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一部の隙もないほどに完璧な映画

2009.09.03(01:53)

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(2009/03/18)
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 髭剃りが一部壊れたので、まいにち、髭を剃るのが命がけです。

   ◇◇◇ 

 予定が狂ったので、東京にて、映画館をはしごして2時間の映画を3本も見てしまう。ばか。わたしにはほかにやることがないんだろうか。ないのだ。ほかのひとは、いつも、いったい何をしてすごしているのか、とても気になる。
 渋谷シアター・イメージフォーラムでオリヴィエ・アサイヤス「クリーン」を見る。ものすごい傑作で見ているあいだ「おもしろいおもしろいおもしろい」とずっと思っていた。「一部の隙もないほどに完璧な映画」というものはもちろんあるはずがないのだけれど、あえて「一部の隙もないほどに完璧な映画」を挙げるのだとしたら、わたしはこれを挙げたい。もちろん「『一部の隙もないほどに完璧な映画』なんてそんなたいしておもしろくないんじゃないの?」とわたしは思っているけれど、この作品は完璧なくせにとってもおもしろいから、卑怯だ。これ以上何もつけたす必要もないと思えるし、どこも削る必要もない。落胆することもないし、感動することない。短くも感じなかったし、長くも感じなかった。静かなシーン、激しいシーン、それぞれあるけれど、圧倒的な調和のなかで保たれていて、乱れることもない。「圧倒的に突き抜けた・めちゃくちゃやっちゃった映画」もあって、もちろん、ほとんどの映画は突き抜けようとして突き抜けられなかった失敗作にすぎないのだから、突き抜けた映画は本当にすごくておもしろいのだけれど、アサイヤス「クリーン」はまるで逆に見える。どこにも突き抜けないようにするかわり、目のまえで起こるシーンに全精力を傾けているように見える。ワンシーンずつの密度がほかの映画とぜんぜんちがう。このひとはどんなカットにも絶対手を抜いていないと思う。この映画は波乱万丈のくせにどこにも感動しないけれど(わたしはしなかった)、ただただ、おもしろかった。圧倒的だと思う。映画に関して「技量」がどうのこうのと言うことをわたしはしないけれど(わからないから)、たぶん、この映画はとってもうまいのだと思う。夜、マギー・チャンが恋人とけんかして車で飛びだし、海辺に車をとめてクスリをやるシーンがある。そのシーンは一瞬で、次の瞬間には朝になっていて、マギー・チャンはドアを開けて外にでる。外にでて何をするのかと思えば、ちょっと歩いただけでそのシーンは終わる。ふん。ほんとうにこの映画は隙がない。何をどこまで映せば効果的なのか監督にはすべてわかっているようにすら見えてしまう。アサイヤスは一応、フランス映画の巨匠らしいから、とても多く映画を撮ってきたと思う。歳をとって、映画をたくさん撮って、どういうふうになっていくのか、わたしには少なからず興味があるけれど、こういう映画を撮れるようになるのだったら、それは本当に映画監督として美しいありかただと思う。
 アサイヤスはちょっと前に特集上映がかかりまくっていたと思うけれど、油断してひとつも見ていない。油断した。見ておけばよかった。イメージフォーラムではスコリモフスキの「アンナと過ごした4日間」もやる。東京国際映画祭ではぜんぜんべつの映画を見ていたので、こっちもちゃんと見たい。
 アサイヤスの衝撃でふらふらしながら、早稲田松竹に行きイジー・メンツェル監督「スイート・スイート・ビレッジ」と「英国王給仕人に乾杯!」を見る。どちらもおもしろかった。「英国王~」はある意味さいこうに悪趣味な映画で、美人の女性を下着姿にしてテーブルの上にのせ、それを見ながら食事をする大富豪のおじいさんみたいなひとがばんばんでてくる。悪趣味で下品。だけれど画面はあっさりしていて基本はコメディなので、その毒がうまい具合に消化されていて、見ていてぜんぜん気にならない。はずだったけれど、後半、ナチスが台頭してチェコの情勢が悪化してくるにつれ、悪趣味具合が最高潮に達して、じゃっかん、気持ちわるくなった。裸で美人な金髪女性が給仕を複数でかこんでグラスに注がれた精液をごくごく飲んでにっこり笑っている。さわやかな映像が逆にグロテスクだ。ナチスがグロテスクなのか、チェコから見たナチスがグロテスクなのか、ナチス信仰が厚い彼女はかわいかったけれど。チェコ映画は見るたびに趣味が悪いと思う。そしておもしろい。
 最近の早稲田松竹はわたし好みの作品ばかり流してくれて、たいへん空気を読んでいると思う。10月にはちょうどこの前アテネ・フランセで見なかったタルコフスキー「ストーカー」をやってくれる。見たい。

   ◇◇◇

 江國香織「ウエハースの椅子」をとてもひさしぶりに読みなおす。わたしは江國香織にひらがなの使いかたを教わった。「ウエハースの椅子」の主人公には「ひとは生きるものだ」という前提が欠けている。欠けているからとてもきれいだと思う。この主人公は誰かを愛している・誰かに愛されているという錯覚によって生きているように見える。いっかい読んだときの印象は「みどりいろのバスタブのなかでぐずぐず美しく腐っていくようなイメージを受ける作品」という程度だったけれど、読みかえすと、このひとはひどくまともなことしか言っていないことがよくわかる。「死ぬことはかなしいことじゃない」とわたしのだいすきなひとはかつて言っていて、この本にも、同じことが書いてある。でも、でもね、このブログを読んでいるあなただけにほんとのことを教えてあげる。
 
 死ぬことはかなしいことじゃなくても、死のうとすることはかなしいことなんだよ。





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