スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

無題

2009.03.08(18:00)

 もし誰かに「文学とは何か?」と訊かれたら、あたしは「世界を愛するプロセスだ」と答えたい。「世界」はくだらなくはないけれど、「あたしの世界」はいつだってくだらなかった。きらきらしていた引っ込み思案な醜い子供、あのとき僕はほんとに美しかっただろうか。「文学はあたしを醜くさせた」とあたしは書いたけれど、そのとき、あたしはあたしの醜さを文学すべてに押しつけていたんじゃないだろうか。「文学」とは「僕以外のすべて」だ。
 あたしはかつて「僕には他者を殺すほどの想像力もない」と書いた。けれど、それは同時に「僕には僕を殺すほどの想像力もない」を含んでいたのだと思う。「死にたい」と思ったことなんて一度もない、ほんとの一度も。だからあたしは「死にたい」とさけぶ人を馬の後ろでこっそりこそこそ尊敬している。
 憧れる人がいて、けれどその憧れる人のようにもしも自分がふるまえるとして、あたしはいつもそこで潰されてしまうような気がする。「あなたになりたい」という言葉はいつだって侮辱をふくむ。「自分のことを好きですか? 嫌いですか?」という問いに潜んでいる自己愛と、それに対する「大好きです。でも大嫌いです」という答えに潜んでいる自己愛にどれだけの差異があるんだろう、あたしをつつんでいる卵の殻は無限に大きく、自分という存在がいつまでもいつまでもついてまわり、それがこころを救ったり傷つけたりする。ちっとも野蛮でも悲しくもないその行為・現象が、あたしにはとても残酷なことのように、ときどきだけど思える。
 続きが、ひさしぶりに消えた。

   ◇◇◇

 小説というのは、書きながらリアルタイムで「これつまらないな」と思いつづけなければいけないときがほぼ必ずやってくる。あたしには、その瞬間が良い状態なのか悪い状態なのか、よくわからない。書きなおすときもあれば書きつづける場合もある。書きやめてしまう場合だってあった。
 詩というものを今まで馬鹿みたいに適当に書いてきたのでこういう経験はなかったのだけれど、とうとう、詩でも、書きながらリアルタイムで「これつまらないな」と思いつづけなければならない状態やってきたようだ。新鮮で楽しくそしてやってられない。にゃんにゃん。




コメント
文学は逃げです。正しい逃避行です。出来ることなら私は文学と心中したい。
ある日卵の殻が割れました。私は私を包めなくなりました。文学じゃなくて人を欲するようになったからです。それは健全なことかもしれないけれど、私の主観では不健全です。
私はあなたになりたいとよく思います。私はいろんな人になってみたいのです。そして、『やっぱり私がいちばんだわ、ふふん』と思いたいのかもしれません。意地悪です。女は意地悪です。あえて私が意地悪だとは言いません。
だって女の子はいつも
『誰かになりたい』と言っている気がするんですもの。にゃんにゃん。
【2009/03/08 23:46】 | 紅姫 #- | [edit]
> 文学は逃げです。正しい逃避行です。出来ることなら私は文学と心中したい。

そうですそうです、「文学は逃げ」というのは圧倒的に正しいし、僕はたぶん一生それを否定することができないでしょう。でもしかし僕は文学を「逃げ」にはしたくなくて、したくないから、「世界を愛する」などと言っています。「世界を愛する」ということもまた、「逃げ」であるのかもしれませんが。

僕はあなたになりたかったもなりたくなかったりも思います。卵の殻が割れてしまったときどうせ苦しくて痛いからです。そして誰かになりたいということもまた貴くて、あたしもやっぱり誰かになりたいのかもしれないけれどその「誰か」というのは不確定なイメージでしかなく「なんだってんのよ!」と、僕はやはり思ったりするのでした。
【2009/03/11 00:55】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/502-5436d66e
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。