知っている人にユイスマンスを読んでいると思われるのが嫌なので、しかたなく川端康成「眠れる美女」を読みはじめた。しかしユイスマンスなんぞより川端のほうがよっぽど変態であり後悔した。老人が眠り薬で眠らされた女と一緒に眠り、昔の女の思い出を延々思いだすという話である。変態である。描写も女の身体のことしか書いていない。「女の乳房を美しくして来たことは、人間の歴史のかがやかしい栄光ではないのだろうか」とか、インテリ中学生の宣言文のようなことが平気で書いてある。正気ではない。これが「日本の美を表現した!」と世界で賞賛された川端御大の御力である。「これ以上老いるのが嫌だから自殺した」という都市伝説っぽい話も「眠れる美女」を読んだら信じられる。
 変態文学のメッカはフランスであると俺は思っているが(いきなりおしっこをひっかけあうバタイユ、なんとも言いがたいアラゴン、言うまでもないサド、墓だの蛆虫だの連発するボードレールやランボー)、日本も負けてはいないのではないだろうか。たぶんキチガイという言葉が軽く1000回以上は出てくる夢野久作「ドグラ・マグラ」、「ナオミ、俺を馬にしてくれ!」と絶叫した谷崎潤一郎、「乳房の美しさは人類の栄光だ」と平気でのたまう川端康成、明らかに頭がおかしい萩原朔太郎。
 いろんな意味でおもしろすぎるぜ、なんだこの国。




コメント
エドガー・アラン・ポーやH・P・ラグクラフトも変態ですよね。
【2008/12/03 02:33】 | 上田洋一 #- | [edit]
ラグクラフトは読んでいないのでわかりませんが、ポーはわりと変態だった気がしますね。詩集と「モルグ街~」しか読んでいないし、ぜんぜん覚えていないのですけれど。
記事の、

>変態文学のメッカはフランスである

という部分、「フランスであると思える」というふうに書けばよかった、と今思いました。
【2008/12/03 02:57】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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