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きみがちぎれるまであたしは石でいよう

2009.01.21(16:46)

 金井美恵子「文章教室」を読んでいると、「ここにもあたしのことが書かれている!」と思っちゃって、と最近そんなことばっかり考えちゃうのでそれはどうでもよくて、シネマヴェーラで森崎東の「女は男のふるさとヨ」と「特出しヒモ天国」を見てきた(朝起きられなくて松本俊夫は見られなかった)。
 あたしはもちろん森崎東なんて誰だか知らないけれど、初めて行ったシネマヴェーラは若いお客さんがいっぱいいた。この前の岩波ホールはおじいちゃんおばあちゃんしかいなかったのでびっくりした。渋谷とはそういう街なのか森崎東は実は若者に人気があるのか、よくわからない。
 さてこの2本はどっちもおもしろく、特に「特出しヒモ天国」はまったくすばらしい映画だと思い、けれど森崎東の映画は基本的にあたしの管轄ではまったくないのでうまいこと書けないのがくやしく、とりあえず真魚八重子さんがとても熱心に感想を書いてらっしゃるのでそっちを見たほうがいいと思う。
 これらの映画のおもしろさはたぶん「適当さ」にあって、実際どうだか知らないけれど、ものすごく適当に脚本をつくっているんだろうと思いこんでしまった。「絶対こいつら脚本なしで映画撮っただろ!」とあたしずっといぶかんでいて、そういう感触はゴダールがどうとかよりももっとすごいことで、実際、つまりそういう感覚を前にすると「実際に脚本を使ったかどうか」なんてどうでもよくなってしまう。
 現に、「女は男のふるさとヨ」も「特出しヒモ天国」も見終わった瞬間にすべて忘れる。作中であれだけいろいろなこと行われているように、まるで見事になにひとつ覚えていない。正直な話あたしはタイトルすら忘れてしまった。それがいかにすごいことか、ほんとは見ないとわからないのだ。
「完」という文字が出ても全然「完」じゃない、何もどうなっていないし、各エピソードの挿話のしかたもほんとにぐちゃぐちゃ(へたくそとかそういうレベルじゃない、というか何にも考えてないんじゃないの?)。「舞台の設定だけしてあとはキャラクタを適当に動かして人情ドラマっぽく作りゃいんじゃね?」という適当感覚が見え見え(だとあたしには感じられた)。
 映画なんてそんなもんでいい、というか、べつにいいわけじゃないけれど、実際どうやってつくっているかこと映画に関してはあたしはそんなに興味を持っているわけでもないので深く考えはしないし、とにもかくにも、そんなぐちゃぐちゃに適当に作っているように見える映画がこんなにもおもしろいというのは、やっぱりすごいことだというか、月並みな言いかたをすると「キャラクタが生きている」というだけのことかもしれないけれど、むむむ、すばらしかった。
 あたしはアル中のストリッパー、ローザ(芹明香)に惚れた。

   ◇◇◇

 今日聴いた音楽

cure jazzcure jazz
(2006/07/19)
UA×菊地成孔

商品詳細を見る


 UA×菊池成孔「cure jazz」
 菊池成孔のCDってあたしの近所のTSUTAYAにはこれ以外一枚もなかった!




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