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消失としての殺害/受愛

2009.02.27(21:18)

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「靖国 YASUKUNI」が問題視されニュースでばんばんとりあげられていたとき、高橋源一郎は「誰も『靖国』が映画としておもしろいかどうかの話をしていないだっふん」と言った。純作品的に「靖国」を見た人はたぶんほとんどいなかったようにあたしにも思えるし、もしかしたら岩淵監督の「遭難フリーター」も今そういう状況にあるのかもしれない。「大人のカタリバ Special」で「遭難フリーター」はある程度恣意的に活用された。その瞬間「遭難フリーター」は目的から手段になった。「遭難フリーター」はそれまでの「遭難フリーター」とはたしかにべつのものになった。でもあたしをふくめたほとんどの人は「遭難フリーター」が生まれかわったことに気づかず、それを「遭難フリーター」だと思って見ている。「遭難フリーター」はかつて一度以上死んだ。何度も死に何度も生きかえる。すくなくともあたしにとって。作品は瞬間だけを生きている。「本物」が同時多発的に存在し、人類は混乱する。そのどれもが「正しい」から混乱し、評価がわかれる。
 映画や文学を読者との相対的関係としてとらえた場合、もう実態なんて存在しない。あたしは以前別の場所で「映画や小説なんてものは存在しない、それにふれる人が獲得するイメージがあるだけだ」と言った。「言葉や考えに所有格はつかない」とある人に言われたので、あたしは「それは違う」と言った。「『愛』なんてまるで問題じゃない、『あたしの愛』や『きみの愛』が問題なんだ」と言った。その考えは今も変わらない。エゴイズムだろうが何だろうが、問題なのは常に「あたしの『遭難フリーター』」であって「きみの『遭難フリーター』」であって「映画の『遭難フリーター』」であって「社会の『遭難フリーター』」なんだろう。「遭難フリーター」をイメージに還元すればそれが小説だろうが映画だろうが関係なくなる、イメージに還元されたときに問題になるのがきっと所有格なんだろう。愛の裏側にあたしはいつもきみの所有格を求める。きみの影ときみのイメージ。作品が消え、溶けだす、混ざって、わからなくなって、あたしは五感を失う。
 小説は社会のメタファではない。同じく映画も社会のメタファではない。あたしの書く小説はあたしのメタファではない。あたしの書く言葉はあたしの感情のメタファではない。「あたしの言語」と「あたしの感情」と「言葉の感情」と「感情の言葉」が交差し、そのすべてが消えすべてが生まれる。その場所にあたしは立つだろう。人間は立つだろう。
 では言葉はどこに立てばいいのだろうか。イメージをとりだし観念の世界に生きれば、小説と映画が差異を失ったように、あたしと言葉も差異を失う。
 イメージをとりだす瞬間、それはあるものが所有格に変換される瞬間であり、同時に、あたしが消失する瞬間だ。観念の世界でのみあたしは映画や小説や言語と対等になれる。それは勝利であり敗北だ。あたしはその場所で愛し、殺された。その場所で殺し、愛された。「きみの」があたしを殺し、あたしを愛した。
 ああ、いらいらするなあ。




コメント
私の書くブログとメールは私のメタファですが
私の書く詩は私のメタファではありません。
私はすごく単純にしか文章が書けないので
ここまで思考を構築出来る桜井さんを尊敬致します。
【2009/02/27 22:58】 | 紅姫 #- | [edit]
このエントリにELPがなぜか載っけられている文脈について考えて考えて考えてみて、結果、トラックバックさせていただこうと思いました。



「作品」よりも「所有格」、そのとおりだと思います。


であるならば。
「映画は社会のメタファではない。」だけど、「俺の映画」はメタファでもいいかもしれない。
「そのどれもが「正しい」」ならば、ワンオブゼムとして。可能性として、ですよ。メタファであるべきと思ってるわけじゃないけれど。



とにかく「意味」よりも「強度」、
僕はだいたいそう考えてんです。
それはそういえば宮台真司から習った唯一の実際的な方法論だったです。
【2009/02/28 10:05】 | ryo imam #GCA3nAmE | [edit]
僕は以前に「ぶっているだけだ」と言いましたが、はい、ぶりました。

>私の書くブログとメールは私のメタファですが
>私の書く詩は私のメタファではありません。

単純な言葉が良いわけでも意味ありげな言葉が良いわけでもない、と思います。この2行は文学でして、僕はまたまたとっても愉快な気持ちになりました。どうもありがとうございます。
メタファとなりえるものとメタファとなりえないものとの差異が紅姫さんのなかにあるのなら、それもやっぱり文学だし、文学なんて変な言葉を使わずにすますなら「すてきな言葉」だと思いますよ。
【2009/03/01 01:15】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
>このエントリにELPがなぜか載っけられている文脈について考えて考えて考えてみて、

フーコーやデリダらが考えていたことの37倍くらいは複雑な理由によってELPの名前が挙げられている、わけがありません。たまたまその日聴いただけです。お客さんの歓声が入っているから「へえ実験的だなあ」と思いました。

トラックバックありがとうございます。もともと今村さんのその記事にコメントしようと思ってぐだぐだ書いていたら原稿用紙1枚分くらいのわけのわからない文章が出来上がったので、自分のブログにべつのことを書きました。コメントに失敗したのです。
「カタリバ」で導入された是非については答えが出ませんでした。

>とにかく「意味」よりも「強度」

まったくおっしゃるとおりだと思います。「すごいからおもしろい」んじゃなくて「おもしろいからすごい」のだと思います、何事も。これは言葉遊びです。
【2009/03/01 01:22】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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【2009/02/28 09:49】
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