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ダブル・サイレンス ―沈黙の分身@Bunkamura シアターコクーン

2009.03.22(17:10)

つづれおりつづれおり
(2004/04/21)
キャロル・キング

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 土曜日はバイトを終えて実家に帰り(最近はバイトのためだけに群馬に行ってる)、少しだけ寝て渋谷へ。KARAS(勅使川原三郎)の新作「ダブル・サイレンス―沈黙の分身」を見にいったのだけれど、そのまえにどうしても見ておきたかった「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」を見た。良かった。あたしみたいなどしろうとからすれば(美術の成績は2だ)絵を描くということはそのまんま「写実」を意味してしまうけれど、ピカソのたとえば「ギター」という絵なんか、「おまえなんでギター見ながら描いたらそんなんになっちゃうんだよっ!」と思わずつっこみたくなるほどめちゃくちゃな絵で、彼にとって「絵を描く」という行為にたいする認識がもうあたしなんかとはぜんぜん違うということがありありとわかって、ほうっとなってしまう。印象派たちの写実的な絵にしてももちろん「絵を描く」という認識はたぶんふつうのにんげんとはぜんぜん違うだろうと思うけれど、それにしたって、そういう「認識の違い」はわかりづらい。ピカソなんかは逆にわかりやすいのだ。シャガール「バイオリン弾き」(なんで家とかをその色で塗っちゃうのかしら笑)やフランツ・マルク「3匹の猫」やマグリットの絵なんかがとても良いと思った。あとイヴ・タンギー! 誰だか知らないけれどこの人の「不在の淑女」がすてき。

   ◇◇◇

 ということはどうでもよく、KARASの「ダブル・サイレンス」がほんとにすばらしかった。あたしはしょせんダンスなんて片手で足りるくらいしか見たことないけれど、今すぐBunkamuraへ走れと言いたい。前半は「これタルコフスキーじゃん」と思って超感動して眠気と戦い、「この世界でいちばんきれいな物質は煙なのだな」、途中のぺちゃくちゃよくわからないノイジーなことをしゃべっているシーンではかなしくなった。あたしたちがあのノイズにほんとにちゃんと応えてあげられないことは悲劇だと思う。後半の激しいパートはあたしずっととりはだ状態で見ていて(毎度思うけれど探偵風パパイヤ鈴木みたいな人美味しすぎ、あと青い服着てた女の人すてき)、いつもそうであるようにちゃんと言葉にできないのが歯がゆいくらい、すてきだった。ダンサーたちを救え。
 あたしたちは沈黙することだけはできない、浜江順子さんの「飛行する沈黙」という詩集でもそうだったけれど、沈黙は表現のなかに含まれるかたちでしか存在できない。あたしはこうやって書いているし、どんなにだめな生きかたをしていても生きていることに変わりはなくて、生きていることは否応なく表現しなくちゃいけないってことだから、あたしたちはとにかく沈黙できない(死すらもパフォーマンスかもしれないけれど)。沈黙はしゃべらないことや動かないことじゃない。あたしは黙っているべきだ、しゃべるたびに誰かを傷つけ間違えることがあたしの本質ならば、ほんとはあたしは黙っているべきなのだ。書きやめてしまうべきかもしれない。でもきっと誰であっても黙っていられないから、あたしたちは日々何かよくわからないことをごにょりごにょり言って、その自分の言葉で自分自身や他人を混乱させて、ひとり悩んでいる。あたしたちはだからきっとものすごくばかで、社会というもの、人間関係というもの、それらはすべて「黙っていられない」ということから生まれていて、還元すればそれはほんとはただのノイズなのに、でも、そういうことばかりあたしたちは自傷みたいにくりかえし、疲れてしまう。休みたい。沈黙したいと思うんだろう。だから表現する。みんなひょうげんする。
 あたしはヘンリー・ダーガーを思いだした。ほんとの沈黙を獲得できたのは彼だけかもしれないと思った。




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