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パレスチナサボテン

2009.06.19(22:31)

 板垣雄三編『「対テロ戦争」とイスラム世界』なる本をだらだら読んでいて、飯塚正人さんが書いた1章と酒井啓子さんが書いた4章がすこぶるおもしろい。これを読んであたしは次のようなことを思った、

「無知がパレスチナ人を虐殺しているとしたらどうだろう。パレスチナやイスラム世界についての本を少し読んであっという間に忘れたのがおそらく去年の話だから、それまであたしはパレスチナ問題やらについて何ひとつ知らなかった。もしパレスチナ問題について日本人だけでなく、世界中の人がちゃんと教わって、勉強して、知れば、解決に向かうかもしれない。だとしたら、そこらへんに100円で売っている新書を2、3冊買ってぺらぺらめくってみればほんのりと概略くらいはわかるようになるこれらの問題を、わかるようになることができる環境にありながらわかろうとしない、知ろうともしないあたしたちは間接的にパレスチナ人を虐殺している。あたしたちがパレスチナ人を虐殺している。だからあたしたちはすべからくパレスチナ問題を知るべきだ。さあ今からパレスチナ問題に関する本を読みにいこう。買いにいこう。ゴー・トゥ・ブックストア!」

 わけがないのだけれど、というのも、それを言わないでいるための言い訳を、あたしはあたしが今まで読んできた本、聴いてきた音楽、見てきた映画、その他もろもろのことから学んだ。あたしは上に書いたようなことを言おうとは思わない。一瞬考えるかもしれないけれど、ちゃんと言わない。むしろあたしが考えるべきことは、「そのような問いかけを受けたときに『あたしがあたしでいられるまま』にその問いかけを拒否したり受けいれたりし、なおかつそこにどういう感情が生じるか」だと思う。
 無知がパレスチナ人を虐殺している、ということは正しいと思う。その言いかたが過激なら、「無知はパレスチナ人の虐殺に対する黙認に加担している」と言ってもいいと思う。しかしながらあたしは無知であることが罪であるとは感じられない。パレスチナ人に対する知識を蓄えたとしても、それを何かに活用しようなんて思わない。せいぜいどこかで調子に乗ってべらべらとしゃべり、自分を頭の良い人間に見せかけようとするだけだ。
 大野左紀子さんが、靴を履いていない女の子のホームレスの話を書いていたと思う。その女の子に自分の履いている靴をあげようと思ったけれど、あげられなかった話。その行為が正しいわけではないということを知ってしまっていると彼女は書いていたと思う。べつにそれだけの理由であげなかったと思っているわけではないけれど、とにかく、思考した結果として、善意のなかに偽善のようなものを見つけ、女の子に靴をあげにくくしたのだとしたら、その思考はいったい何の価値があるんだろう。
 あたしもあげない。靴がもったいないとか、もちろんいろいろな理由はあるけれど、だいいちに、ホームレスの女の子に話しかける勇気がない。そしてそのあとづけとして、あたしが行動しなかったことへのあとづけとして、文学方面からの言い訳をいっぱい重ねるようなことをしてきた(し、しつづけるだろう)。あたしが文学というものにたいして何かぶつぶつ言うようになったのは4、5年前のことで、それ以前からあたしは主体的に行動しない人間であったのだから、行動しない理由に文学的価値観のようなものを挙げるのは、卑怯なことだったと思う。
 パレスチナ問題や9.11テロに関心を持っているのは、おそらくそれが「おもしろいから」だと思う。中学の英語の授業で「interesting」を「おもしろい」という意味に訳したとき奇妙に感じたのを覚えている。興味深いことはおもしろいことなのかと。遠いパレスチナで人が死ぬよりも目のまえのサボテンが枯れるほうが悲しい。あたしはそう思う。あたしはものごとをおもしろい、おもしろくないで判断するように務めてきた。「カラマーゾフの兄弟」で全ロシアの問題に関してうんぬん言うよりも「リーザかわいい。萌えー」と言う人のほうがかっこういいいと思ったからできるだけそうするようにしてきた。あらゆるものを日常に返し、正義・不正義ではなく、おもしろい・おもしろくない(かわいい・かわいくない)で判断できるようになりたいと思った。だからそういう訓練をした。日記を書くというのはそのおおきな訓練だと思う。役に立った。
 パレスチナ問題がおもしろいのは、そこに感傷的な要素があるからだと思う。感傷的で悲劇的だ。虐殺者としてのユダヤ人もディアスポラやホロコーストとろくなめにあっていない。遠い場所で感傷的な悲劇が起きればあたしは安心して神妙なふりができる。虐殺はinterestingだ。だが神妙なふりをして何かを語ることができる。本当は神妙でもなんでもないのに、語られることが神妙であれば、あたしは神妙に見えるだろう。神妙に見られながら目の前のサボテンに手を出す。棘が刺さる。ふん。痛いじゃないか。
 サボテンなんか、うちにはないけど。




