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透明なままでいるあたしの輪郭

2009.04.06(01:20)

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ
(2008/08/02)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

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 朝までアルバイトをして、その後は車検に出すために車をちょいと運転しただけでひたすら眠る。今も眠い。どうしてこんなに眠いんだろう。昨日のアルバイトでは、お酒に酔った方々が大挙して押しよせてとてもいらいらしちゃった。あの方たちは居酒屋の向かいにあるコンビニを居酒屋の延長だとお考えになっているらしく、本の前に陣取り大声でお騒ぎになる。あとから入ってきたお客様も「ここのコンビニ、魚民より盛りあがってる…」と驚愕してらした。

   ◇◇◇

 学校のゼミの順番が速攻でまわってくるので資料をつくらなければいけないはずだったのに、「臨死!!江古田ちゃん」がおもしろすぎてなんにもできなかった。あたしがまわりの人から顰蹙を買ったら江古田ちゃんのせいだ。いっそ江古田ちゃんのすばらしさについて発表したいくらいだ。

   ◇◇◇

 森山さんのつくってる「サウンド・オヴ・ミュージック」というフリーペーパーのアンケート号(今年ももう1/4が終わったこの時期に2008年をふりかえろうというたぶん誰もやらないすばらしい企画)にあたしも参加して書いた。
 そのなかであたしはものすごく影響を受けたものとして「harucall」というブログについてほんのすこし書いた。原稿を出した時点ではちゃんと過去記事まで残っていたけれど、現時点ではほぼすべての記事が削除されていることを付記。一時期あたしは毎日彼女のブログを読んでいた。あたしは思った、「もし仮にあたしたちが輪郭をなぞられなければ消えてしまうほどにはかない存在だとしたら、生きることはもうたやすくはないと思う。仔犬のようにしっぽをふり、透明になりかかった人間は透明のままでそれでもなお人間でありたいから、言葉を紡ぐ。輪郭をなぞられることを望む。透明のままで許してほしい。透明なままのあたしの輪郭をなぞってほしい。これはわがままかもしれない、わかってる、けれど人間の感情なんてすべてわがままなのだ。わがままのままであらゆる感情がまわりときどき何かがうまくいくこの世界が、わりと好き」、たくさんのことを思った。どこで書くべきかを、あたしもほんとは考えなくてはいけない。
 
 誰が何を薦めるかの問題は常にあると思う。あたしが森崎東を薦める必要なんてなく、「遭難フリーター」を薦める必要なんてない。あたしはこれらがあたしが薦めるべき映画じゃないような気がしている(そしてその印象は間違っているだろう)。あたしは同アンケートで2008年に印象に残った映画を挙げたけれど、意図的にいくつかを省いた。フィリップ・ガレル「内なる傷跡」「白と黒の恋人たち」、タルコフスキー「ストーカー」「サクリファイス」、ゴッドフリー・レジオ「コヤニスカッツィ」、小林政広「愛の予感"THE REBIRTH"」。語ること自体は常に問題だ。語ること、書くこと、どうしてそれについて語らないのかという問い、そして語ることを弾圧しているにんげんのそんざい。




コメント
こんばんは。
びっくりしました。

「透明のままの輪郭をなぞる」というのは私の考える「言葉への変遷」と同じか、その認知の仕方なのだと思います。言葉に成る前の揺らぎは、その時の「私」と一緒で定点のない透明なのかもしれません。
感覚と現実は乖離しないと書いた事があったけれど、もし書くことが能動なら、言葉と「私の世界」の関係が違うように見えてきます。感覚は遅れてきた現実より近い、って今は考えてます。

隠したい事を隠すために書いてきました。記事を消したのは、そうして書いてきたものに復讐されたからかもしれないです。harucallから去って、今はどこにいても書いていないのですけれど。
だから私は、「あたし」という一人称から隠しきれてないものを感じてしまうのです。ちょっとだけ。

書く場所は聞こえる場所であればいい、と思ってます。
【2009/04/07 21:23】 | harufar #- | [edit]
こんばんは。
そしてごめんなさい。いろんなことを勝手に書いてごめんなさい。
ほんとはあなたにメールを送ろうと思ったけれど、どんなふうに書いても、自分へのメッセージになってしまうから(僕はほんとに何かを書こうとすると、どうしてかいつも自分へのメッセージになってしまう)、うんざりして、失礼だと思って、やめてしまいました。

>「透明のままの輪郭をなぞる」というのは私の考える「言葉への変遷」と同じか、その認知の仕方なのだと思います。言葉に成る前の揺らぎは、その時の「私」と一緒で定点のない透明なのかもしれません。

あなたの文章を読んで思ったことを書きました。いくらか重なっている部分も、遠く隔たった部分もあるでしょう。

おそらく書くことは能動だと思うのです。言葉にならないものを描くときにも言葉を使わなければいけない。ほんとは、言葉になんてしなくていいのかもしれない。でも言葉にしなくていいものを言葉にしなくていいものとして定着させるものもまた言葉であるかもしれない。
何か隠すためには何かを書かなくてはいけない。嘘をつくのにも、書かなくてはいけない。

僕がやっていることは「いかに自分のことを書くか」ということだと思います。「どうして自分のことを書けないんだろう」とよく思います。でもあらゆる言葉は自分に向かいます。するとどうやって外へ言葉へ向ければいいのかと今度は思います。

>書く場所は聞こえる場所であればいい、と思ってます。

そうですね、たぶん、そのとおりです。
【2009/04/07 21:57】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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