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大人のカタリバ Special@サイエンスホール

2009.02.01(23:23)

カナシヤル (新しい詩人)カナシヤル (新しい詩人)
(2006/10)
三角 みづ紀

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「大人のカタリバ Special」に行ってきた、書きたいことが、あたし、たくさんあるのだけれど、ちょっと眠いし、これからエントリーシートを書かなくちゃいけなくて少し、大変、なので、できるだけ、短くまとめたく、でも、どうせできないから、というのも、この文体からしてすでに危険なんだけれど、まあ、よくて、このイベントを知ったとき、あたし、すぐさま高橋源一郎の話を思いだした。
 湾岸戦争が起きたとき、柄谷行人は小説家なんかにたくさん手紙を書いて、その内容は「海の向こうで戦争が起こっている。我々はここで何か話しあおうじゃないか。それは最低のことより少しだけマシな行為なのだ」というもので、高橋源一郎は「柄谷行人はなんでこんな馬鹿なことを言うんだろう。すごく奇妙だ。その奇妙さに惹かれるから行ってみよう」とお思いになった。もちろん、彼らのことを非難する人もいて、「あんたたちはただ座って話しているだけじゃないか。私は一市民として戦争反対のデモに行く」とおっしゃってデモに行く人もいた、どちらが正しいのか、あたしにはわからない。でも、当時の湾岸戦争にたいして小説家たちが感じたことは、ひょっとしたら、今の社会や政治にたいしてあたしが感じていることと、とても近いんじゃないかと思う、もう、社会や政治が海の向こう側にないなんて、誰に言うことができるだろう。
 とにかく、それで、あたし、「大人のカタリバ Special」を知ったときやはり「なんて馬鹿なことをやるんだろう。今東京に400人若者を集めてちょっと話を聞かせたって何も起こるわけじゃないじゃないか。でも俺は馬鹿なことをやっているやつにはちょっと興味があるから、行ってみよう(無料だし)」と思ったわけで、それで行ったわけだけれど、結果的に良いイベントだったと思う。
 思ったことは、けっきょくいつも考えていることと同じことで、派遣社員なんて存在しない、フリーターなんて存在しない、派遣社員の○○さんがいて××さんがいて、と、派遣社員としての誰かがいるだけでその集合体というのは実は架空の概念なのにあたしたちはいつもそれをまるで存在するかのように言ってしまう、若者のパネリストのなかで、大人にたいし「あなたたちが何しに来たのかわからない。僕たちは質問しているのにあなたたちは答えてくれない。ここにいる人たちはみんなそう思っている」とおっしゃった方がいて、その途端宮台真司が「おまえは不遜だ」とぶち切れてらしたけれど、あたしはこれは宮台真司の肩を持って、というのも、パネリストだから、若者代表だからといってあたしの場合あたしの思いを代弁してほしいわけじゃないし、あたしはそういうことをパネリストに求めていない、そもそも若者代表(大人代表)という言葉自体がおかしく、あんなに頭が良くてやる気があって行動力もある人が代表として選出されてしかもそれで「若者もけっこう立派なんだね」と言われるとあたし…反吐が出るのよ。
 西尾維新の「ヒトクイマジカル」でみいこさんがいーちゃんに「あたしの気持ちをお前が語るなよ」と言うシーンがあって、そのシーンが大好きで、とにかく、あたし、あたしの気持ちをほかの人が語るというそのなんとも言えない感覚は警戒する必要があると思う、あたかも市民の声を代表しているように語るテレビのキャスターやマスコミが信頼されないように、あたかも会場の人を代弁しているような雰囲気をつくれば信頼されないかもしれない、パネリストは自分の考えをおっしゃるればよくって、パネリストがあたしの考えを代弁なさる必要はないと思う。
