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抽象的な女の子

2009.08.25(20:14)

Atomic HeartAtomic Heart
(1994/09/01)
Mr.Children

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 あるひとが「女の子が映画を観るのは、世界を愛するためだけど、男の子は自分を愛するために映画を観る」と書いていて、なんだか「がーん!」となった。鉛筆削りとかで殴られたみたいになった。那珂太郎という詩人は「引用はすべて誤読されるから可能となる」とかなんとか言っていて、それと同じ意味でわたしはこの文章を引用しているのだけれど、とりあえず「がーん!」となったので「がーん!」と思ったのだった。
 わたしはたぶん女の子になりたいんだと思った。わたしは世界を愛そうと思ったとき、「文章を書こう!」と思って、それから「女の子みたいに書こう!」と思った。どうしてそう思ったのかよくわからないけれど、わたしは女の子になろうとした。女の子になれば世界を愛せるような気がした。
 わたしはたぶん、ほんとうにはなんにも好きじゃないから、いろんなものを好きになりたいと思う。たとえば、わたしは、誰かを褒めたり誰かの文章を好きと言ったり誰かにたいして「きみってばとても美しいね!」と言ったりするけれど、わたしはたぶんそういうふうに言うことでその誰かを必死に好きになろうとしているのだと思う。「ほんものなんていらない」とわたしは言ったことがある。わたしは「好きなもの」も好きだけれど「好きに思えるもの」も好きでいいと今のところ思っている。「好きなもの」なんてほんとうはなんにもないかもしれないけれど、「好きに思えるもの」をたくさん自分のまわりに増やして、彩って、そのなかで「いっとう好きに思えるもの」がたくさん見つかったら、わたしはとても幸せだと思っている。
 だからわたしはうそつきで、わたしの欺瞞はそこにあるのだと思う。わたしがほんとうに美しいと思うのは「好きに思おうとする以前にちゃんと好きになっちゃうように見えるひと」だ。文章を書く以前よりもずっと美しかったように見えるひとはちゃんといて、そういうひとはとても美しくて、とてもかわいくて、とても好きだと思う。
 男の子や男のひとが世界を愛したいと思ったときどうすればいいのか、わたしにはよくわからない。たとえばサリンジャーや庄野潤三は世界を愛していると思う。ジャン・ジュネも愛しているかもしれない。ジュネは特別美しいものだけを見ているし、美しいものだけを見ようとするすごいひとだと思う。でもジュネやサリンジャーや庄野潤三になるのはとっても難しいから、わたしはとりあえず女の子になったのかもしれない。だけれど世界を愛する手段が女の子しかないのなら、それはとてもいびつだと思うし、できるなら、もうちょっとちがうやりかたでがんばったほうがいいと思う。

   ◇◇◇

 高村光太郎「智恵子抄」を読んで吹きだした。沈黙というのは言葉から生まれでるものだと思う。誰かがしゃべらなければ、誰も沈黙できない。だから、もしもほんとうに黙りたいんだったら、わたしたちはちゃんとしゃべらなければいけない。「智恵子抄」はまさにそういう詩集で、瑞々しい静かな言葉がはっきりと沈黙への凝縮点へ向かっている。そういう空気の転移のさせかたはほんとうにすごくて、かっこよくて、愛おしい。
 と思っていたら「元素智恵子」で爆笑した。タイトルがすごい。一行目もすごい。


 智恵子はすでに元素にかへつた。


 この詩集は、病気になった智恵子が少しずつ気の狂っていく様子がやはり静かに描かれているのだけれど、だんだん作者の頭もおかしくなっていったとしか思えない。「智恵子と遊ぶ」なんて一行目から翔びすぎている。


 智恵子の所在はα次元。
 α次元こそ絶対現実。



 笑いがとまらない。高村光太郎だいすき!

   ◇◇◇

 昨日はTNと旅行の相談をした。そのあとごはんを食べた。ごはんはたくさんたくさん量があって、食べすぎて動けなかったので、そのあとのバイトは石のように動かなかった。




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