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勅使川原三郎 身体実験劇場「ない男」

2008.12.14(01:51)

 両国にあるシアターΧまで、勅使川原三郎の舞台「ない男」を見にいった。原作はムージル「特性のない男」。俺が行ったときには関係者と評論家にしか見えない人しかおらず、「やっべ俺来る場所間違えた」とどぎまぎしたが、後からちゃんと普通の人も入っていた。
 どういう舞台かというと、もちろん説明はできないのだが、かんたんに言うと、たぶん原作のテキストや台詞が延々ナレーションで流され舞台上では人物が頭の狂ったような動きをやっている、というもの。
 俺はダンスというものをいっさい見ない人間なので気づかなかったが、人間が高速で動くと残像が出来るということを再認識した。何故かと言うと、その残像があんまりにもかっこうよかったからだ。

   ◇◇◇

「ない男」では言語が再生されているようにも思えた。「言語の再生」とは「言語の喪失」が前提となっているが、俺はこの舞台を見て「言語の喪失」を強烈に意識し、そして今まで気づいていなかった「喪失」が急激に「再生」されているのを感じた。俺は感覚だけで話している。俺があの舞台に何か届けられるとしたら、感覚だけに頼るしかないのだ。俺は言語分野の人間でありたいと思うし、何か作品に対してものを言うとき、言語分野からものを言いたいと思う。俺は「ありがたい」と思った。俺はその舞台に何故か感謝したくなった。俺は何に対して「ありがたい」と思ったのかよくわからなかった。ただそこで、その場所で、そのようなパフォーマンスがなされていることをとてもうれしく感じ、心底、ありがたいと思った。
「初めに言葉ありき」
 俺は意味というものはすべて付加されたものかもしれないと思った。ゴダールは「映画のなかの俳優は何も考えていない。映画のなかで俳優が悲しい顔をしていると、観客は『彼は悲しんでいるんだな』と考える。映画俳優はいっさい仕事をしていない。観客は金を払い、しかも仕事をしている」と言った。
 ゴダールの言うことは観客中心で考えるならばまったく正しい。世界について、もし俺が俺中心にものごとを考えるならば、他者は何も考えない。他者が「あんた馬鹿ね」と俺に言うとき、俺は「ああ、この人は俺のこと馬鹿だと思っているんだなあ」と考える。俺のみを考えれば、そこにはそう考える俺がいるだけだ。他者は何もしてはいない。俺がそう考えたことによって他者の言葉が初めて俺に届く。この過程を一般に「意味」と呼ぶ。シニフィエ、シニフィアン。そこに存在している言葉と意味とは本来乖離しているものだが、俺たちはそう考えたほうが都合が良いので、言葉と意味を一緒くたにし、一緒くたに受けとる。それは罪ではないが、そこを超えることでしかできない表現もあるのだ。
「初めに言葉ありき」
 それは
「初めに表現ありき」
 とニアイコールで結ばれる。
 勅使川原三郎のやったことは正しくムージルのパフォーマンス化であり、また、勅使川原三郎のやったことは「小説」と呼んでもまったくさしつかえない。勅使川原三郎らは舞台上で小説を行ったのだ。

 俺がそう考えたことによって他者の言葉が初めて俺に届く。この過程を一般に「意味」と呼ぶ。

 俺はこう書いた。しかし俺は今おかしいのではないかと思った。
 言葉を他者に届けるときに発生するのが「意味」であるならば、「意味なき存在」は決して他者に届かないのか?
 違う。
 違う。
 馬鹿め。
 音楽も、映画も、小説も、詩も、現代アートも、ダンスも、演劇も、「意味なき存在」を他者に届けようとしたアプローチだったじゃないか。涙が出てきた。芸術と呼ばれるものたちはこんなにも馬鹿で、俺もやはり馬鹿だったのだ。「意味にのった言葉」を受け取った相手が得るのは「納得」だとすれば、「意味にのらない、何か別ルートにのってきた言葉(表現)」がもたらすのは「共感や感動」に決まっているじゃないか!
 俺は「小説に共感するな!」と何度となく言ってきた。たぶんそれは間違っている。芸術と呼ばれるものはおそらくひどくたんじゅんであり、けっきょく、共感や感動を呼びおこすためのものなのだ。どうして俺はこんなたんじゅんなことに気づかなかったんだろう?
 ようやく最初にもどってきた。
 ジェイ・マキナニーの「ブライト・ライツ、ビッグ・シティ」はふりだしにもどるための小説だった。小説が始まった瞬間、すべてはその小説の最初にもどるために動く。俺はそれを見習おうと思う。傲慢になってしまった俺を殺すために、俺は努力しなければいけないと思った。

 勅使川原三郎らは舞台上で小説を行ったのだ。

 俺はこうも言った。
 そしてジョン・レノンは「僕の競争相手はミュージシャンじゃない」と言った。
 俺はジョン・レノンを正しいと思う。




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