「キャッチボールができていない」ということもその人はおっしゃっていた、「噛みあっていない」とおっしゃった。「噛みあっていないと思う人?」と会場に聞こうしてらしたけれど、そこに多数決は関係なく、で、宮台真司そこでまたぶち切れて「噛みあってなきゃいけないのか」とおっしゃっていたけれど、あたし、の考えでは、質問をして「ぱっと返ってくる答え」なんかに意味はない、と思っちゃう、問題はどういう思考をしてその答えに至ったかということで、その過程だけがだけが出された答えに価値を付与する、だからへんな言いかただけれど見方によっては「質問は答えるのではなくはぐらかすほうがいい」というのも一端の真実で、さらにくわえて言えば、「大人のカタリバ Special」なんて場所で何か答えや結論を出そうとしても無意味だと思う、だってその答えや結論にはなんの効力もない、政策として実施されるわけではなくこれからの運営方針が決定されるわけでもなく、だからそこで答えを出す必要はまったくないし、むしろ出さないほうがいい、そういう方針でこそ「カタリバ」は機能するのだと、あたし、思う。
 だから、そういう方針として「カタリバ」は設定されたと思ってあたし、行ったのだけれど、最初のほう、「今貧困状態にある派遣労働者、もちろんどっちの原因もあると思うけれど、どちらかというと社会の責任? 自己責任?」という設問がされてイエスかノーか答えなくちゃいけない場面があって、その質問であたし、じゃっかんぷっつりきて、いつも右から左へ流されて適当に答えるあたしがなんとイエスともノーとも答えなかったのだけれど、というのも、そういう二択に問題を還元したくないがために「カタリバ」が設定されたのではないかとあたし、思ってて、これは後に「それは質問自体が間違っている」とほかのパネリストがおっしゃっていたので、よかった、のだけれど、何度も言うけれど、貧困状態にある人の責任がどこにあるかなんて個人個人で違うのだから一律に答えられるわけがなく、もちろんそういう前提でありながらも一律に扱うというのが法律であって、だからたとえば法律をつくる場面でそういう問いが出るならまだちょっとむかつくけれどわかるし、でも、「カタリバ」みたいな場でそんな質問をするのは、あたし、ちょっと違うのではないかと思った。
 (良い)映画が効果的なのはフリーターという集合を映しだすのではなく、フリーターという個人を映しだすからだと思う。そこに文学や映画の出番がすこし、ある。
 えっと、もうちょっと書きたいことがあったのだけれどいいかげんめんどうくさくなってきたのでもう、終わりにするけれど、「映画をつくるために派遣ではなく正社員になりたい」とおっしゃってる映画監督がいて、あたし、ものすごいびっくりした。普通、作家や映画監督などアーティスト志望の人は「正社員になりたくない」と言うのが本音だと思うけれど、「派遣ではなく正社員になりたい」とは、いかに派遣の実態をあたしが把握していないか、という意味でものすごく衝撃的で、あたし、にはそこにからんだ人がひとりしかいないのが逆に不思議だった。
 あと宮台真司が、中退(卒業?)してから二年経ってフリーターやってるともう正社員になれない、ということを言っていた気がして(宮台じゃないかもしれない。内容間違ってるかもしれない)、宮台真司のことはあたし、わりと信用している(あたしのことをわかっているだろうという気がする)ので、聞いておく。就職活動をがんばろう。と思った。

   ◇◇◇

 昨日三角みづ紀「カナシヤル」を読み終わった、今年のナンバーワンだ。今サリンジャーの「ナインストーリーズ」を読みかえしていて、4回目くらいなのだけれど、おもしろい。おもしろすぎる。どうしよ。




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  • 大人のカタリバを「整理」 1【攻めてる?】
    大人のカタリバについて、 続けようと思う。 あの特殊な「場」を共有した人だけにしか わからない議論になってしまうんだけど、 でも僕は、今ここで、冷めないうちに、 このもやもやを整理しておきたいと思う。 これは僕の個人的な振り返りなのだけど...
【2009/02/05 01:44】
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