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彼らはぼくたちを愛すると同時にぼくたちを愛する理由を愛してるんだ。

2009.08.02(17:48)

モーニー・アンド・キッチモーニー・アンド・キッチ
(2008/12/05)
グレゴリー・アンド・ザ・ホーク

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 まだまだひとりキム・ギドク祭やってるよ。というわけでキム・ギドク「弓」を見たのだけれど今年見たなかでいちばんの萌え映画だった。まさかキム・ギドクがこんな萌え映画をつくるとは。ハン・ヨルムがあんまりにもかわいすぎて吐くかと思った。かわいい。あとえろすぎて吐くかとも思った。えろい。ハン・ヨルムほんとかわいい。かわいいな。かわいい。こんなかわいいかわいい言いまくってなんか自分でもきもいと思うけれどほんとにかわいいんだからかわいいと、言うんだ!
 月光をバックに演奏しているじいさんがかっこうよかった。嫉妬に狂って男に弓を撃ちまくるじいさんはアヴァンギャルドだと思った。ラストの10分はアヴァンギャルドすぎてびっくりした。この映画すごい。
 音楽と色彩感覚がそのまんま「クロノクロス」だと思った。「クロノクロス」もおもしろいけれど「弓」もおもしろいよね、と思った。

   ◇◇◇

 眠りすぎたせいで身体がだるい。心もだるい。
 土曜日は森美術館に行き「アイ・ウェイウェイ展」を見てきた。チケット売り場が混んでいたので「北京オリンピックの影響か!」と思っていたのだけれど森美術館はそれほどまでには混んでいなくて、たぶん、展望台と水族館のほうが人気だったんだろう。水族館行きたい。「アイ・ウェイウェイ展」は特におもしろいものではなかったけれど、お茶の葉でつくったお家がよかった。あとは部屋いちめんに荒廃した風景写真をはりつけた作品がよかった。床にも写真がはってあって、それを踏みつけて歩く感覚がたまらない。中国では1949年以降すべての土地が国有化されているらしく、ある日、いきなり目の前の風景が一変してしまうのだという。ジャ・ジャンクーがやっていることがちょっと補足された感じで、楽しかった。
「アイ・ウェイウェイ展」よりも小泉明郎「僕の声はきっとあなたに届いている」と「ヒューマン・オペラ XXX」のヴィデオ・インスタレーション2作品のほうがおもしろかった。
 アテネ・フランセまで行きタルコフスキー「惑星ソラリス」を見た。寝まくった。始まる前からすでに眠かったのもあるけれど、開始5分で眠る。その後眠ったり起きたりをくりかえしてがんばって見た。とてもおもしろかった。

