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現代詩手帖50年祭@新宿明治安田生命ホール

2009.06.21(14:28)

骨、家へかえる (講談社Birth)骨、家へかえる (講談社Birth)
(2009/06)
三角 みづ紀

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ゆず (秋田文庫)ゆず (秋田文庫)
(2000/11)
須藤 真澄

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 須藤真澄の「ゆず」というエッセイまんががあって、そのなかにでてくるゆずというねこがかわいすぎて、ベッドの上で転がっていた。じっさいのねこよりもまんがのねこのほうがかわいいだろうとあたしは思うけれど、そんなにんげんどうだろう。

   ◇◇◇

「現代詩手帖50年祭」に管城さんと行ってきた。大江健三郎の講演をかつて聞いたことがあって、大江健三郎は大江健三郎らしく何を言っているのかさっぱりわからなくて(「女の尻はフランスパンだ!」とか言ってた)、それでもなんだかほくほくした気分になれたから、大御所は一度くらい見ておかねばならぬ、ということで行ってきた。目当ては谷川俊太郎さん(現存する人のなかでいちばん偉大な詩人?)と吉本隆明さん(現存する人のなかでいちばん頭がよい人?)と三角みづ紀さん(現存する人のなかであたしがいちばん好きな詩人?)ということだったけれど、だいたいぜんぶおもしろかった。
 最初は谷川俊太郎さんと谷川賢作さん(へー息子だってはじめて知ったよ)の対話。俊太郎さんがアトム歌ってたよアトム。谷川俊太郎さんはもう生神様みたいな認識でそんなにまちがっていないと思うので、谷川さんがアトム歌っていたのを聴けたというのはなんだかほくほく。う、うれしいっ! 賢作さんはおもしろいひとで、ピアノ弾きながら「音楽やってる人に比べて詩人怖いよ。不健康だよ。俺俊太郎の息子ということでたまに声かけられたりするけど、刺されるかと思うもんもん!」と絶叫していた。
 吉増剛造さんのパフォーマンスはどうしたものかと思ったけれどだんだんおもしろくなってきた。「この岩がいいですよね~この岩~」とかえんえん言ってて「この金槌がいいんですよ。いつも持ち歩いてるんですよ」とかもえんえん言ってた。あたしは岩を見ても「岩だ!」としか思わない岩のような人間なので岩にはぜんぜん感動しないけれど、「うわ、この人まじで岩が好きだよ…」と思ってちょっとひいてちょっと感動した。「寝ててください」という感じのパフォーマンスだったので寝ようと思ったけれど、吉増さんの声がおすぎかピーコにごく一部で似ていると思って、あれ、どっちがおすぎでどっちがピーコだっけ、新文芸坐であたしはおすぎかピーコのトークを聴いたはず、あのとき新文芸坐に来たのはおすぎだったのかピーコだったのか、と考えていたら眠れなくなった。
 シンポジウムⅠは割愛。重力は下にかかるので、文字を縦書きで書くとすとんと落ちるが、横書きで書くのですべての文字に平等に重力がかかって落ちなくなる。というお話だけおもしろかった。ぜんぜん意味がわからなくて。あとは「詩の話をしているところで詩を書こう!」と思いついてメモするふりをして詩を書いていた。べつになんの意味もなかった。
 管城さんは来たときから「えー今日8時まであるの!?」と不穏なことを言っていたのであんのじょうだったけれど、休憩中に「お腹すいたのでご飯食べてきます。朗読・トークまでにはもどってきます」と言って去っていき、「ひなぎく」のDVDを手に数時間後にもどってきた。最近のレストランでは「ひなぎく」のDVDまで売っているなんて知らなかった。
 あたしは吉本隆明の講演が聞きたかったので居残り。吉本隆明さんはいかにも老人という風情であって(車椅子)、最長老様のようなたたずまいであった。やはり何を言っているのかさっぱりわからなかったけれど、とりあえず、若いときは教科書で顔を隠し勉強してるふりをしながら詩を書いていた、あといちばん好きなのは西行法師だと、そんなことを各20回くらいずつ話しておられた。それからこれからの日本で読むべき作家は小泉八雲だと。何故八雲なのかぜんぜんわからないけれど、「時間の耐えかたがぜんぜんちがう」とのこと。とりあえず八雲らしい。
 シンポジウムⅡはおもしろかった。おもしろかったので特に書くことはない。荒川洋治さんてほんとおもしろいな! あと稲川方人さんはしゃべっている言葉の質がほかのひととはぜんぜんちがって驚愕した。
 最後はトーク・朗読。いろんな人がいるなあと思って感心して、朗読を聴いて読んでみようと積極的に思ったのは田口犬男さんと中尾太一さん。特に中尾太一さんは朗読をしたのかしなかったのかすらわからなかったので(しかも何故泣く?)、読みたい。
 トリは三角みづ紀さんで、ヘモグロビンが降ってくる歌と、白線の内側までおさがりくださいの詩の朗読と、あと「カナシヤル」。今まで三角さんの歌は1メートルとか2メートルの範囲くらいの間近で見てきて、今回は後ろのほうの客席からステージ全体を見ていてどこを見ていいかぜんぜんこまらなかったせいか、あるいは8時間弱ぶっつづけでわけのわからない話を聞いて疲弊したせいか、やけに感動した。ぜんぜん感極まってるふりとかしなかったのに感極まっているような気がした。「カナシヤル」の「嫁になるのだ」のところでやけに感動した。よめになるのだ。
 お腹空いたのでしんじゅーくをぶらぶら歩いて適当なバーに入ってお話。喉が渇いていたのでお酒をくぴくぴ飲んだらそっこうでアルコールが頭を直撃する。2杯しか飲んでいないのに何故かふらふらした。あんまり食べていないからかもしれない。その日はよく考えたら朝に焼き鮭とごはんとそこでちいさいピザ(半分)と少量のサラダ(半分)とオリーブの実を数個食べただけなので、たぶん足りてない、足りていないというのはいつもあれだけれど、あれというのは、つまりあたしはお酒を飲みながら何かを食べているとじぶんがどれだけ食べてどれだけお腹がふくれているのかぜんぜんわからなくなるということで、誰かが「ねえ、きみは今お腹いっぱいだからもう何も注文しなくていいぜ!」とか、「うん、きみは今まだあんまりお腹いっぱいじゃなくてちょっと足りてないから、もう少し食べるべきだね」と教えてくれればいいのに、と思う。管城さんには江國香織に関する胡散臭い情報を吹きこんでおいた。子供の頃どういうふうに本を読んでいたのかの話をちょろりとうかがう、子供の頃じゃなくて今も、「1Q84」を3回読んだとかゆってて、「そういう読みかたかよ!」と驚愕した。あたしはぜったいそんなふうには読めないのだ。
 しんじゅーくはこわいからいやだ。ひとがいすぎていやだ。
 帰りの電車のなかで三角みづ紀さんの「骨、家へかえる」を読んだ。まだ全部読んでないし感想は書かないけれど、とりあえずこれを読んでいるあいだに連想した本は櫻井まゆの短編集「トランス・トランス・フォーエバー」だった。講談社Birth、はじめて買ったけれどページ数が印刷してある位置が気持ちわるくてちょっと吐きそうになった。ぐむむ。
 この前のライブで買いそびれた「ひやみず」も買った。う、良い。




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