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映画のポケット Vol.21「ロマポケ!~ロマンポルノのある暮らし~」@気流舎

2009.06.29(17:00)

受胎調節の横木受胎調節の横木
(2003/12)
川島 清

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 へんな夢を見た。教室に行ったら何かの映画を見させられてそれの主題歌が何故かエリオット・スミスの「おけ~い、おけ~い」ゆってる曲で、みんな何故か大合唱で、よくわからないから外に出るとマイケル・ジャクソンが死んだのがあたしのせいみたいになってて、でヴァン・ヘイレンと名乗るひとが「俺はマイケルの息子だ!」と言って、槍投げみたいに青い傘を連続で投擲してくる夢、を見ました。すごくこわかった。首にあたって死ぬかと思いました。

   ◇◇◇

「映画のポケット」に参戦するため下北沢気流舎へ、行く前に渋谷シネマヴェーラに行き神代辰巳「もどり川」を見てきた。おもしろかった。心中シーンが無駄に無駄に長すぎるあたりがおもしろかった。神代辰巳ってロマンポルノなのかしらんと思っていたけれどなんか見てもべつにロマンポルノ風味ではなくて、タイトルがそれっぽいやつだけロマンポルノで、あとはぜんぶちがうんだろうか。カンヌだし。
「映画のポケット」はロマンポルノ特集で、ロマンポルノについてのお話をうかがう。そもそもロマンポルノって何か知らないあたしはいろいろ勉強になることばかりで、また、あるひとりの女性が何故にロマンポルノを見るのか、つまりそれってどういうことなのか、の来歴を聞く機会というのはたぶん一生に一度のような気がいまさらして、貴重な機会だったのであろうなあと思った。
「昭和レトロとして語られることが多い」とおっしゃっていたけれど、あたしのロマンポルノ観はまさしく昭和レトロで、それこそ「見世物小屋」などとたいして変わるところのないという認識しかない。なんでもそうだけれどそのものに積極的にふれようとすればそれはようやく「現在」になるのだな。

   ◇◇◇

 気流舎に行ったのはもちろん「映画のポケット」に参加するためだけれど、もういっこ目的があって、「トルタの国語」がどうあっても欲しかったのです。安川奈緒さんと文月悠光さん目当て。しかしながらこれはとてもいい本だと思った、えらい本だと思った。

 えらいところ①
 余白がたくさんある。「トルタの国語」を読んでいるあいだに考えたこと、内容と関係あることないことをおおきい字でかきかきできる。
 
 えらいところ②
 練習問題が豊富。勉強ぎらいなのでめんどうくさいのはやらないけれど、その場で書きこめるものはやったよ。うまれてはじめて俳句をつくった。でも「俳号」の意味がわからない。

 えらいところ③
 安い。ごひゃくえんです。

 仮に、今誰か人間がいるとして、そして仮にその人間が何かしゃべっているとして、そしてさらにその人間が自分の友達や恋人以外だったと仮定したとき、「このひとの言葉にはちょいと耳を傾けたほうがいいんじゃないかなっ」と思うひとが何人かいて、そのうちのひとりが安川奈緒さんだ。ゴダールは「ある映画がつまらないのは、その映画が間違った場所で上映されているからだ」と言ったのだけれど、それとはたぶんちがう意味で、安川奈緒さんの言葉は必要とされるひとにぜんぜん届いていないような気がする。だから安川奈緒安川奈緒安川奈緒と3回くらい書こう。

 基本的にあたしは自分と同年代かそれよりちょっと上、そして同年代よりも下のあらゆる年代の「女の子」が何を書いているのかがすごく気になる変態的な性質なので、文月悠光さんなんか真っ先に気になるのだけれど、このひとは態度を表明しているところが、あるいは態度を表明しようとしているところがすてきだと思う。以前彼女がブログで「中原中也賞を狙っている」と書いていたことがあって、というかそれだけでなく、彼女の書いていることは「おまえ調子のるなよ!」と他人から言われそうなことばかりであるように思えて、でもたぶん彼女はそれに自覚的であって、そしてあるいは「中原中也賞を欲しいとか欲しくないとか言わないのはべつにいいけれどべつに欲しくないわけではないのにことさら自分とはぜんぜん関係ありませんというそんな態度はどうなのよっ!」と思っているようにあたしには勝手に思えて、あたしは彼女とは違って詩人が好きだからそんなことはぜんぜんいいのだけれど、「彼女のそんな態度っていうのはいったいどういうことなんだろうなあ」とときどき思う。
 以前お友達と話していたとき、そのお友達はあることについて話そうとして、けれどその前置きとして「わたしは、べつにそのことについて特に何の意見も持たないのだけれど」と話していたことがあって、あたし「うわっ! かっこういい!」と思ったことがあった。意見を表明する意志というのは、実は大事なことだと思う。
 
 和合亮一さんの文章を初めて読んだ。「50年祭」ではじめて和合さんを知ったひとの今後50年くらいの和合さんの認識は「ああ、あの司会のひとね…」という認識だと思う。ある意味いちばんおいしい。

「トルタの国語」は文部省非認定教科書なのだけれど、たまに思うのは、「どうして中学高校のときノートばかりとってぜんぜん教科書に書きこみしなかったんだろう」ということ。ノートなんか一文字もとらないでいいから、教科書に線ひいてそこにメモを書きまくればよかったのだと思う。それが普通のやりかたなのだと今は思う。この方法の欠点はテストで点数がとれないこと。自主性が求められること。だからやらない。

   ◇◇◇

 今日まだなんにもやってないのにもう5時… 2009/6/26 8
2009/6/27 5
2009/6/28 0




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