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まるごとバナナの女の子

2008.04.21(17:01)

細長くて白い家だった。
あちらこちらから通る人の邪魔をするみたいにでっぱりがつきだしていた。
その家の片隅の台所に僕と女の子がいた。
僕は「まるごとバナナ」を持っていて、
僕と女の子は「まるごとバナナ」の話をしていたにちがいないけれど、
女の子は不意に泣きだしてしまう。
「私は、ぜんぜんあなたの力になれていない」
僕は手首をつかんで、
「そんなことはないよ」
と必死にくりかえすのだけれど、
そうくりかえせばくりかえすほど、
悲しくなって、
僕までも泣いてしまう。


こんな夢の話を誰かにするほど頭はいかれていないけれど、
起きたときにはすこしさめざめとした興奮が残っている。
村上春樹を読みすぎている。
夢の話なんて、漱石やカフカ以外はするべきじゃないかもしれないよ。

「文學界5月号」の蜂飼耳「ヤドリギの音」を読んだ。
前回の日記で書きちらしたとおり、「月食の日」を読んでとてもショックを受けたのだけれど、
「ヤドリギの音」はちゃんとそれなりにおもしろかった。

ふと、
「自分はなんでここにいるんだろう」
「僕はどうして僕なんだろう」
「僕はどうしてこんなにだめなんだろう」
と唐突に思うことがずいぶん増えた気がする。
そういうとき、
とてもぐらぐらして、ずいぶん不安定になってしまうのだけれど、
この小説の感覚はそれとすこしだけ似ている。

「ヤドリギの音」の主人公はとても牧歌的な場所に行き、
そこでだんだん自分を喪失していく。
でも、彼女はそれをあんまり気にしていない。
そこは実はユートピアでもなんでもないのに、
そこで消されていく自分を否定しきることができない。
何故なら、
自分だけでなく、そとの世界の誰かも一緒に消えていってくれるからだ。
ひとりで消えるよりも、誰かと一緒に消えるほうがこわくないね。
それはもしかしたら、とても気持ちがいいことなのかもしれないね。




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