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僕はもう誰とも笑えない。

2009.07.20(14:15)

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(2008/09/26)
ペンギン・カフェ・オーケストラ

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 数十行下で「ヱヴァ:破」の話をする。
 土曜日は模試監督のアルバイトをした。さぼりまくっていたら注意された。むかむか。

   ◇◇◇

 日曜日はシネ・リーブル池袋で「ヱヴァ:破」を見るために東京へのぼる。とりあえずチケットだけ買ってひとり渋谷まで行って「奇想の王国 だまし絵展」を見た。ばかみたいにひとがたくさんいたのでいらいらした。関係ないけれど、台湾に行ったときにあたしは現代美術館に行ってきて、そこは小学校を改築したようなおどろおどろしい建物で暗くてしかもお客さんが3人くらいしかいなかった。おおきな部屋の壁3つに設置されたスクリーンにべつべつの映像が流れている作品があって、その部屋のまんなかに女の人があぐらかいて座って下を向いていた。いつまでたってもそのひと動かなかった。「あ、なんかいいなあ」と思った。あやうく好きになりかけた。美術館はあたしにとってそういう場所が理想。
 混んでいたせいか、絵を見ていると真横で必ず誰かに解説される。だいたいふたり以上で連れだってきているから、誰かが誰かに解説している。それが嫌でも耳に入る。「ほら、絵のなかに絵があるんだよ!」。そしてその解説が終わると「へーおもしろーい」と言って去っていく。「こりゃいけない!」と思って、マグリットやダリやエッシャーのあたりから音楽聴きながら見たので、ここ以降はとても楽しく見ることができた。
 マグリットがすごいのは、やっぱり現実認識をずらしてくれることで、たとえば風景が窓にはりついてて窓を開けるとその向こうが暗闇になっている絵(「望遠鏡」?)があったけれど、ああいうのを見たあと「あれ? でも実際にはどうなっていたっけ?」と考えてみると、よくわからなくなってくる。すごい。ダリの「スルバランの頭蓋骨」は絵の下のほうのぐにゃぐにゃが気持ちわるくてすてき。ただ何が髑髏だったのかはわからなかったよ。エッシャーは幾何学的なおもしろさもあるけれど、幾何学的な空間に押しこまれた人間のちっぽけさみたいなものがでていて、何がどうなっているのか、というおもしろさ以上に見ていて飽きない。
 ほかには金昌烈「水滴」はすごくきれい。あと本城直樹「small planet」は、実際の風景をミニチュアみたいに見えるように撮った写真作品。このひとは、ある種の見かたをすればこんなに現実風景がおもちゃみたいに見えてしまうことを示してしまって、怖くないのだろうかと思った。あたしはちょっと怖いと思った。パトリック・ヒューズ「水の都」はびっくりしすぎて死にそうになった。びっくりしすぎて死にそうになった。

   ◇◇◇

 YNと待ちあわせていっしょに「ヱヴァ:破」を見た。テレビシリーズと旧・劇場版を見たにんげんが見るべき映画だと思った。
 シンジくんは「怖いことから逃げて何が悪いんだよ!?」と言うから正しくて好きだ。ちょうど「破」を見たあとにYNと喫茶店に入ってだらだらしゃべっていたのだけれど、つまりそれは「仕事がいやだ」という話だけれど、ある段階まで来ると「逃げちゃいけない」ということはちゃんと実感できるはずだとあたし思う。「逃げてもいい」という目印はたぶんあるのかもしれないけど、それが見えないほど仕事や人生というのはほとんどのひとにとって閉塞的だとも思う。「うちの会社ではひとがちょくちょくやめてくんだよ」と彼は言った。「でも、やめた人間がいったいどうしてるか、何をやってるか、誰も知らないんだ」。それが現実であるし、そういうことなのだと思う。
 肉体はだいたいの場合逃げることはできないけれど、精神は多くの場合逃げることができると思う。それは、肉体的に逃げなかったミサトですらそうで、彼はシンジくんに逃げて、その心情を吐露していた。逃げて逃げて逃げて、その先につくられた社会としてやはり何かがあって、逃げて逃げて逃げて、その先につくられたにんげんがいる。
「他人に『逃げていいよ』と言うこと」と「他人を幸せにしてあげること」と「他人にやさしくしてあげること」はいったい何がちがうんだろね。