   ◇◇◇

 ここ数ヶ月で主に考えていることはひととひととの無関係性だった。そう考えているなかで、「他人とわかりあえっこないよ」と言うことはつめたいことではないのかもしれない、ということを思った。三角みづ紀さんはどこかで「ひとは決してわかりあえない」と断定していたと思うけれど、それでも、彼女の詩にはほかの誰よりも強い「やさしさ」を感じてとても好きになった。「ひとは決してわかりあえない」と言うひとの詩にもっともあたたかいやさしさを感じるのはどういうことだろうな、と思った。だからそれはぜんぜんつめたいことではないのかもしれない、と思った。「ひとは決してわかりあえないと言うこと」は他人を愛さないことではないし、ひととひととのつながりをあきらめることではないし、自分と他人の幸せをあきらめることではない、と思った。
「本当の愛なんて欲しくない」と書いたら「何故本当の愛を必要としないのか」と訊かれた。それが本当の愛なのか贋物の愛なのか、まして、それが愛なのかどうか区別する能力がないからだ。それを欲しいとは思わない。それが本当の愛なのかどうかということと、わたしが愛を感じるかどうかはなんの関係もないと思う。
 偶然というのは、さまざまな要素のなかから私的な選択を行って得られるものだと思う。偶然は恣意的なものだ。だから、「にせものの感情が欲しい」と書いたそのすぐあとに、小泉明郎の作品と「惑星ソラリス」を見たことは偶然であるけれど恣意的だと思った。
 小泉明郎の作品を見ると「ひとは決してわかりあえない」と思える。悲劇を語るために「思いを詩にしてきた」と言うオランダ人に対して小泉は「普通に語ってくれ」と言う。「普通に語りたい」と思うオランダ人にたいして「だけれど僕はフレーム全体のことを考えなくちゃいけない」と言ってオランダ人に侮辱的なことをする。ふたりとも馬鹿だと思った。悲劇をカメラの前で語るという状況がすでに馬鹿げているかもしれないから、小泉の言うこともオランダ人の言うことも馬鹿げて見える。この作品に救いはない。それぞれが勝手に馬鹿げたことを言って勝手に馬鹿げたことをして勝手に終わる。ふたりとも死ねばいいと思った。小泉のあげる奇声を聞いてとても悲しくなった。語りえないということが何かを語る。というのはひとつの詩のありかただとは思うけれど、悲しい。「僕の声はきっとあなたに届いている」は反して救いがある作品。説明を読まなかったのでよくわからないけれど、東京に出てきた息子が母親に電話をかける様子がうつっている。母親の声は聞こえず、どこかのカスタマーセンターにつながっていて、「母さん?」と呼びかけると、「おかけ間違えではないでしょうか?」というようなやりとりが延々なされる。ここでは母親の声だけが不在だ。息子にはカスタマーセンターの声が聞こえていないのに、カスタマーセンターには息子の声が届いてしまっている。カスタマーセンターはほとんど対話を余儀なくされる。「悲劇的なのは、届くはずのない言葉が届いてしまっていることだ」とわたしは以前書いたけれど、カスタマーセンターに息子の声が届いてしまっているのは悲劇だと思う。ただ、この作品で小泉は「つながり」を強調しているように感じたけれど、その「つながり」はけっきょく「音楽」と「タイトル」によってもたらされたものでしかないんじゃないか、と思った。泣きそうになった。
 タルコフスキー「惑星ソラリス」では10年前に死んだ妻が現れる。それはソラリスの海が産みだした、妻であって妻でないものだけれど、主人公のクリスは「妻を愛している」と言う。ほかのふたりの学者は「狂っている」とそれを批難する。それにたいして、妻(!)が学者たちに「あなたたちはひどい」と言う。学者たちの言っていることはとても正しい。地球の常識で照らせば妻はただの得体の知れない物体なのだから、そんな妻を愛するというクリスは狂っている。でも、それでも、それでもあえて言うならば、学者たちはとても正しいが、その正しい言動こそが「ひどい」。
 わたしは、世のなかのひとはすべて、それと気づいていないだけでクリスなんだと思う。「彼らはぼくたちを愛すると同時にぼくたちを愛する理由を愛してるんだ。」とサリンジャーは「テディ」のなかで書いたけれど、少なくともわたしは妻を愛するときに同時に妻的なものを愛するだろうと思う。妻的なものを愛さずにして妻を愛する方法も知らない。妻的なものを愛さずに妻を愛するそのことを仮に「真実の愛」だとかなんだか呼ぶのだとしたら、そんなもの砂に埋めちゃえと思う。
 西尾維新「きみとぼくの壊れた世界」で、最後、探偵は事件を解こうとしない。事件を解くという選択によって日常や自分のお気にいりのひとたちの平穏が破壊されるならば、探偵は、事件を解かない。それは正しいと思う。親友が人殺しだということを知らないでいればあたしたちは幸せだ。完璧に知らないふりができればそれは理論的に正しいけれど、完璧に知らないふりなんてできないから、そこでつくられる世界は「たまたま」悲劇的にうつるだけだ。「きみとぼくの壊れた世界」で、「探偵が事件を解かないことによって保った世界」は「惑星ソラリス」において「学者がソラリスの秘密を解けなかったことによって保たれる世界」とほとんど等しい。「壊れた世界」とは「ソラリス」のことだった。
 法律や外面から見ていかに悲劇的だろうと、それは実際の悲劇とは関係がない。正しさがひとを傷つけるならば、わたしはいつでも間違っていたいと思う。わたしはきみがとても好きだと思う。

   ◇◇◇

 めもめもめーも

 早稲田松竹 9/5-9/11

 「映画は映画だ」
 「チェイサー」




コメント
ひとは決してわかりあえない

河合隼雄も「人の心はどこまでわかるか」とい本の中で、人の心は結局のところわからない。というふうなことを書いていました。

でも、「わかりあえないこと」を「わかろうとすること」がとても尊いことで、それがあるかないかで世の中がかなり変わって見えるようですね。
【2009/08/02 20:28】 | 私 #- | [edit]
コメントありがとうございます。

わかりあおうとすることはおっしゃるとおりとても大事なことだと思います。
そして同時にそれはいつも「偽善だ」とか「傲慢だ」とか呼ばれることだとも思います。
でも「偽善だ」とか「傲慢だ」とか言ってもなんにもならないので言わないほうがいいとは思います。
僕はたぶん、言うのですけれど。

関係ありませんが昨日「エヴァ」を見ていたらまったく同じことを言っていました。
かゆいところに手が届く「エヴァ」です。
【2009/08/05 10:20】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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