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ハッピー・クリスマス

2008.12.25(07:08)

 イヴの夜 バイト励めど 夢の花

 今年のクリスマスは中止になりました。カラスヤサトシがそうであったように、もしもある人がクリスマスをまったく意識せずに12月25日を過ごすことができたならば、その人にとってはクリスマスなんて存在しないのです。クリスマスが特別なのはキリストの誕生日だからではありません。クリスマスが特別なのは、キリストの誕生日を特別だと思う人がこの世界に何億もいるからです。それだけのことなのです。僕にとって僕の誕生は特別ですが、キリストの誕生は特別ではないのです。そしてもし僕にとってこの日が特別であるならば、それは僕以外の人間が「今日は特別な日なのさ」と思っているからなのです。勘違いしてはいけないのは、そういう類の「特別」が貴いということです。
 僕は去年のクリスマスに何をしていたかまったく思いだせませんが、去年か一昨年、秋葉原にいたような気がします。「イヴじゃないからセーフなんじゃないだろうか?」と友達に言われて秋葉原にいたような気がします。なんで秋葉原にいたのか、そこで何をしていたのか、まったく覚えていないのですが、暗黒物質が大量にわくような気持ちです。
 こんな日には特別なことが起こります。知らないおじさんがいきなり高級なケーキを切り分けて僕たちに食べさせてくれます。エアコンのリモコンの電池が切れてエアコンがつかずに凍えそうになります。飯島愛が死んだりします。飯島愛が死んだとき、僕は市川崑が死んだときよりもヴォネガットが死んだときよりも衝撃を受けました。彼女が死ぬということは僕にとってありえないことのように思えました。おそらく、サリンジャーが死んでも村上春樹が死んでも飯島愛が死んだときのようにはショックを受けないかもしれません。でも、その理由は、もしかしたらただ新聞の一面に大きく載ったというだけのことなのかもしれないのです。僕がアルバイトしている時間帯には代行の運転手さんがたくさん来ます。彼らはこぞって「寒くなった」と言い、「年を越せないよ」と言い、「今日のホテル代がないよ」と言います。自動車会社から突然解雇された派遣労働者も「年を越せない」、「バッグひとつで路上に放りだされた」と言います。「何故彼らに貯金はないのだろうか?」と僕は思いました。でも僕にはよくわかりませんでした。そして、「自動車会社は何故あれほどの黒字を出しておきながら、景気が悪くなるといきなり馬鹿みたいな赤字を出すのだろう?」と思いました。「どうして彼らは極端から極端に走るんだろう?」と思いました。「何故人は手元に10万しかないのに100万のお金を動かすことができるんだろう?」と僕はよく思うのです。僕にはいろいろなことがよくわからないのです。地方では年賀はがきが値崩れしています。年賀はがき販売のノルマを達成できなかった郵便局員が自腹で買って金券ショップに売るからです。「何かがおかしいな」と僕は思うのです。僕は年賀はがきのCMを見ました。そのなかで自転車に乗った可愛い女の子が「出す年賀状の数は、私を支える人の数です」と言っていました。「僕は年賀状なんか1枚も出さない」と思いました。「ということは、あのCMが正しければ、僕は誰からも支えられていないんだ」と思いました。僕は何故日本郵便がそんなことを言いだしたのか、さっぱりわからないのです。僕はテレビである人が「どのくらい年賀状を出しますか?」と訊かれ、「2000通くらい」と答えているのを見ました。「それは大変だ」と僕は思いました。「1日6通書かないと全員に出せないじゃないか」と思いました。でもきっと僕は間違っているのです。飯島愛は月60万の部屋に住んでいたと新聞に書いてありました。重要なことは、彼女もまた年を越せなかったということです。「バッグひとつで路上に放りだされた」と言う人が何らかの理由で年を越せなかったのと同様、月60万の部屋に住んでいる飯島愛も、自殺か病気はわかりませんが、とにかく、何らかの理由で年を越せなかったのです。ここではものすごく複雑なことが起きているのです。「年を越せる」というのは、いったいどういうことなのか、本当のところ、誰にもわからないのです。
 ジョン・レノンとオノ・ヨーコは正しいことを言いました。彼らは「もしきみが望むなら、戦争は終わるのさ」と言ったのです。「きみ」とはもちろん世界中のあらゆる人々です。もしこの世界に存在するあらゆる人々が「戦争はやりたくない」と思っているのなら、戦争は起こらないのです。でもこの世界には「戦争を起こしたほうがいい」と考えている人がいるのです。だから戦争は起こります。あるいは「戦争が起きてもかまわない」と思っている人もいます。彼らは目の前に爆弾が降ってこないと「戦争なんて嫌だ」とは言わないのです。たとえばそれは僕のような人間です。僕は実際「戦争が起きてもかまわない」と思っているのです。何故なら、僕は戦争防止のために何ひとつ努力してこなかったからです。同じように「テロを起こさなければならない」と考えている人もいます。「俺が死んでも、テロを起こさなければならない」と考えている人がいるのです。だからテロが起きるのです。「テロを起こそう」と考える人がいるからテロが起きるのです。でも僕には「テロを起こそう」と思う気持ちがわからないのです。おそらく、誰かが「テロを起こそう」と思ったとき、僕のように「テロリストの気持ちがわからない」と言う人間がいるから、実際にテロが起きるのです。僕のような人間がいなければテロなんか起きないかもしれないのです。僕はテロリストの気持ちがわからないから「テロはよくないことだよ」とか「テロは断じて許せない」などと言うのです。僕の考えでは、テロリストについてもっとわかっていたら、人はきっともっとまともなことが言えるはずなのです。「テロは断じて許せない」というのは宣言であっても対話ではないのです。そして僕が書いてることも、また、宣言であっても対話ではないのです。
 中村一義が言うように、こういう物言いは糞に糞を塗るようなものなのです。いくらでも書けますが、いくら書いたってしかたがないのです。それはきっと1年に1回書くくらいがちょうどいいのです。1年後の僕が見ものです。きっと今日の僕がちょうど1年前の日記を読んで「馬鹿なことを書いている」と思うように、1年後の僕はこの日記を読んで「馬鹿なことを書いている」と思うのです。そう思えたら、僕はきっと少しだけ幸せになれたのです。




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