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アーティスト・ファイル2009―現代の作家たち@国立新美術館

2009.03.20(02:22)

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 国立新美術館に行った。「アーティスト・ファイル2009―現代の作家たち」という企画展をやっていた。齋藤芽生さんの作品が文句なしにくだらなくて最高だった、最初はまじめな感じなのに途中からだんだんふざけていくような作品の並びで、たとえば「晒野団地金色堂」なんて「馬鹿じゃねえの」と思ってにやにやしながらずっと見てた。まじめな作品もいいけれど、こういう場で直球でふざけた作品をさもまじめに出してくるうねったばかばかしさをだせる人はやっぱり強いと思う。
 ほかにも宮永愛子さんの「色―color of silence―」はすばらしかった。古い箪笥があって、ときどきひきだしが開いててそのなかがぼうっと白く光ってる、あとは古びた箱がとても高く積み重なってそのあいだでお皿が載っている、というインスタレーションで、インスタレーションは苦手だけれどこれはすてきだった。ノスタルジア的なもの以上に、もっとじゅんすいでつめたく、その木箱や箪笥たちがかんぜんに異質なものとしてそこに存在するという不思議さがあって、たとえば「千と千尋の神隠し」のおもしろさというのはノスタルジアじゃなくて異質の部分にあるのかもしれない。あたしたちは異質にたいしてしかきっとノスタルジアを感じられない。ノスタルジアは忘れられてしまったという感覚だ。あたしたちのもとにはもうはっきりとしたかたちではもどってこない、という感覚。あたしは思い出を書く。それは思い出を残しておきたいからじゃなくて、思い出をノスタルジアにしたいからだ。いびつになってしまった感覚だから、あたしたちは泣ける。愛せる。思い出なんか愛せやしないのだ。

   ◇◇◇

 シネマヴェーラに行って井口奈己「犬猫」(8ミリ)とゴダール「はなればなれに」を見る。井口奈己「人のセックスを笑うな」を見たとき、べらぼうにおもしろかったのだけれどまわりの人がみんなこぞってべた褒めしていたのでものすごく適当に感想を書いてしまった。でもやっぱりこの人の作品はやっぱりすばらしい。
「犬猫」を見れば、人生あるいはあたしたちの生活がいかにグロテスクで汚いかが(逆説的に)ものすごくよくわかってしまって怖い。この人はもうぜんぜん美化しない、かわいくない女の子はかわいくないのだ、映画や小説はそういうリアルな感覚へのアンチテーゼとして働く要素が絶対あって、だいたいみんな小説のなかの登場人物はかっこよかったりかわいかったりと想像して読んでいる部分が絶対あると思う。きらきらを含めたグロテスクだ。「お腹ぐーぐーでうるさいからなんか食えよーのシーン」も「林檎持ってきたよー順番に食べてねーのシーン」も天才だとしか思えないけれど、それ以上に、そういうグロテスクさが怖い、耳毛の話をしながら縁側で爪を切る話を誰が撮るんだろう。推測だけれど、今の純文学小説を書いている若手の作家も、「小説すばる」系の中間小説を書いている若手の作家も、たぶん井口奈己のやっていることを書きたい人がほんとにたくさんいるような気がする。くやしいだろうなあ。
 あたしが昔書いた「人のセックスを笑うな」の感想を掘りだした。

 怖くて書けなかったんだけれど、井口奈己「人のセックスを笑うな」を見ているとき(具体的に言うと、松山ケンイチがひきこもったあたり)、ふと「この(映画の)世界には四人しか人間が存在しないんだろうか」と思ってぞっとした。
 だから駄目だ、とか、セカイ系だ、とか、そんなばかなことが言いたいんじゃなくて、現代の映画のもっとも優れた「シンプルな部分」として「人のセックスを笑うな」はあって、そのリアルのなかにある「狭さ」を痛感して、怖くなった。
 あの映画のなかに四人しか人がいないんだったら、じゃあ、僕の世界には何人の人がいるんだろう。


 なんで井口奈己の映画を見るたびに何かを怖がらなきゃいけないんだろう。
「犬猫」のあとはアンナ・カリーナがかわいい帽子とかわいい服でかわいいダンス踊っているシーンを見て癒された。「はなればなれに」は数ヶ月前に見たばかりなのだけれど、何度見てもアンナ・カリーナのダンスはかわいいし、カフェ(バー?)のシーンはほんとにすごい。アンナ・カリーナ俺んち来ないかな。




コメント
いっそフランスに行ってしまいなさいよ。アンナ・カリーナはいないと思うけど。
私には「セカイ系」は虚構に過ぎず、いまいち肌身で感じられないのです。ただ思うのは、「セカイ系」があるだけいいのかな、と。だって多くの人は、一人なんですよ。誰かとの閉塞された時間なんて非常に甘美です。それが男女間であれば尚更です。
「人のセックスを笑うな」は読めるけど観られません。たぶん一生観ません。私にはそういう映画がたくさんあります。
【2009/03/22 04:47】 | 紅姫 #- | [edit]
そうか、自分からフランスに行けばいいのですねっ!
でもアンナ・カリーナがいないフランスはフランスと呼べるのか。

「セカイ系」なんか虚構で良いのだと思いますよ、おっしゃるとおり多くの人はひとりなんだから、「セカイ系」なんて願望です。嶽本野ばらの「エミリー」なんてセカイ系だと思わないでもないですけれど、現実に生きる以上、完璧なセカイ系なんて得られずどうしても歪んでしまう。だからそれは悲劇だし、セカイ系なんてやっぱり願望です。

>「人のセックスを笑うな」は読めるけど観られません。たぶん一生観ません。

「人のセックスを笑うな」はだからこそ見る価値があると思うのです。



> いっそフランスに行ってしまいなさいよ。アンナ・カリーナはいないと思うけど。
> 私には「セカイ系」は虚構に過ぎず、いまいち肌身で感じられないのです。ただ思うのは、「セカイ系」があるだけいいのかな、と。だって多くの人は、一人なんですよ。誰かとの閉塞された時間なんて非常に甘美です。それが男女間であれば尚更です。
> 「人のセックスを笑うな」は読めるけど観られません。たぶん一生観ません。私にはそういう映画がたくさんあります。
【2009/03/22 16:14】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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