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祈りと芸術

2009.05.07(01:34)

911FANTASIA911FANTASIA
(2007/09/11)
七尾旅人

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 祈りと芸術は、熱情的な意志の行為です。ふつうに見られる意志の可能性の領域を踏み越え、高めようとするのです。芸術も祈りも、それはともに暗闇に向かって差し出された手であり、その手はなにほどかの恩寵をつかみ取り、やがては贈る側に転身したいと希うのです。
                 ――フランツ・カフカ(「カフカとの対話」より)


   ◇◇◇

 ひさしぶりに血を吐く思いで履歴書を書いた。ほんと「志望動機」の欄って書くことがない。その会社を受ける人がその会社を志望してると思うことじたいが間違いだ。さっきとても重要なことに気がついたけれど、「志望動機」の欄に書ききれないほど書くことがある人でなおかつ優秀な人が内定をもらえるんじゃないだろうか。ほんとに今さっき気がついた。あたし天才かもしれない。
 あしたは会社説明会。あたしが会社説明会に行くときに考えているのは「ついでにどの映画を見ようかな、それともどこか美術館へでも行こうかな」ということで、会社への興味関心は薄い。「文章は祈りだ」なんてかっこうつけて書きまくっていたあたしが、こういうことを書いては、ほんとはいけないのだけれど。それ以上に人間存在的に、ね。

   ◇◇◇

 最近詩をたくさんアップしているのは詩に目覚めたから、というわけではもちろんなく、ただたんに、昔に書いた詩をアップしただけ。在庫一掃セールです。発酵させようとして腐っちゃった詩はたくさんあって、でも、そのコアにある部分は意外に今でも好きなような気がするから、まわりの腐った部分を削って、それから、新しい言葉でコーティングして、また、出す。もう書く気も、手直しする気も、ほとんど失せてしまった詩も、今一度アップしようと思えば、それなりに勝手に直っていく。うまくいっているのかどうかわからない。あたしは他人の詩についてなら「だめだ」とか「すてき」とか言える気がするけれど、自分の詩についてだけは、いつも何も言えない。ただ、あたしはべつにプロじゃないのだから、どんどんアップしようと思った。へなちょこな詩ばかりでも、どんどん書こうと思った。
 詩にたいする向きあいかたがよくわからない。イシダユーリさんは、たとえばあたしが日記に書くこと、小説として書くこと、あるいはどこにも書かないこと、でも、すべて詩として書いていると思う(*)。何故それができるのかと言えば、たぶん、彼女が詩にたいして土壁みたいに固いひとつのスタイルをきちんと築いているからで、そういうスタイルさえ持てば、がびがびいろんなことが書けるんだろうなあと思う。スタイル、つまり形式のことだけれど、形式というのは外面をせばめるかわりに内面を豊かにする(可能性がある)。逆に形式を定めないことで、おなじことを何度もくりかえすだけで(すばらしい)作品が成立することだってあるかもしれない。
 というのはもちろんくだらないことだ。
 やなぎみわさんの「マイ・グランドマザーズ展」について、あたしは思うところあって、わからないふうに書いた。あたしが批判したいのは、「50年後の女性たち」というひとつの形式を定めたことによってその中身が陳腐になってしまったんじゃないか、ということ。「50年後」として展開された物語はほとんど陳腐だったと思う。「物語の陳腐さ」は「50年後の女性たち」というスタイル上にあれば許されるんだろうか。あたしにはよくわからなかった。
 形式を定めても、定めなくても、けっきょく、おもしろい作品はおもしろいし、つまらない作品はつまらない。ほんとにそれだけのことなんだと思う。どうやっておもしろい作品をつくるか、あたしは、いつもそれだけは知れない。

(*)あたし妄想族。本気にしないで。だいいち、仮にそうだとしても、それは良いことでも悪いことでもない。悲しいことなのかもしれないし、悲しくないことなのかもしれない。あたしにはよくわからない。ただあたしはいくらか憧れる部分があるし、問題は、いつだって誰がどうなりたいのか、ということだと思う。そしてほんとに悲しいことに、「あたしが何をどうしたいか」その部分が、あたしにはいちばんわからない。

   ◇◇◇

 七尾旅人の「911 FANTASIA」のDisc1をちょろっと聴いた。これはCDという形態だから気がつかないだけで、もう音楽ではなく、映画か演劇だと思う。ただスクリーンがなかったり、舞台がなかったり、それだけの違いしかない。
 そして、ややこしいかもしれないけれど、これは「音楽ではなく映画か演劇だ」と呼ばれるくらい音楽だと思う。ドストエフスキーの「罪と罰」を「ミステリーだ」と呼ぶとき、あたしみたいなひねくれにゃんにゃんは「ああ、これはミステリーと呼ばれてしまうくらい文学なのね」と思う(最低)。映画も音楽も文学も、あたしが特別にその名前を呼ぶとき、みんな同じ概念になる。だからべつに全部なんだっていいんだ。

   ◇◇◇

 おやすみ。
 おやすみ。
 おやすみ。
 あたしもう寝るよ。
 いっかいだけで、
 今日いちにちだけでいいから、
 とても幸せに眠ってね。
 そしてとても幸せに起きてね。
 大好きだよ。
 大好きだよ!




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