 中学校時代、あたしは「綾波が好きだ!」と言っていたような気がするけれど、大学に入って見直したらアスカが好きなような気がした。でも「破」を見て綾波の好感度が384%くらいあがった。それは綾波がちゃんとにんげんみたいに見えているからで、たぶんそれはあたしが母性的なものにあまり興味がないからだと思うけれど、とにかく、今回の綾波は母性的な非人間ではなくてちゃんとにんげんだったからかわいくてかわいくて好きだと思った。綾波はようやくちゃんとヒロインになれたみたいに思えてうれしかった。でも綾波がちゃんとヒロインをやっているのならば、シンジくんはちゃんとヒーローをやっていて、だから綾波はちゃんとヒロインをやれているように見えて、うれしかった。綾波は手紙を送ったり、料理をがんばったり、アスカのビンタを受けとめたり、「碇くんがエヴァに乗らなくていいように使徒をやっつけるんだぷー」と言ったり、「逃げて! 二号機のパイロットのひと! ありがとう!」と言ったりして、つまり「ありがとう」と言ったりして、「ありがとう」と言ったりして、とてもかわいかった。ありがとう。「わたしが死んでも代わりはいるもの」と言った綾波にたいして、シンジくんは「綾波のかわりなんかいないんだっちゃ!」と言っていた。たとえばなんでそういうことを言わないんだろうとよく思う。「これって純愛じゃん」と思った。「すてき」と思った。「ふたりの愛のぱわあが奇跡を起こすんだなあ」と思った。「新劇場版ではゼーレいらないんじゃいかなあ!」とも思った。
 あたしは2年くらい前に「『エヴァ』の新劇場版は純文学じゃなくてエンターテインメントにならなくてはいけない」と言った。90年代と今を比べると、当時のエンターテインメントが純文学として、当時の純文学がエンターテインメントとして見られるようになっている、という印象がある。陳腐な言いかただけれど、純文学というのは「表層ではなく人間や事象の本質を突こうとする運動」のようなものだと思える部分はまだまだある。それは社会を前にしてゆらゆらと揺れているもので、だから、今見れば園子温の映画とか「ヱヴァ:破」は純文学として見られるのだと思う。荒川洋治さんが「書くべき詩、書きたい詩」について話していた。「書くべき詩を意識することも大事であるぽん」と言っていた。そういう言葉をひっぱってきて、あたしが思うのは、たとえば「今ふれるべき作品」があるとしたら「ジャ・ジャンクーの映画だろうなあ」ということだけれど、そうじゃなく、そうじゃなくて、もっとひとりのにんげんとしてちゃんとふれたいなあとかそれについて何か言いたいなあと思うのは、園子温の作品であったり「ヱヴァ:破」であったりするのであるなあ。
「ヱヴァ:破」はちゃんと村上春樹の「1Q84」を越えていると思った。「1Q84」であたしが「違うなあ」と思ったところは、ふかえりが「言わなくてもわからないことは、言ってもわからないぴょんぴょん」と言って、天吾が「そうだね」とそれをあっさり受けいれるところで、あたしむかむかしちゃった。ふかえりの言うことにはもちろん正しいこともあるけれど、かりにそうだとしても、かりにあらゆることがわからないとしてもそれでもそれでも何か言わなくちゃいけないとあたしは思いはじめている。そういう言葉、言葉というのは行為の一種であるけれど、言葉という行為をとらないで夢のような世界でわけのわからないセックスをしてそれで何かを解決した気になっているのは違うと思う。
 綾波はゲンドウに「食事って楽しいですか?」と訊いてゲンドウは「ああ」と答えた。シンジくんはアスカだけじゃなくて綾波にもおべんとうをつくってあげた。お肉が食べられない綾波にたいしてそっとおみそしるを渡してあげた。「あったまるよ」とシンジくんは言ってあげられた。シンジくんも綾波もちゃんと他人のために何かしてあげられた。他人のため。アスカを殺しかけたシンジくんにたいして、まわりのひとは「殺さなくちゃあなたが殺されていたのよ!」と言う。シンジくんはそれにたいして「そんなの関係ないよ」と言った。だからシンジくんはとてもただしい。そんなのは関係ない。関係ないことなのに大人はたぶん大人だから社会を動かすため(使徒をやっつけるため)「殺さなくちゃあなたが殺されていたのよ!」と言う。「そんなの関係ないよ」と言うシンジくんは正しいけれど、けれど、けれど。あたしたちは言葉を発することだけはできるのに。
『ヱヴァ』を見たあとなら、ふかえりは、テレビシリーズと旧・劇場版の綾波だったんだろうなあと思える。「1Q84」はたぶん「ブギーポップ」みたいなお話で、でも、だからもう「ブギーポップ」は読みたくない。あたしは天吾はふかえりにもっと何かしてあげられることがあったんじゃないかと思う。よくわからないけれど。
 シンジくんは「僕はもう誰とも笑えません」と言った。あたしはシンジくんが誰かと一緒に笑ってくれればいいし、あたしも誰かと一緒に笑えたらいいなあと思った。
 あと爆弾みたいな使徒をキャッチするために走っているシーンが良かった。エヴァが走っているだけで泣けるなんて、ばかみたいだね!

   ◇◇◇

 めもめもめーも

 Bunkamura「ベルギー幻想美術館」 9/3~10/25
 庭園美術館「ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」 7/18~9/27
 近代美術館「ゴーギャン展」 7/3~9/23
 国立新美術館「野村仁」 ~7/27  !!!!

 うっかりしてて見逃しがち。新美術館で三角さんが褒めてたやつも逃したし、森美術館も行き忘れてた。ばかばかばか。絵がぜんぜんわからなくてすてきだから絵とか絵じゃないものをたっくさん見たい。来週の土曜日、行けたならば、タルコフスキー「僕の村は戦場だった」を見るまえに国立新美術館にゆきたい。




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【2009/07/20 22:02】 | # | [edit]
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