コメント
こんにちは。むずかしい問題ですよね。パレスチナ問題って、社会的には「私たちより不幸な存在の他人」になっていると思います。無意識に私達が優位を感じてしまう存在。私達はたしかに無意識の加害者であり、そう思うことによって「ああ、私は駄目な奴だな、なんとかしなくちゃ」と瞬間的に自分をいい人に、社会的に正義を行わなければいけない公人にしてしまうと思います。この考えって、全世界を一挙に救うんだ、私まるでジャンプのヒーロー症候群だと思います。独りよがり。その場だけ。他人を担保に自分の聖性を確認してるアホ。どっかおかしいな、と私は思います。言葉だけが先取りした構造にのっかって感情がひっぱられている感じ。私とCAの子とカフェの二階で話している時、窓の下で「私達より不幸な存在の他人」がいました。彼女はその人を見て「うわ、大変そう。あとでなにかあげようかしら」と言いました。私はいつまでこの構造がつづくのかな、と考えました。「服が汚れているおばあさん」を見ると瞬間的に私とその人の間に、過去に見た映画、テレビ、本、他人と社会と私が作った可哀想なおばあさんのイメージが雪崩れ込んで来ます。他人の気持ちに同情して優しくあるのが人間だし、勝手に他人の生い立ちやイメージを決めて差別するのも人間です。その子がその台詞を言う度に、「あの人は私達より劣っている、救ってあげなければならない人」になって、構造的な差別が生まれます。私達より劣っている他人。優れている存在としての私達を担保してくれる他人。同情が、無意識に他人を構造的に差別してしまう。優しさのはずが、「永久に劣っている存在」のイメージに貢献してしまっている。私は可哀想な彼らをいつまで映画や文学は使いつづけるのかなと思います。こんな障害の人がいるんだ、大変なんだよ、協力しようね、でも彼らは表面的には私達より劣っているかもしれないけれど、それは偏見なんだよっていうのが、彼らに対する無分別なイメージを払うために映画や文学はあったはずなのに、いつまでこの構造はつづくんでしょうか。私は彼らと彼らの周りの大変さだけをフォーカスしたものはもう見たくありません。私達と彼らが当たり前にそれぞれ抱えている「障害」を平等に描くことができた時に何かが変わるんだと思います。私は今、彼らについて語っていて、救ってあげなきゃ、の視点からしか話しができていません。矛盾です。この矛盾の話し方がいつか消えて欲しいなと思います。

【2009/06/20 08:35】 | ゆう #- | [edit]
>他人の気持ちに同情して優しくあるのが人間だし、勝手に他人の生い立ちやイメージを決めて差別するのも人間です。

そうだと思います。
ただ、問題はパレスチナの人も汚れたおばさんも自分たちにとってただの他人だと言うことです。
その人が友達なら、こまっているときに何かしら助けることもできるかもしれません。それこそ、へんなイメージもなしに。
ただ友達でない人間を助けるときに、つまり、よく知りもしないひとを助けるときにどうすればいいのか、そこには「かわいそうな人だ」という認識や「勝手なイメージ」がなくてはならないものだと思います。
だから人々が動いて、メディアが動いて、法律が変わって、実際に誰かが助けられる。

けっきょくは、個人のやさしさと受け手の問題だと思うのですけれど。

ぜんぜん関係ないけれど、コンビニのアルバイトをしていて、袋をあげようとすると「え~今の時代エコっしょ~」とかにやにや顔で言われたことが何度かあります。
「エコしてる俺ってえらいんだぜー」オーラが全快でとても不快です。
【2009/06/21 11:42】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
私もfunじゃなくてinterestingだから戦史が好きなのかもしれません。確か知人が「誰も傷つかず、何も壊れなければ戦争ほどおもしろいものはない。人類が野蛮な英知を惜しみなくつぎこむからだ」とか言ってました。不謹慎かもしれないけど、その通りだと思う。
「かわいそう」とか「悲劇だ」と思うと同時に「知性に訴える」意味では1nterestingだと感じるべきかもしれない。何もしようとしない私の言い訳でしかないのだけれど。
【2009/06/26 17:27】 | 上田洋一 #- | [edit]
どうでしょう、僕は「誰かが傷つく」から戦争はおもしろいし、「何かが壊れる」から戦争はおもしろいのだと思います。というか、「誰かが傷つく」「何かが壊れる」ということ以外にどんな要素が戦争にあるのか、よくわかりません。
これはどうでもいい話なのですが、「ガンダムW」というテレビアニメで、誰も傷つかないように無人で動くロボットモビルドールが出てきて、ほかのガンダムのパイロットは「こんな戦争はやっちゃいけない」とさんざん言っていました。それはいったいどんな戦争だったのでしょう。想像することはいつもできませんが。
【2009/06/27 20:28】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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