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猟奇的な彼女

2008.12.19(01:32)

 早稲田松竹で映画を見た。キム・ギドク監督「ブレス」(2007年)とイ・チャンドン監督「シークレット・サンシャイン」(2007年)。韓国映画は「猟奇的な彼女」しか見たことがなく、しかもそれを見たとき不覚にも殺意を覚えてしまったので、それ以来「韓国映画? ぷん、だっせーよ」と偏見を抱きまくり一本たりとも見ていなかったのだけれど、そういう人こそ見なくてはいけない。
「シークレット・サンシャン」はたぶん今年見た映画でいちばんおもしろかったのであとでちゃんと感想を書くとして(僕が今年見たいちばんおもしろかった映画は5本くらいあるけど)、「ブレス」もものすごくおもしろかった。まずびっくりしたのがいっさい会話がないということ。もちろんみんな何かもごもごとしゃべるのだけれど、それに対して答えないこと山のごとし。
 この映画の軸は夫の浮気で家庭を壊された女とひとりの死刑囚とのくりかえしの面会にある。それでもここには音声的な対話はいっさいない。女が死刑囚の前でやることは「ただの独り語り」と「歌と踊り」だけ。女は頭が狂ったみたいに面会室に春の壁紙を張り春の歌をうたいだす。こう書くと今読んでいる人には何がなんだかわからないだろうけれど、あの異様でいて最高のシーンを説明する手段なんてありっこないのだから、見てもらうしかない!
 不思議なのは、対話がいっさいないのにこれでもかというくらいに登場人物の感情が激しく動きまわっているということで、僕らはただそれに魅せられるしかない。それは狙っているわけでもないのに映画の運動と酷似している。映画作品とそれを見ている観客はいっさいの対話を行わない。でも映画を見ればこんなにも感情が揺すぶられる。それはあたりまえのことだけれど、やっぱりすごいのだ。

   ◇◇◇

 チャールズ・ブコウスキー「パルプ」(柴田元幸訳、1994年)はとんでもない傑作で、読む前は「なんでブコウスキーを柴田元幸が訳してんだ?」と思っていたけど、これ、探偵小説だった。僕としてはミステリ好きな人にはやっぱりオースターやブコウスキーをちゃんと薦めたい。
 しかし、読めば読むほど高橋源一郎に似ている。高橋源一郎がどれだけブコウスキーに影響を受けているかは知らないけれど、まるで高橋源一郎が書いたみたいだ。この小説にはセリーヌが出てくるのだけど(もちろんルイ=フェルディナン・セリーヌ)、そのセリーヌがこんなことを言う。
「昔は作家が書いたものよりも作家の人生のほうがおもしろかった。今じゃ人生も小説もつまらん」
 いかにも高橋源一郎が言いそうだ。
 これはさもありなんで、この小説は遺作で献辞にはこんなことが書いてある。
「悪文に捧ぐ」
 こんな献辞が載った本を遺作として出して死んでいくというのは、もう文学だと思って間違いないだろう。かっこよすぎるぜ、ブコウスキー。

   ◇◇◇

 帰りの電車のなかでおじさんがおじさんに説教していた。「だめだおまえは。とんだ甘ちゃんだ。おい、返事をしねえか」などとマンガみたいな台詞を吐いていた。おじさんがおじさんを叱るというシチュエーションは僕にとってどうも想像を絶することで、しかも叱ってるほうのおじさんは両手でふたつのつり革につかまってぐるんぐるん身体をまわしていた。呂律もまわってなかったし、べろんべろんだったのかもれない。そういうのを見ているとへんな気持ちになってしまう。もし何か悪いことをしたのなら説教することは必要かもしれないけれど、説教される姿なんて誰だって他人に見られたくないのだから、どこかでこっそりやればいい。それもしらふで。こういう場面や高田馬場のテンション高い学生の姿にはいつも憂鬱にさせられてしまう。

   ◇◇◇

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