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おとがいのないこども

2009.02.12(23:37)

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(2004/02/27)
下田逸郎秋吉久美子

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 あたしが小学校の頃、夏、担任の先生が「暑いだろう」と言って扇風機を教室においてくれた。でもそれは確かたった一個だけで、首をいくらふってもあたしのところに風はまわってこなかった。もちろん適宜扇風機の置き場所は変わり、風が来たり、来なかったりしたと思うけれど、あたしは自分のところにぜんぜん風がまわってこないと思った。それがいやだった。当時の教室には目安箱的なものがあって、あたしはそのなかに「扇風機の風が来ない。差別はしないのです!」と匿名で書いていれた。先生はみんなの前でそれを読んで泣いた。「わたしはそんなつもりでおいたんじゃない」と先生は言った。そして教室から扇風機が消えた。あたしはそれを書いたのは自分だと先生に名乗りでるべきだったし、そして謝るべきだった。扇風機を消したことをクラスのみんなに謝るべきだった。でも怖くてできなかった。
 あたしは「差別だ」という言葉を使い、あたかも自分が正しいことをしたと思っていた。扇風機を撤去したくてそんなことを言ったんじゃない、あたしはただ扇風機の風が欲しかっただけ。でもあたしが使った「差別」という言葉は先生を傷つけ、その結果、扇風機はなくなってしまった。今考えてもぞっとする。消えた扇風機がものすごく怖かった。
 
   ◇◇◇

鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?

2月12日19時25分配信 J-CASTニュース

 鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいない。リーダーを決めれば差別につながる、との抗議を人権団体などから受け自粛した結果なのだそうだ。しかし、2009年春から鳥取市で1校だけ20年ぶりに「学級委員長」が復活する。市の教育委員会が2、3年前から子供達の社会性、自主性を育てるために復活を呼び掛けてきた成果らしいが、後に続く学校が現れるかはわからないという。

■徒競走もコースを変え、同時にゴールする

 鳥取県の公立小学校が「学級委員長」を無くしたのは、人権団体などから「委員長になれなかった子供が傷つく」「自分にはできないと劣等感が生まれる」などの抗議があり、自粛が全県に広がったためだという。図書委員、保健委員といった担当者はいるが、これらの委員は全て横並びの関係にしている。また、「差別」の観点から、運動会の徒競走でも全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供に対しては、コースをショートカット(近道)したり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もあるのだそうだ。

 そうした中、鳥取市では2009年春から1校だけだが「学級委員長」を復活させる。鳥取市教育委員会はJ-CASTニュースの取材に対し、

「横並びで生徒は『誰かがしてくれるだろう』と考え社会性、自主性が育たない。2、3年前から市内の小学校に委員長の復活を呼び掛けてきた」

と打ち明ける。人権団体とも交渉し「苦情は受け付けない」と突っぱねたのだそうだ。

 その学校は「鳥取市立湖南学園」。08年に小中一貫校の指定を受け09年春から本格的な一貫教育が始まる。同校の金田吉治郎校長はJ-CAST ニュースに対し、子供の保護者などから自分の意見を大勢の前でも堂々と表明できるような子供を育てて欲しい、という要望が多くあり、09年春の一貫校としての新制度策定がいい機会だったと明かした。

■愛媛県は半数の小学校に「委員長」がいない

 そのうえで、

「指導要領を見ても、子供の自主、自立という言葉が盛んに使われている。さらに、みんなをまとめて行くような人材、リーダーを育てていかなければならないとも考えている」

と復活する理由を語った。

 ただし、市の教育委員会によれば、「湖南学園」に続き市内で復活させる小学校が出るのかどうかは分からず、県内の地方の小学校ほど復活は難しいのではないか、と話している。小学校の「学級委員長」を「人権」の視点から無くす自治体は大阪以南に多い。愛媛県が04年に調査したところ、同県の約半数の小学校が「学級委員長」を置いていなかったそうだ。同県の教育委員会はJ-CASTニュースに対し、

「様々な子供に活躍の場を与えることを目的に、リーダーの固定を避けているのだろう。必ず学級委員長を置かなければならないという規定はないため、それぞれの学校の判断に任せている」

と話している。


   ◇◇◇

「徒競走全員一位」の話、あたし都市伝説だと思ってた。
 あたしはもちろん足が壊滅的に遅かったからいつもびりかびりから2番目くらいで、それがとても恥ずかしく、だから徒競走なんて絶対やりたくないと思っていた。死んじゃえと思っていた。でもゴールを近くしてもらったって恥ずかしいものは恥ずかしい。あたしたちは日々恥ずかしいことを、しているのに。恥ずかしくても生きていかなきゃいけない、のに。

   ◇◇◇

 松本俊夫「十六歳の戦争」を見て寝た。
 ジョイス「ユリシーズ」3巻に入ったらいきなり古典のパスティーシュでぜんぜん読めない。
 三角みづ紀「錯覚しなければ」の冒頭の詩でいきなり泣きそう。




コメント
とても面白い記事ですね。
ありがとうございます。

今日、文藝春秋買いました。ポトスライムのために。

キムギドク悲夢が面白かったです。

ただ、それ以来、あまり眠れなくなりました。
おやすみなさい。
【2009/02/13 22:55】 | ぴかそ #- | [edit]
私も壊滅的に足が遅かったのですが、皆1位はおかしいと思うのです。それだったら通知表も皆「大変よい」にすべきです。
いまだに紀伊國屋に行く暇がないので、三角みづ紀、チェック出来ていません。嗚呼。
【2009/02/14 01:01】 | 紅姫 #- | [edit]
ありがとうございます、
おもしろい記事ですよね、僕もそう思います。

キム・ギドクの映画見たいのですけれど、
今どこかでやってるんですか?
【2009/02/14 16:49】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
ほんとうにおかしいのです。誰が読んでもおかしいと思うのに、何故こんなことになっているのか不思議です。

三角みづ紀「錯覚しなければ」を今読んでいるのですが、とても平静に読めず怖いくらいです。今年のベストに決定です。
【2009/02/14 16:53】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
ただ、こうした記事だけ読んで「『差別がいけない』というのはいけないんだ」と言う人が出現するのが怖いんですよね。私は障害者ですが、目の前で素面の知人に「障害者が差別されてるなんて障害者の甘えだよ」と放言された時にはショックを受けました。そういうことは障害者も障害者ボランティアも存在しない場所で酒で酔った勢いで言って欲しいです。モラル(?)というか、気配りというか。

ただ、今回問題になってるのは「臭いものにふた」的な発想ですよね。
【2009/02/14 20:16】 | 上田洋一 #- | [edit]
>「障害者が差別されてるなんて障害者の甘えだよ」

すごい言葉ですね。
差別されていると障害者の方が感じているのならば、それはきっと健常者の甘えなのだと思うのです。
差別というのは難しくて、障害者と健常者を区分けすること自体は差別と言えなくもないのだと思います。しかし区分けしたことによって、障害者を救済するシステムがたくさんつくられる。でもその「救済」も「差別」というものにかんたんに置きかえることができます。
このあたりはひとりひとりがどう感じるかの問題で、僕にはよく、わからないですけれど。こういう問題が「差別はしない」と言って「徒競走全員同時ゴール」というものにつながるのではないかとちょっと思いました。
「差別」と「平等」はたぶん同じものなんですけれど…。

この記事は当事者である子供の意見が書かれていないですね。子供の意見が聞きたいです。
【2009/02/14 21:28】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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